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幼い頃、いじめられっ子だったというフライ。ボディービルで肉体を鍛えあげ、19歳でキックボクシングに挑戦。クリス・ドールマンとの出会いで本格的に格闘技に取り組み、その子分として酒場のバウンサー(用心棒)をしていた。やがて「ディック・レオン・フライ」の名でドールマンとともにUWFに参戦。藤原喜明と異種格闘技戦を行なった。そうした縁で、リングスには91年5月の旗揚げ大会より参戦し、前田の最初の対戦相手をつとめる。旗揚げ戦では敗れたが、8月の旗揚げ第2戦目に再び対戦。この直前に前田が左ヒザを痛めたこともあり、見事にTKO勝ちを収めた。
その後、圧倒的な打撃力でKOの山を築き、オランダ勢のエースとして君臨する。93年1月のメガバトルトーナメント決勝で師匠のドールマンに敗れたが、それまで前田とハン以外には負け知らずであった。その鍛えられた肉体と風貌から「サイボーグ」の異名をとり、一時期はWOWOWのイメージキャラクターとしてCMにも出演する。だが、7月にヴォルク・ハンにTKOでリベンジしたのをピークに体力、気力ともに衰えを見せ、精彩を欠いた試合が多くなる。翌8月と10月にはウィリー・ウィリアムスとのドリームマッチが実現、1勝1敗という結果だがいずれも微妙な判定決着という凡戦に終わった。その年に開催されたメガバトルトーナメントでは、2回戦でビターゼ・タリエルの正拳をボディに喰らってまさかのKO負けを喫する。
94年には前田との喧嘩マッチを展開し、バート・ベイルやトニー・ホームといった外様選手をいずれもKOで下すなど、再び勢いを盛り返したかに見えたが、95年から96年にかけてはモーリス・スミス、バロージャ・クレメンチェフに相次いでKO負け。さらに山本、長井、高阪らのジャパン勢にも敗れるなど安定感を失っていく。この頃になると自慢の肉体も一回り小さくなっており、全盛期のあの肉体はステロイドによるものであったとも囁かれた。一時期はK1やバーリトゥード系の試合に出場するという噂もあったが、いつの間にか立ち消えてしまった。また、初期の頃は寝技にも積極的に取り組み、トータルファイターとしての成長が期待されたが、結局は打撃一辺倒の選手で終わってしまったのが残念だ。一時代を築いた選手なだけにファンの人気は根強く、復活を待ち望む声も多かったが、99年にナイマンとともにリングスを離脱してしまった。正式な引退試合も行なわれぬままにリングスを去ったのはあまりにも寂しい。 リングス脱退後、K1のリングに登場。総合格闘技ルールでマーク・ケアーと対決したが(裸締めで敗戦)、サイボーグの面影はもはやまったく失われていた。(2006.2.19) |