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15歳よりキックボクシングを始め、その後ドールマンの元で2年間リングススタイルのトレーニングを積む。96年7月の日本デビュー戦では坂田にあっさりと一本負けしたが、その後は総合格闘家として成長。98年3月の東京ベイNKホール大会では山本健一(喧一)をヒザ蹴り一発でノックアウト、病院送りにして会場をどよめかせる。1ヶ月後の大阪大会ではなんと田村潔司を打撃ではなくサブミッションで破るという大金星をあげる。 類い稀な格闘センスを持ち、来日する度にパワーアップしているような感があったが、なかなかランキングの上位には食い込めない。守勢に入ると極端に脆さを露呈し、優位に試合を進めながらも逆転負けを許すという勝負弱さがあるのだ。99年、5月の有明大会では金原をハイキックで沈めたかと思えば、2月の横浜アリーナでは田村にリベンジを許すなど、戦績が安定しない。 第2回KOKトーナメント(2000)では、1回戦で山本憲尚(宜久)、2回戦でランディー・クートゥアーにそれぞれ一本勝ちして強さをアピールするが、肝心の決勝ではアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラにあっさりと肩固めを極められて一本負け。やはり、ここぞという時には意外なほどに脆い選手である。(2000.6.1) ◆◆◆ リングス解散後、幾度かPRIDEのリングに上がるが、6戦全敗という不甲斐ない戦績。相手をKO寸前にまで追い詰めながら、一瞬で関節を極められてタップする場面も見られた。パワーも技術もいいものを持っているはずなのに勝てないのは、勝利への執念がよほどに希薄なのだろうか。(2006.2.19) |