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オランダの選手権大会で優勝15回、ヨーロッパ選手権優勝2回などの輝かしい戦績を誇る空手家。フリースタイル・レスリングでも実績を残している。リングスには91年12月の有明大会でデビューし、当時正道会館に所属していた佐竹雅昭と対戦し、終始守りに徹したものの引き分けている。参戦当時は総合格闘技に不慣れだったこともあって、勝利への執念が感じられない地味な選手だったが、94年ごろから徐々にその真価を発揮してランキング上位に進出した。 得意技は重さよりもキレの良さを感じさせる打撃。とくにミドルキックを放つと見せかけて的確に相手の頭部をとらえる二段蹴りは脅威で、「ナイマンキック」とも呼ばれる。これで相手からダウンを奪った試合も数知れず。主なところでは長井、田村、ズーエフ、フライ、ビクター・クルーガーなどにKO勝ちしている。ハン、前田、タリエルに対しては勝ちこそ奪えなかったがKO寸前に追い込んだ。体重の軽い選手を喉輪落としで投げたり、ビターゼ・アミランをスリーパーで仕留めるなど、総合格闘家としても着実に進化を遂げていた。 鉄仮面のような顔をしているが、素顔は優しいことでも有名。また、ブルース・リーに憧れて空手を始めたと自ら語っており、テレビで試合の合間にヌンチャクのデモンストレーションを披露したこともある。のちにディック・フライともどもリングスを脱退。2000年1月にはフリーの格闘家としてPRIDEのリングに上がり、藤田和之と対戦。キックをうまくかい潜られてテイクダウンをとられ、袈裟固めで敗れている。リングスファンとしては胸中複雑だったが、東京ドームという大舞台でナイマンが観られたので少し嬉しかった。(2006.2.19)
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