当時、四谷には大蔵省もあり、現在の地下鉄丸の内線四谷駅のところには東京陸運局もあって、役人相手の商売にはうってつけの立地だった。当時は木造2階建ての店の1階を飲み屋として客に開放。近所の役人のほか、職人や魚屋、蕎麦屋の出前持ちが、昼間から店に立ち寄っては一杯ひっかけていったという。昭和31年(1956)、大蔵省が四谷から霞ヶ関に移転したのにともない、支店として居酒屋を虎ノ門に開業した。四谷の本店は酒屋として営業を続けることになったが、立ち飲み屋もそのまま続けられている。
店内には日本中から仕入れた酒が所狭しと並ぶほか、地下室があり、そこは12坪のカーブ(酒の貯蔵庫)になっていて、お客はそこに直接降りていって酒を選ぶことができる。品質を保つための徹底した管理が行なわれているのだ。
そして、店の左奥が立ち飲みのスペース。店先の脇にも小さな入口があり、外から出入りできるようになっている。細長い通路に小さなテーブルが並び、奥は少し広い空間。右側にカウンターと厨房があって、そこで酒と肴を注文する。すべて現金引換えだ。酒は常時10種類ほどが置かれ、月に一度の割合でラインアップが変わる。小皿に置かれたコップになみなみと注がれる酒は、一杯350円から600円。
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