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講道館柔道四段の実績を引っさげて93年に前田道場に入門。95年「ザ・トーナメント・オブJ」優勝を皮切りに、キック世界ヘビー級王者のモーリス・スミスを下し、アルティメット大会ではキモやピートウィリアムスを撃破、他流試合に強いところを見せる。98年からはアメリカに移住、モーリス・スミスのジムでトレーニングに励む。99年末のKOKトーナメントでは2回戦でアイブルに惜しくも敗退した。その後、かの強豪ノゲイラとワンマッチで引き分けるなど、充分な可能性を感じる選手である。(2001.11.15) サイン |
哲坊 1999.1.23 田村潔司戦
(9分42秒 腕ひしぎ逆十字固め○) アントニオ殿 キモ戦(判定勝ち)
旧・リングスルールでの最高峰ともいえる試合。激戦の末、綺麗な払い腰がきまった瞬間、はっきり覚えています。
日本人がVTで惨敗続きの中、強豪キモを圧倒的判定で破る快挙を成し遂げた。当時、絶体絶命のポジションであるマウントポジションを秘技TKシザースで返して見せた。世界のTKメジャーデビュー戦は華々しかった。