2008年4月25日〜26日

ブルース・リー墓参り & 職業訓練校と中華街訪問


成田を発って8時間半、アメリカの北西端にある、シアトル・タコマ空港に到着。

空港からバスに乗って約30分で、ダウンタウン(繁華街)に入った。

乗車料金は1.50ドルだから、日本の市バスよりかなり安い。

時刻は現地時間の午前10時過ぎ。通勤客らしき白人・黒人に混じり、

スーツケースとともに車内に立つ日本人2人組は、かなりの注目の的であった…。

 

友人に「メジャーリーグを観に行こう」と誘われたのは今年の1月のことだった。

しかし、私としてはもし今度アメリカに行く機会があれば、

「絶対にシアトルへ行き、ブルース・リーの墓参りをする」

という誓いを(勝手に)立てていたので、

友人を無理に説得し、当初予定になかったシアトルを

コースの頭に持ってくることになり、墓参りを実現させたのである。

空港から向かったのは、まずは宿泊するホテル。

泊まったのはエグゼクティブホテル・パシフィック(上写真)。

「エグゼグティブ」とは名ばかりで、内部はかなり古く、

設備は日本のビジネスホテルの、中の下ぐらい。我々には相応の宿だ。

11時ごろ着いたので、荷物を預けるだけのつもりだったが、

早くもチェックインさせてくれたので大変有難かった。

 

 

荷物を置き、少し休んだあと、近くのバス停へ。

10番のバス「キャピタルヒル」行きに乗り込む。

シアトルの市内にはバスが縦横に走っている。

値段は安いうえ、無料で乗り降りできる区間があり、便利だが、

初心者には、路線が多すぎ(行先も多すぎ)て非常に分かりづらいのが難点。

車窓は15分ほどで閑静な住宅街へと移り変わり、

程なくキャピタルヒルにある「レイクビュー・セメタリー」に到着。

この静かな霊園に、あのブルース・リーが永遠の眠りに着いているのだ。

非常に静かで、広々とした墓地。

名前の通り高台になっていて、ここから湖が見渡せる。

あとから知った情報によれば、ブルースは

シアトル在住の頃(有名になる前)に、よくここで瞑想をしていたとか。

 

 

入口からほぼまっすぐ道なりに5分ほど上っていくと、

写真や映像で何度も目にした、あの墓石があった。

ブルース・リーはもちろん中国人で、香港のスーパースターだが、

19歳から10年ほどの武者修行ともいうべき多感な時期を、シアトルで過ごした。

シアトルはリンダ夫人との出会いの地でもある。

 

1973年7月20日、香港で亡くなり、盛大な葬儀が営まれた後、

ブルースはここに運ばれ、埋葬された。

(隣に眠るのは息子のブランドン)

没後32年を経た今も、世界中から大勢の人が参拝に訪れる。

この日も、我々2人が来ると先客が2組ほどいた。

 

 

ここで出会ったのが、ロン氏である。

ロン氏はシアトル在住の方で、ブルース・リーの弟子で

シアトル時代に親交の深かったターキー木村氏と30年来の付き合いがあるとか。

いわば、ブルースの孫弟子といったところ。

少年時代に、シアトルに居たブルースに会ったこともあるという。

ここからそう遠くないところに住んでおり、時々、ここに墓の掃除に来るらしい。

正式にというではないが、墓守をしておられるわけだ。

 

色々なことを話してくれたのだが、我々2人は英語がほとんどできないため、

話の半分も理解できなかったのが残念。英会話を真剣に勉強したくなった。

ロン氏は気功か何かを心得ているようで、

勧められるまま、ブルースの墓前に座り、「氣」を注入してもらう。

眼を閉じ、瞑想していると、何か、

現世に自分が在ることを忘れてしまいそうな感覚に陥る。

飛行機の中でロクに眠れず、

時差ボケのせいもあって頭がフラフラしていたのだが、

余計に感覚が研ぎ澄まされていくような心地がした。

ブルースの墓石には、世界中からの参拝者の置き土産があった。

すぐ傍にはブランドンのほか、リンダ夫人の親族(母?)の墓もある。

1時間近くも過ごしただろうか。段々と陽も傾き、肌寒くなってきた。

4月下旬でも気温は5〜6度。シアトルはとても寒い。

また、次の参拝客がやってきたせいもあり、

ロン氏に再会を約して別れを告げ、墓を後にする。

メールをしようといって、名刺を交換したのだが、これが後の幸いだった。

このときか前か、ロン氏は「もうすぐ私の妻がここに来るから待っていなさい」

と言ったようなのだが(あとから知った)、 我々にはその言葉が理解できず、

その場を去ってしまったのだった。

これも後で知ったのだが、このときちょうど墓地の入口あたりで、

ロン氏の奥様とすれ違ったらしい。

しかし、ブルース・リーの墓を参拝できた興奮と喜びで私の頭はいっぱい。

まったく、記憶にない。困ったことに、同行の友人まで覚えていないという(笑)。

この日の夜、さっそくロン夫妻からメールをいただいたのだが、

旅先だったため、返信できたのは帰国してから数日後。

 

入口で挨拶もろくにせず、大変失礼なことをしたと反省する。

夫人のちえみんさんもロン氏に負けず劣らずのブルース・リー フリークで、

多くのブルース・リーファンの友人をお持ちだった。

で、その中には、以前からの私の知り合い(ネット上ではあるが)

も何人か含まれているではないか。

(ゆうぞうさん、Eちゃん、トラガリーさんなど)

いやあ、まったく世間は広いようで狭いというか…。

私は歴史系サイトに関しては色々な仲間と活発に動いているが、

ブルース・リー関連のつながりに関してはどうも後手後手だなあ…。

 

この後、ブルース・リーの通った職業訓練校や、

翌朝には、ブルースの道場があったチャイナタウンなどを散策。

以下、写真で紹介しておく。

ダウンタウンから墓地へ向かう途中にある、

セントラルコミュニティカレッジ(職業訓練校)。 

香港からサンフランシスコへ渡り、シアトルに住んだブルース・リーが、

最初に通った職業訓練校。当時の建物も一部、残っているらしい。

今回は行くことができなかったが、

ブルースがその後に通った、ワシントン州立大学もいつしか訪れてみたい。 

 

さて、ダウンタウンから東へ歩いて約20分ほど。

セーフコ・フィールドに程近いところに、中華街(チャイナタウン)がある。

周辺には当然、中国人をはじめアジア人が多く住んでいる。

シアトル時代のブルース・リーもこの街に住み、

ルビー・チョウ女史の経営するレストランで皿洗いをして生活費を稼いだ。

結局、今回そのレストランの場所は分からなかったが、

こういうような店だったのだろうか。

チャイナタウンにはこうした広場があり、

住民たちが太極拳などをしていた。

ブルースも、この近くで最初の道場を開いたのである。

こうした公園で、クンフーを教えたこともあるかもしれない。

この近くには日本食スーパー「宇和島屋」もある。

シアトル在住の日本人・アジア人が多く利用する。

 

そして、夜はシアトル・マリナーズの本拠地・セーフコフィールドへ。

野球ファンの私にとって、ここもまた、間違いなく念願の地。

イチロー、城島の勇姿もしっかりと拝むことができた。

想像より遥かに熱気と開放感があり、素晴らしい球場だった。

かのイチローも、ブルースを敬愛しているの噂も聞く。英雄は英雄を知る、か。

翌日はサンフランシスコへ移動するため、早々とシアトルを後にしたが、 

念願の墓にお参りすることができたのはもちろん、

若き日のブルース・リーが住んでいた街を訪れることができたのは、

わずか1泊2日の滞在ながら非常に有意義であった。

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