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とある雑誌の取材を受けるため、その担当編集者と
新宿中央東口の【談話室滝沢】で待ち合わせた。
【談話室 滝沢】は、新宿、池袋、お茶の水にある
高級志向の喫茶店だったが、昨日（３月末日）をもって全店閉店となった。
コーヒーが一杯1000円と値は張るが
長居のできる落ち着いた雰囲気ときめ細かいサービスが好評で
打ち合わせや原稿執筆、読書の場として
マスコミ関係者にも愛用されてきた。
桜玉吉の漫画「幽玄漫玉日記」にも登場した。
閉店の理由は後で述べるが、
ともかく最後にこの【滝沢】に行っておきたく、
我がままを言って場所を決めさせてもらったのである。
編集者との待ち合わせは午後１時だったが、
それより１時間ほど早く【滝沢】新宿店の２階「別館」に到着。
ここは地下が新宿中央口店（本店）、
同じ場所にある２階が「別館」と呼ばれている。
喫茶店ならぬ”談話室”にふさわしい落ち着いた空間が広がる。
店内地下にある滝、小さな沢には錦鯉が泳いでいたりする。
壁に貼られた「携帯電話のご利用はご遠慮ください」の注意書きも、
この店を利用する人にとっては実に好意的なものに見える。
平日の昼にもかかわらず、閉店間近とあってかなりの客入り。
中高年の落ち着いた客層が中心だった。
作家風の人、黒いサングラスをかけた俳優らしい人もいた。
禁煙席は満席だったので、仕方なく喫煙席に腰掛ける。
１人客でも、広々とした４人がけのソファ席を
遠慮なく独占できるのが【滝沢】の良いところである。
メニューを見る。
コーヒー、紅茶、抹茶、カフェオレ、メロンソーダ、オレンジジュース…
種類にかかわらず、飲み物の値段は一律1000円である。
これだけ見ると「なんと高価な」と思う人もいるだろう。
しかし、【滝沢】の真価はセットメニューにある。
飲み物と一緒にケーキやトーストを頼むとプラス100円で済むのだ。
なんとも不思議な価格設定だが、それもこの店の魅力であろう。
迷わず、レモンティーとチーズケーキのセットを注文。
ここのケーキは、ちゃんと店の厨房で作られていたそうだ。
「かしこまりました」
ウエイトレス…という呼び方はふさわしくない。
スーツ姿の女性店員が丁寧に対応してくれる。
メモは取らない。オーダーは暗記するよう教育されているらしい。
まもなく紅茶とケーキが運ばれてくる。
「お待たせしました。ごゆっくりお過ごしください」の声に思わず
「いただきます」と返してしまった。
紅茶を一口すすったところで
「お客様、禁煙席が空きましたので…」と案内される。
好意に甘え、席を移らせてもらった。
１時間ほど読書をして過ごす。
ケーキを食べ終わり、紅茶も飲み干した。
しばらくして女性店員が「お代わりお持ちいたしましょうか？」と声をかけてくれる。
そう、この店では午後１時までは飲み物のお代わりが１杯無料なのである。
遠慮なく「抹茶」を注文。
伝票の数字は1100円のまま変わらず、
盆に載った抹茶が運ばれてきた。甘納豆も付いている。
いまどき抹茶が飲める喫茶店も珍しくなった。
ほどなくして、女性編集者W嬢が現れた。
20代前半の新人編集者。初対面だが雰囲気でわかる。
私は奥まった席に居たが、入口から正面だったので目礼をしたら、
向こうも気付いたようで、近づいてきて挨拶を交わす。
W嬢も私の飲んでいる抹茶に惹かれたらしく
抹茶とチーズケーキのセットを注文。
【滝沢】の存在は知ってはいたが来るのは初めてで
やはり「閉店間際に来ることができて良かった」と喜んでくれていた。
取材が一通り終わり、雑談をしながら
【滝沢】独特のゆるやかな空間を楽しんだ。
「こんないい店が明日で閉店なんて、残念ですね」
「誰かが買い取って同じクオリティで営業できないんですかねぇ」
そんな話をしながら、席を立って駅へ戻った。
W嬢と別れたあと、池袋へ向かった。
向かった先は【滝沢 池袋東口駅前店】。
今日は時間もあるので、”滝沢めぐり”をしようと決めたのである。
「ようこそ、お越しくださいました」
入口に居た女性店員が、深々と礼をしながら、やはり丁寧に迎えてくれる。
池袋店は350席と広い店。昔は西口にもあったそうだ。
広いので、すぐに禁煙席に座れた。それでも、８割がたは埋まっている。
皆、明日で閉店だというのを知っているのだろう、
名残を惜しむかのように、ここでの一時を大事に過ごしているように見える。
向かい合わせに、写真を取り合う中年男性客らの姿もあった。
すでに時計は午後２時半を回っていたが
昼飯を食っていないので、メロンソーダにサンドイッチのセットを注文。
サンドイッチセットは、ケーキセットよりやや高い1300円だ。
充分な量があるが、物足りなければトーストやケーキも300円で追加できる。
最初の一品こそ高価だが、追加料金は安いし
何よりこの居心地の良さ、それに何時間居ても嫌な顔ひとつされないので
「ショバ代」と思えば決して高くはないと感じる。
「ショバ代」というより「空間代」のほうがふさわしいか。
伝票の裏には、
「清楚で落ち着いた雰囲気を大切にして、広々としたくつろぎのスペースに
楽しい語らいの場を提供して参りたいと考えています。
ご会合、ご商談、お見合い、憩いの場としてご利用下さいませ」
とある。確かにここなら、お見合いに使っても良い気がする。
サンドイッチは至って普通の味だが
カラシが程好く効いて、やけに美味しく感じた。
最後の一片をソーダで流し込み、読んでいたスポーツ紙をたたんで会計。
黒いスーツを来た男性店員が
「ありがとうございます」と深々とお辞儀をしてくれた。
レジの女性店員が「明日までですが、よろしければお使いください」と
レシートとともに２００円の謝恩券をくれた。
この謝恩券は金額にかかわらず毎回配られていたもの。
常連客は毎回200円引きで利用できたわけで、
決して「ただのボッタクリ店」ではなかったのである。
一度また新宿で降り、総武線に乗り換えてお茶の水へ。
まっすぐ、聖橋口にある【滝沢 お茶の水駅前店】へ向かう。
ところが満席だった。お茶の水店は180席と他より少し小さいし、
やはり閉店前日というのはもちろん、昼下がりで
喫茶店が一番混み合う時間帯だからだろう。
しばらく辺りをうろついて、もう一回行ってみると
空いていたのは喫煙席だけだった。まあ仕方がない。
女性の一人客、若いカップルの姿も見受けられた。
すでにケーキは売り切れとのこと。
ちょっと無理してピザトーストに、ストロングコーヒーを注文。
注文を済ませて便所へ立つ。
店内隅々まで掃除が行き届いているのもいい。
席へ戻ると女性店員が
「お客様…お飲み物のご注文は何でしたでしょうか？」と聞き直してきた。
「アレッ」と思った。
普通の店なら別になんとも思わないが、
まさか【滝沢】で斯様な事態に遭遇するとは…。
普段より客が多いせいもあるかもしれないが
【滝沢】の閉店の理由が垣間見えた気がした。
３月上旬、「滝沢閉店」の報道がなされた。
理由は色々あったようだが、一番は
”店員の教育が徹底できず、サービスの質を保つのが難しくなったこと”らしい。
社長の滝沢次郎氏は
「滝沢がお客さまに売るものはコーヒーでなく、社員の人格・礼儀作法である」
という方針を掲げ、社員は寮に入れて教育をさせるほど
接客サービスにこだわりを持っていた。
しかし、昨今は寮住まいを嫌がる若者が増えたため、
ほとんどがアルバイト店員になっていたらしい。
近年は、滝沢氏が望むものとは程遠いレベルにまで
サービスの質が落ちてしまっていたという。
【滝沢】の開業は1966年。
確かに、今時ウエイトレス業で「プロ」を志す人も少なくなったのだろう。
全寮制ともなれば尚更である。
それに加えて”客質の低下”も挙げられる。
「禁止」の貼り紙がしてあるのに携帯電話を使う人、
宗教やキャッチセールスの勧誘の場などに利
用されてしまうことも多くなってきた。
こうした実状を憂えた経営陣が、幕引きを決めたのだという。
ちょっと格好いいが寂しすぎる。
もちろん時代の流れ、「滝沢」のスタイルが
今の時代に合わないというのもあるだろう。
だが、閉店の一番の理由は店員の質や客質の低下、
つまり「人間の質の低下」ということである。
そう考えると、今の世の中は一体どうなっているのだろうか…
と憂いを覚えずにはいられない。
日本は平和である。戦争や飢饉とも無縁である。
その一方で、人々は助け合いの精神を失い
陰険で残酷な犯罪が急増している。
豊かさの反面、心は荒んでいるように思えてならない。
本当の豊かさとは、一体何なのか。
【滝沢】のようなこだわりを持った店が消え、
街にはドトールなどの安っぽくて無個性で、
店員の質など大して問題にならない店ばかりが建ち並ぶ。
大袈裟な、と笑う人もいるかもしれないが、
そんな現状を見ていると真剣にこの国の将来が心配になる。
ま、私一人が憂いても何も解決はしない。
先ほどのサンドイッチですでに腹がふくれていたが、
ちょっと無理してピザトーストと、
添えられたヨーグルトを平らげてから店を出る。
座り心地の良いソファと上質な和空間に別れを告げ
レジの店員に千円札と百円玉と、池袋店でもらった謝恩券を渡す。
「あ、お客様。こちら明日までですが、よろしければお持ちください」
また謝恩券をもらった。記念品だ。
店内の壁にはこんな貼り紙が。
「30日、31日の売り上げは赤十字を通じて全額寄付します」
引き際も実にかっこいいではないか。
社長の滝沢氏は御年80歳、
「サムライ」マインドをお持ちの素晴らしい方なのであろう。
そして【滝沢】は、昨夜ひっそりと40年の歴史に幕を下ろした。
その最期の瞬間には立ち会えなかったが、
前日に充分に【滝沢】の空間を満喫できて良かったと思う。
「昭和」の面影を残す日本の風景がまた一つ失われたわけだが、
今や日本人の大部分の人、とくに若者や同世代の人は
【滝沢】の閉店を惜しいとも何とも思わないかもしれない。
だが、私は自分の心の財産をひとつ失ったような寂寥感がある。
心残りは、若いうちは敷居が高く思えたこともあり
私が【滝沢】に行ったのはつい近年になってからだったので、
全盛期の「極上の接客サービス」を一度は味わってみたかった。
一時期、「滝沢の女性店員は全員未亡人」という説があったらしい…（笑）。
もちろん、イメージが先行したあまりのデマであろう。
（2005.4.1 の日記より抜粋）
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