ブルース・リーと日本食


ブルースが惚れこんだすき焼き

 ブルース・リーは、撮影が終わると日本人カメラマン・西本正と連れ立って日本料理店によく足を運んだ。その中でも特に気に入ったのが「すき焼き」だったという。


 1972年、「ドラゴンへの道」のローマロケのこと。連日のイタリア料理にうんざりしていたブルースは、西本カメラマンが通う日本食レストランに同行した。食べたものは、すき焼きにマグロの刺身。酢だこも好物になった。普段は酒もタバコもやらないブルースだったが、日本酒は口に合ったらしい。とはいえ、オチョコ1杯で真っ赤になり、3杯でフラフラ。テーブルから落として、ヒビが入ったメガネをかけて上機嫌でしゃべっていたという。その酔態は唯一「ドラゴン危機一発」で伺い知ることができるように、かわいい酔い方だったに違いない。

 ブルースは、ローマロケが終わって香港へ帰っても日本料理が忘れられず、撮影が終わる度にニコニコと「サイブン(西本)さん、ヤマトレストラン! スキヤキ!」と叫んだ。大和レストランは香港島にある有名店で、九龍のハイアットホテル裏にも支店を出していた。現在も「大阪レストラン」という名で営業しているそうだ。西本カメラマンが一度連れて行って以来、この店はブルースのご贔屓となり、プライベートでも打ち合わせでもしょっちゅう利用した。西本カメラマンは、リンダ夫人と3人で鉄板焼きを食べたこともあったと話している。ブルースは、日本人の店主やウェイトレスとも馴染みになり、気さくに話をした。

 日本そばの話では、尖沙咀のミラマホテル内にあった金田中が有名だ。この店は、美人ウェイトレスが多く、また有名人がよく来る高級日本料理店として評判だったらしい。この店に、ブルース・リーがよく日本そばを食べに来ていたという。

現地では日本そばを「ブラウンヌードル」といい、ブルースもそのようにオーダーしていた。そば湯は飲まなかったとか。

また、最期を迎えた1973年7月20日の夜も、この店で共演者と打ち合わせをするために予約を入れていた。

 

 香港の金田中は20世紀末に閉店し、現在は「桔梗」という、やはり日本料理屋になっている。日本には東銀座にこの金田中の本店がある。大正からの由緒ある料亭で、しかも一見さんお断り、という貧乏人には縁遠い店だ。

 日本料理の風味は余程ブルースの口に合ったのだろう。同じ東洋人として、実に親近感が湧く話ではないか。ちなみに私は小さい頃、祖父の家に行く度に、すき焼きをご馳走になっていた。弁護士だった祖父は、生卵につけて食べるこのすき焼きが好物で、わが一家にいつも超高級牛肉を振舞ってくれたが、子供だったのでその味はもう忘れてしまった。今ならもっと有難く食べたであろうに、誠に惜しい話である(笑)。それはともかく。今はあまりすき焼きを食べる機会はなくなったが、時々口にする度に、牛肉をおいしそうに頬張るブルースの顔を想像せずにはいられない。どうだろう、今度ファン同士ですき焼きを囲みながらブルース・リーの話をするというのは。もし、やってみたいという人がいれば企画するので、是非掲示板かメールで声をかけてほしい。



ブルース・リーは日本びいき?

 「ドラゴン怒りの鉄拳」という反日映画があるので、「ブルース・リーは日本が嫌いなのでは?」と思う人も少なくないだろう。しかし、あの映画は監督の意向や当時の世相で作られた部分が大きく、ブルースの意志は、ほとんどシナリオに反映されていなかった。彼は日本に対して悪感情どころではなく、むしろ憧れを抱いていたように思う。その理由としては、以下のような点が挙げられる。

1.サンフランシスコ時代に、宮本武蔵の五輪書と出会い、傾倒していた。

2.香港から単身で渡米する途上(1959年4月)、航路の関係で入港した横浜に上陸。彼の日記には、<日本は素晴らしい国である。レストランの“チキンライス”が美味だった〉と書かれている。上にあげたように日本食を好んで食べたのは晩年のようだが。また、不確かだが、上陸時にランニングもしたらしい。

3.ダグ・パーマーとともに1963年に原宿を訪れ、柔道の講道館と神宮を見学した…らしい。

4. 「ドラゴン怒りの鉄拳」(1971年)制作に当たり勝 新太郎事務所を訪れ、日本人俳優を貸してほしいと出演交渉している。派遣されたのは橋本力(映画・大魔人の中に入っていた人)、勝村淳(勝新太郎のスタントマン)の2人で、同作品では重要な敵役を演じている。また、ブルースは日本映画を観て剣道の動きや間合いを参考にしており、のちに勝新太郎の「座頭市」を真似たスナップが見つかっている。

5. 日本人カメラマン、西本正を尊敬し「ドラゴンへの道」「死亡遊戯」の撮影監督として重用している。

6. 死ぬ2ヶ月前(1973年5月)、ロサンゼルス帰りに西本氏と日本で合流し、新宿の刀剣店へ日本刀を購入しに行ったらしい。

7. 日本映画に出演した女優ノラ・ミャオから、日本の撮影技術が優れているという話を聞かされると、熱心に聞き入った。


 有名になる前とはいえ3〜4回は来日していたことになり、興味深い。今となっては推測するほかは無いが、もしブルースが現在生きていれば、日本の格闘技界、映画界の発展にもさらに大きく関わったのではないだろうか。

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