ファンが語る! ブルース・リー

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李未亡人・田野

九龍小姐」管理人の田野です。「ブルース・リー神殿」をお作りになったお気持ち、本当によく解かります。哲坊さんが語っておられた通り現在の香港でブルース・リーは「過去の人」になってしまっています。香港の若者に「私はブルース・リーの大ファンだ」と言うと大抵「え〜っ?とっくに死んでる人じゃ〜ん」という答えが返ってきます。これが現実です。しかし!!チャウ・シンチーみたいに自分の映画で一生懸命リー先生を宣伝してくれています。ですから我々も頑張りましょう!!

ちなみに私も他のクンフー映画ファン同様ジャッキーにもハマりまくり、「蛇拳」「酔拳」を観た後は必ず無意味な特訓を始め、「少林寺木人拳」を観た後は必ず給食のパンをわざと机に落とし、皮をぺりぺり剥がしながら食べたものです。「燃えよドラゴン」でリー先生に殺されるシーンを見付けた時は飛び上がって喜びました。(03.3.3)

理克

今日ついに「燃えよドラゴン」のビデオを見ました。本当に後発の様々なメディアの作品に影響を与えた作品ですね。思えば私もヌンチャクにあこがれた時期もありました。同級生の多くは女の子も空手教室に通って、ヌンチャクを学校に持ってきて先生に怒られたりしましたっけ。

テレビドラマ「Gメン75」の香港ロケの時の回が大好きだったのですが、無言で上半身むきだし筋肉ムキムキのこわい役者さんは「燃えよドラゴン」に出ていた方だったのですね。機会がありましたら、他の作品も見てみたいです。本当に今ご存命だったら、どんな映画を作られたのでしょうと思うと残念ですね。それにしてもあの音楽が「燃えよドラゴン」の曲だったとは。(03.3.3)

梅庵

昔テレビでブルースが浸透けい(体の表面ではなく、内部に振動を与えて破壊する)を模範演技で打つのを観て本当の達人であることを知り、驚いたのを覚えています。ちょうど某拳法漫画をサンデーで読んでいたので興奮したことこの上なかったです。映画はさすがにスクリーンで観たことはないのですが…。

ジャッキーは龍拳と酔拳2は劇場で観ました。小学校の頃はジャッキーブームでした。ブルースといえば「礼をするときも目をそらしてはいけない」とか「考えるな、感じろ」とかが好きです。本当の達人であったからこその言葉だと私は思っているのですが…。某漫画によると気配で相手の出方を感知するのを聴けいというみたいです。ブルースの言葉はまさにこれだと思います。(03.3.3)

今仲達

ブルース・リーは私の周りでも流行っておりましたよ。ヌンチャクもブンブン振り回しておりましたし(笑)そういえばTHE・功夫が出たときに「お、ブルース・リーじゃん」なんて言っていたこともありましたね。映画はテレビでやっていたのを見たことがありましたが、まだ中学生だったので「強ぇ〜」というのと「ちょっと怖い」というイメージしかありませんでした。でも皆さんの話や神殿で見ているうちにもう一度見てみようかな?と思っていたりもします。没後30年たった今でもこれだけ人気があるのですから、やはり偉大な方だったのですね。(03.3.4)

龍成

私がブルースリーを知ったのは、6歳の時父に連れて行ってもらったドラゴンへの道でした。当時は仮面ライダーなどの架空のヒーローに憧れていましたが初めてリーを見た時の興奮は今も忘れられません。あれから28年経ち、その間いろいろな事に興味をもったりもしましたが、やっぱり最初に見たリーのインパクトを超えるものはありません、これからもきっと無いでしょう。(03.3.30)

哲坊

当時の映画館の熱狂ぶりは、今とは比べ物にならなかったんでしょうね。リアルタイムで観た方が本当に羨ましいです。(03.3.30)

一郎蛙

はじめまして、一郎蛙です。『李小龍的伝説』のサイトから来ました、よろしくです。
早速ですが、私とリーとの出会いは、今を去る事30年前、このサイトの管理人である哲坊さんにも羨ましがられそうな『燃えよドラゴン』日本公開初日の事でした。
私は当時中3でクラスメートのI 君が2学期も終わりかけのある日「今度アメリカ製の空手映画が来るらしいでぇ、一緒に見に行かへん?」 この誘いがまさか私のその後の人生を狂わせ?ようとは夢にも思わず、私は「アメリカ映画て、お前空手は日本のもんやぞ! 千葉真一が出るんやったら分かるけど、誰が主役やねん?。」 「エッ...と、確かぶるーす?りー?とか...」 「何じゃぁ〜?、そらぁ!、何人(なにじん)やねん?、アメリカ人なんか、中国人なんか、ハッキリせい!、そんなヤツ知らんゾ!」と、当時「空手バカ一代」にはまっていた私はI君に喰ってかかりました。でも当時、千葉真一主演の空手映画は準成人映画扱いみたいな感じで、大人と一緒でないと入れず、見たかった空手映画には全然行けなかったので、せめてアメリカ製でもイイヤ! そんな思いで私とI君は2学期が終わってすぐの土曜日の午後、京都でも一番古いけど一番大きな「松竹座」という映画館へと向かいました。「ほんまに、おもろいんけぇ? おもんなかったら金返せよ!」私はI君に最後まで抵抗していました。
館内に入ると既に映画は始まっており、初日から結構な人が入っていて入口の前まで立ち見でした。私達が立ち見の人垣の間からスクリーンを見ようとウロチョロしていると、後ろのおっさんから「こら!どけ! 見えへんやろ!」と怒鳴られました。「このおっさん、何興奮しとんねん!」と思いながら何とかスクリーンの方を見ると、何やらおかっぱ頭で黒ずくめの男が、何と私の大嫌いなヘビを袋から素手で取り出しました。「ゲッ!気持ちわるっ!」私はまさかこの男がこの映画の主役だなどとは想像もしませんでしたが、後はみなさんも何十回と御覧になった、あの息もつかせぬアクション・格闘・連打のオンパレードです。その回の上映が終わった時には、私も後ろで怒鳴ったおっさんと同じ位に興奮している自分に気付いたのは言うまでもありません。それでも、まだ心の中で私は「こんなん空手と違う...あんな速い軽いパンチや蹴りでは人は倒せん。クルクル廻って踊ってるみたいな、あんなキックがほんまに当るわけが無い!」と叫んでいました。しかし、改めて次の上映が始まると、今度は黒いパンツ1枚に(つかめる)グローブとプロテクター、それにバック転を切って、投げて、最後は締め技ときたもんです。(もうこれは空手では無い...一体こいつのやっている格闘技は何なんだ?)小学生の頃、青空道場のような所で空手を少しかじり、「空手バカ一代」がバイブルだった当時の私にはスクリーンの中で行なわれているアクション全てが謎でした(結局、世界中が初めて見るような物だったわけですが)。
その後、私はこの映画をロードショー公開中に5〜6回も見に行き(12月末から6月までロングラン上映されていました)、毎月母親に「他の映画を見に行くんや」と嘘をついて同じ映画に行っていました(どうしてもあの速過ぎるパンチやキックが決まる瞬間を確認したくて自ずと出向いたと言う方が正解です)。4月には進学した高校で今度は、その後親友となるY君を誘って同じ「松竹座」のドアをくぐりました。今度は私がY君に言われました。「ほんまに、おもろいんけぇ? おもんなかったら金返せよ!」 でも、Y君は「昼から野球部の練習がある、遅れる!」と言いながら「燃えよドラゴン」をきっちり2回見て学校へ走って行きました。そして、Y君が今度は中学時代の親友2人を「松竹座」へ連れていったそうです。ちなみに最初に誘ってくれたI君とは別の高校へ離ればなれになりましたが、彼は近所の空手道場へ通い始めたみたいです。ブルース・リーとの初対面って、当時の男性はほとんどこんな感じの出会いだったんでは無いでしょうか? 長いお話し最後までありがとうございました。(03.4.13)

哲坊

いやあ、当時の熱狂と感動が伝わってくるようで、鳥肌がたってしまいました。やっぱり、リアルタイムでご覧になった人の声というのは違いますね。私は、ブルース・リーと同じ空気を吸った時間は、わずか1年と少しという若輩者ですが、今後ともよろしくお願いします。(03.4.13)

ブルース・T−

私が最初に、彼の勇姿を目のあたりにしたのは、燃えよドラゴンの最初のロードショーの時、中学二年生でありました。自称映画通で色々な映画見てたガキがいっぺんで、ブルース・リーの魅力にはまりました。ロードショーから、二番館、三番館、名画座と、見たくもない他の映画との組合せでも、ビデオが無い時代だったから、必死に見に出かけて行ってました。映画雑誌、写真集はもちろん、姿が一ページでも載ってれば買って切り抜き、色々集めましたね。当然、後の残りの作品も、同じように見に行き、関連物集めは暫く続きましたね。あの当時も、超オタクはいて、映画のブルース・リーになりきるやつ、拳法に走るやつ、色々いましたよ。何時だか、忘れたけど、高田馬場の、ビックボックスにてブルース・リーそっくり大会があり、(ちなみにゲストの一人はピーコさんでした)友達と行った時、参加者は成りきり君に、似て無くても拳法で目立つやつ、ヌンチャクじゃなく、青いゴムホースで身体に当たっても大丈夫にしてるやつ、ミニドラゴン(お子ちゃま)、鎖鎌の本物振り回してる危ないやつ、結構、笑えて、楽しめましたよ。(中略)
あれから、うん十年、一応、関連本は押さえてたけど、興味が薄れていた頃、死亡的遊戯が突然現れて、映画館に何の情報も知らず行った時、歳かっこうが殆んど同じ位の人々を見た自分は、まるで学校のクラスメートに、何年かぶりに会った感じがしたもんです。そして今年、仕事でブルース・リーに関わる事になり、ファンサイトを見て、こんなにも熱い人達がいたなんて。(仕事の内容は色々な掲示板に書きました)なんかファンしてて良かったですよ。本音は仕事では関わりたくなかったのですが。(投稿が一部文字化けしていたため、途中省略しました。ご本人様が送りなおしてくだされば掲載し直しますので、よろしくお願いします) (03.4.26)

李☆李

こちらでは、はじめまして^^ 私と李様との出会いは30年前、女子高校生でした。友達4人でチャップリンの「独裁者」を観に行ったら二本立てのもう一本が「燃えドラ」だったんです。
「燃えドラ」は始まっていて、かまきりを闘わせてるところでした。ショックを受けたのは、やはりオハラとの対決シーンですね! あの華麗なフットワーク! スローでなければ見られない素早い動き! 鋭い眼差し! オハラを絶命させた後の悲愴感漂う表情。そしてラストのハンとの死闘まで・・・。時々覗かせるお茶目な素顔。このギャップがまた、たまらない魅力ですよね。
「独裁者」が終わるのを待ってもう一度観たのは言うまでもありません!映画館を出た後、誰も「独裁者」の話題をする者はなく(何年か前に改めて見直したら素晴らしい映画でした!)もう李様の魅力にとりつかれてました・・・。それまで周りの女子が好きな有名人の話をしているのをフーンと横目で見ていた私が李様の写真が載っているというだけで名前も知らなかったような雑誌まで買い集めるように・・・(笑)
友達がカメラを持ち込んで写真を撮ったり(フラッシュをたかなかったのに、よく撮れてました。本当はいけないんですよね。)カセットも持ち込んで録音したんですが、これは失敗におわりました。だから後でLPが出たときは嬉しかったです〜♪まさかビデオやDVDが出来ていつでも好きなときに観られる日が来るとは・・・。他にも好きな俳優さん、国内、海外問わず何人かいますが李様は特別ですね。私の永遠のヒーローです!(03.7.27)

哲坊

李☆李 殿、こちらへもようこそ。目的の映画を食ってしまう、そんな圧倒的な存在感。やはり凄いですね。当時は観客もカンフーアクションに免疫が無かったので、尚更度肝を抜かれたんでしょうな。(03.7.27)

Dr. Lee

掲示板の皆様初めまして! 私も小学校時代にブルース・リーにハマって、すでに30年近くファンをやっています。最初は棒きれを2本拾っては繋ぎ合わせ、振り回していました(笑)。そのうちどうしても技のひとコマひとコマを詳しく見てみたくて仕方なくなり、親にすがってドラゴンへの道の8mm film(当時はまだビデオがなかった)を買ってもらいましたが、映写機まで買う金銭的余裕がないので、電灯に透かして延々と見ていました。そのうち高校になって少林寺拳法を始めましたが、格闘技は体の柔軟性と視力が大切とわかり、初段で断念・・・。なんて感じで青春時代はブルース・リーと共にありました。しかしずっと知りたいと思っていたこと、、、それは、どうしてあの若さで急逝してしまったか? ということでした。
当時雑誌から得た知識では、1)とにかく即死に近い状態だったこと。2)激しい頭痛と共に意識を失ったこと。3)燃えよドラゴンの撮影中から、時々頭痛や卒倒(てんかん?)があったらしいこと。4)麻薬をやっていたらしいこと。5)病院の剖検結果から、死因は脳浮腫と診断されたこと、などでした。死因を知りたいという気持ちが私の進路を医学の道へと向け、現在は脳神経外科医をしています。あの屈強な肉体の持ち主を短時間で死に至らしめる脳の病気は、決して多くはありません。脳腫瘍という説もあるようですが、余程の腫瘍内出血でも起こさなければ、このような転帰はとらないと思いますし、剖検で腫瘍なり出血なりの報告があっても良さそうです。くも膜下出血でも即死し得ますが、やはり剖検所見で脳浮腫のみ(?)というところが引っかかります。あと考えられるとすれば、静脈洞血栓症といって、脳の太い静脈がつまり、瞬時に高度な脳浮腫がおこって意識をなくし、急死する病気があります。薬物との関連も報告されています。ちょっと専門的な話しで恐縮でしたが、そんなわけでブルース・リーの死因について考えるコーナーの完成を、心待ちにしております。長文失礼致しました。 (03.10.12)

哲坊

Dr. Lee 殿、ブルース・リーの影響で脳神経外科医になられたとは、何と素晴らしい。死因の考察ページですが、長らくお待たせしていてすみません。時間ができたら、必ず制作したいと思いますので、今しばらくお待ちください。(03.10.12)

細鳳

ブルース・リーは、2度美味しいんですよね。子供の頃は、アクションの凄さ格好の良さに単純に憧れたものです。大人になって、再度、ブルース・リーに関する書物を読むと今度は人物として非常に興味深い人であった事に気が付かされ、また別の魅力を発見する事になります。子供の頃と大人になってからでは、ブルース・リーを全く違った視点で見る事になるんですがやはりファンでい続けられるんですよね。今、大人になって感じるのは子供の頃あれだけ衝撃的にファンになりったのは、やはり、人間としても武道家としても”本物”だったからなんだなという事です。
今では、ブルース・リーが亡くなった歳を越えてしまったのですが、ブルース・リーが若くして亡くなった事が本当に残念でなりません。思想、信念としてすばらしいものを持っていた方ですから、きっと年を重ねる毎にもっと素敵な人になったのではないかと思います。ブルース・リーに関する記事で悪意を持った記事を見かけることがありますが、あの時代にアジア人としてハリウッドに挑む事がどれ程のプレッシャーであったか理解できる人はいないのではないかと思います。 (03.11.30)

竜龍

ぼくは、12歳のブルース・リーファンです。ブルース・リーに出会ったのは、一年前にテレビを見ていたらブルース・リーの熱狂的なファンが現れ、そのときにテレビに映った燃えよドラゴンの1シーン。この1シーンで、ブルース・リーのファンになってしまいました。映画の中ですばやく、キレがあるアクションは他のアクションスターとはあきらかにちがうと思いました。ドラゴンへの道は、最高の大傑作だと思います。(04.11.26)

SPACE−HIGH

はじめまして、SPACE−HIGHといいます。僕がブルース・リーの存在を知ったのは、グリコのレトルトカレー「LEE」のCMでした。最初ブルース・リーを見たときは、一瞬ジャッキー・チェンかと思いました。僕が一番最初に知った彼の映画が「燃えよドラゴン」でした。中学時代、一時期香港映画にはまってて、主にジャッキー映画を見てましたが、ブルース・リーのも全部見ました。ドキュメントも見ました。七月で21になりますが、僕はブルース・リー大好きです。これからもがんばってください。 (05.7.10)

とかげっこ

こんちは!私、中二の女子です。こないだ英語の先生に死亡的遊戯を魅せてもらったんですけど、ちょーかっこよくって!もうそのあともいろいろ見せてもらったんですけど、ベットシーン見たくないぐらい好きになっちゃって。本当、かっこいい人ですよね(05.12.2)

setty

私は女ですが、なぜか父と10才ぐらいからよくブルースの映画を観ました。こりずに少林寺拳法を同時に始めました。3年ぐらいしました。そしてまた大人になりやはりカンフーを始めました。ブルースは、さすがに大学で哲学を専攻した人らしく彼の武学には、哲学があり武道とは何を考えさせられます。英語では、martial artアートですよね、武術は。自己表現の1つですよね。自由に自己表現するべきですよね。(05.12.2)

takeshi

はじめまして、管理人様の思い入れがビシビシ伝わってくる、刺激的で本当に内容の濃いホームページに感服いたします。私とブルース・リーの出会いは、小学校のころテレビの映画案内番組で「燃えよドラゴン」の予告編を見たときでした。なんかスーッと血の気が引くような感覚の後、アドレナリンが逆流するようなそんな感覚だったことを覚えています。

その後最初に見る映画は「ドラゴンへの道」だったのですが、この時も映画を見終わったあと放心状態になっていました。私にとってブルース・リーという存在は、神であり師であり生涯尊敬し続ける人物だと思います。ブルース・リーに対する思いは、どんなにすごいアクション俳優や格闘家が出現してもまったく動じることがありません。ここまで凄い格闘家や俳優はこの先も出てこないのではないでしょうか?私も最近、ブルース・リー関連のブログページを作ってみました。また何らかの形で交流ができればと思います。(06.7.20)

ビリーロー@

ブルース・リーに出会ったのは小学生でした。友達がブルースのブロマイドをもらったのが始まりでした。すごくなぞめいていた感じがした。ビデオなんてない時代でしたから。親父に聞いてみると「何で今頃?」なんて言ってました。そこで初めて「既に死んでいる」ということを知りました。なぞは深まるばかり、しかし「強い男」ということはわかってました。友達の兄が空手をはじめたのが、ブルースがきっかけだと聞き、いろいろとブルースグッズを見せてもらい、ますます、ブルースにあこがれていきました。

当時の僕は体が虚弱体質でしたので、強いものに物凄く惹かれました。猪木にもすごくあこがれてましたし(笑)中学に入り、今までの虚弱体質を改善すべく、空手部に入りました。これもブルースの影響ですね。そして初めて「燃えよドラゴン」をテレビで見て(友達にビデオをとってもらった)もう・・・たまりませんでした。後にビデオ(しかもベータ)を買ってもらい、毎日のように見てました。ジャッキーブームもすごかったけど!僕は彼らのようになりたくて人の倍、稽古に励んでました。中学卒業するころには入学と比べ物にならないくらい!たくましくなりました。ブルースは僕の人生にものすごい影響を及ぼしました!35を過ぎた現在、りっぱな中年ですが、あの頃と変わらりません。部屋にはブルースグッズでいっぱい!DVDもクンフーものが多いっす!近頃はK-1とかプライドとかありますが、ルーツをたどるとブルースがいる。ファイターにもブルースにあこがれてマーシャルアーツはじめたというコメントをよく聞きます。やっぱり、すごい!すごすぎるブルース!改めて偉大さを感じる今日この頃です。(06.7.20)

岩龍(がんろん)

幼少の頃から特撮ヒーロー等の正義の味方が大好きだった私が、ブルース・リーに出会ったのは小学生高学年のときでした。氏が亡くなってから苦労して製作された映画「死亡遊戯」が封切りとなり、私は同級生と見に行きました。その時の衝撃は、今でも心に焼き付いています。それまで、手に汗握って見ていた仮面ライダーやウルトラマンが急に色あせて見え、スクリーン上を飛び回る等身大のヒーローに釘付けとなりました。

当時はまだビデオも普及しておりませんでしたので、「燃えよドラゴン」は、映画全編が収まったレコードを購入し、何度も何度も聞いて台詞を暗記するほどでした。誰でもやったでしょうが、棒切れ2本を鎖でつないで、ヌンチャク作って振り回したり、手裏剣投げたり・・・。そして、自らもドラゴンになるべく近所の少林寺拳法の道院に入門したり、空手やったりと、正しいブルース・リーかぶれという青春時代を過ごしました。今は子供たちに空手を指導していますが、普遍的なブルースの武道理念は、折に触れ引用したりします。ブルースは偉大なる武道家であり哲学者だと思います。07.11.20

萌えよ〜!ドラゴン

近所の金物屋のおばちゃんがレジを打ちながら、首を傾げてつぶやきました。「さいきん多いのよね、あなたのような子が。スリコギ棒、二本も買ってってどうするのかしら」

高校3年の頃です。ふつうなら就職や進学で右往左往している時期ですが、そんな世俗をすべて蹴散らしてくれたのが彼でした。良し悪しはわかりませんが、ブルース・リーとの出会いがなければ、まるで違う人生が展開されただろうという事には疑念を持ちません。

スリコギ棒のその緩やかな円錐形は、ヌンチャクに改造するためのものだと友達は言いました。もしかしたら自分が言ったのかもしれません。使い古しの黒の合成皮のカバンを切り、二本のスリコギ棒を包むようにセメダインで貼る。グリップエンドの丸みは、けっこう思いのほか、いい具合に貼れます。細い方の断面を金具と鎖でつなげれば「必殺ヌンチャク」の出来上がり。

鎖の長さはお好みで。「燃えよ」では割と長めですが、他の映画では短いですよね。ただし鎖を取り付ける金具は、かなり大きめで、深くねじ込めるものでなくては安心してバトルはできません。08.2.25

ムーン・リー

はじめまして。私が初めてブルース・リーを見たのは中2で36年前に公開された「燃えよドラゴン」でした。当初、007を見る予定だったのですが、友人のAちゃんが映画の招待券があるから一緒に見に行こうと誘われ、アクション映画と聞き、「絶対007の方が面白いって」なんて言いながら、あまり気乗りせずに行ったのを覚えています。

映画館には、なにやら黒人のような違うような国籍不明の男の人が、両手に木の棒を持ち、その棒と棒の間には鎖がついている物を持ち、1番前に立ちはだかっている大きな立て看板。「なに、これ?」「なんだろうね?」と言いながら映画館に入りました。日曜日という事もあって満員で、毎度の事にお菓子を食べたりジュースを飲んだり、雑談している人達のいつもの光景。

ところが、あのブラックパンツをはいた贅肉はないのかという位、細身でありながら、見た事のない全身筋肉のブルース・リーが出るや、それまでリラックスムードだった映画館が、一切の雑音が聞こえなくなったんです。そしてオハラとの対決になった時は息をのみました。(なに?このひと?)(動きが普通じゃない)そんな風に思っていたら、両足を掴られたのに回転して元の状態に戻ってる・・・(うそだ・・)

それからというものは完全にブルース・リーだけの存在が気になって、彼の出番になると集中量は高まり、固唾を呑んで瞬きするのが勿体無くて、凝視していました。(うそだ・・こんなのうそだ)と、ただただ信じられなかった。

映画が終わった後は暫く放心状態でしたが、やっとみんなが出て行く気配を感じて表に出て、友人に「何?この映画、あの人凄いよ」「ほんと!あの振り回してたの何?」「あの人は誰なの?「ほんとに映画俳優なの?」と、会話が止まらず、そのまま友人の家に行って、いかにカッコ良かったか、どのシーンがアレでコレでとその時やっと興奮している自分に気付きました。

それ以来、またブルース・リーが見たくて見たくて毎週日曜日には朝から最終まで見ても飽きるどころか、また見たいと欲求は募るばかり。結局、燃えよドラゴンの上映が終わるまで、毎週見に行ったんです。関根さんと同じ、1日3回(これが限度だったので)、地元の上映が終了してからも友人と、「まだ見たいと」言って、別の地域で上映されると知ったら、飛び上がって友人と喜び、汽車で2時間以内の地域まで足を運んで見に行ったものです。

これまで、これほどのめり込んだ映画は後にも先にもこの映画だけです。それほど、この映画のブルース・リーは衝撃的だったんです。これ以降、ロードショー、スクリーン、ブルース・リーの雑誌を買い漁って次の映画を待ち望んでいたら、彼はもう死んでいた事を知り、本気で友人と泣きました。

時々、ほんとにブルース・リーは人間なんだろうかとか、ほんとに実在していたんだろうか等とおかしな錯覚をするほど強烈な魅力とインパクトを残したんです。私にとってカリスマを感じたのは、いまだにブルース・リーただ1人です。そして、いまだに動画を見ては彼が生きていたら・・と涙が出るほどです。あの高速パンチ、キック、棒術、ヌンチャクさばき、屈託のない笑顔、現代の今見ても、とても30年以上前の人と思えないとう不思議な感覚はやっぱりブルース・リーのアクションのインパクトを超えるスターがいないからではないかと思ってしまうんです。長文、失礼致しました。10.10.5




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ブルース・リーと日本食