2002.3.20 わが町・戸塚とドリームランド

「お江戸日本橋七つ発ち」と謳われた時代。『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんも、品川、川崎、神奈川、程ヶ谷を経て日暮れ時に5つ目の宿場町、戸塚にたどり着き、ここに投宿している。戸塚宿は当時大層にぎわい、旅籠が75軒もあった。現在は駅前の蕎麦屋「丁子屋」がただ一軒、旅館を営業しているのみで、その面影はない。

私が20余年住んだ戸塚は、神奈川県横浜市の南西に位置する。人口約25万人、面積約36ku、と市内で一番広い区だ。でも東京の人に、戸塚駅の場所を説明するには「JR横浜駅と、大船駅の間」という説明が要るほど、地名の通りはよくない。

そんな戸塚だが、有名なシンボルがあった。『横浜ドリームランド』。オリンピックで日本中が沸いた昭和39年に、華々しくオープンした遊園地だ。自宅から車で10分という位置にあり、年に3度は遊びに行った。大観覧車や21階建ての五重塔型ホテルは、町を見下ろすシンボル的存在。亡き祖父が、よく連れて行ってくれたし、敷地内にある春日神社は、私のお宮参りの地。ドリームランドは、私にとって心のシンボルであり、夢であった。


今は亡き原宿交差点の案内看板


春日神社

ところが、このシンボルも、経営不振により先月中旬で閉園してしまった。東京ディズニーランドができてからは集客数が落ち、全盛期の年間入場者数120万人に対し、ここ10年は平均60万人止まり。親亀こけたら、小亀もこけた…親会社であるダイエーの凋落とともに、老舗の遊園地は中古車販売会社「USS」に88億円で売却されたのである。


ドリームランド入場ゲートの閉園告知板


朽ち果てたままのモノレール・ドリームランド駅

戸塚には、もうひとつシンボルがある。それは、ドリームランドと大船駅間約5qを結ぶモノレールの線路である。しかし、このモノレール、今はまったく動いていない。昭和41年5月に運行を開始したものの、翌年9月に突如運休。それから35年も放置されたままなのだ。私が生まれる前のことだし、1年あまりの運行期間に利用した人の数も、知れていよう。今や地元民でさえ、車道を跨いで空中に浮かぶ、古びた線路を不思議そうに眺める。レールは半ば錆び、草木が絡みつき、まるで遺跡のような佇まい。なぜ中止され、なぜ長年放置されたままなのか…。解体作業中のドリームランド敷地内にある『ドリーム開発株式会社』の常務を訪ねた。

「当時は最新鋭の交通システムでしたからね。それは、乗り心地が良かったですよ」 常務は、当時を思い浮かべ、目を細めた。

正式名称『ドリーム交通・モノレール大船線』は、跨座式モノレールのパイオニアである東芝の協力によって実現。ドリームランド駅と大船駅間を、片道8分で結んだ。最寄りの戸塚駅と大船駅まではバスが走っており、それぞれ20〜30分の距離だが、周辺の道路は渋滞が頻繁に起こる。モノレールの開通は、当時から地元民の希望だった。遊園地にも、湘南方面からの集客が見込めるとあって、開業当時は盛大なセレモニーが行なわれ、マスコミは「モノレール時代到来」と騒ぎ立てた。しかし、もっと速く走らせようと考え、車両を改造した結果、問題が起きた。

「重量オーバーで、乗客がある程度乗ると制御装置が働き、途中でたびたび停車してしまった」。レールや柱にも亀裂が入り、東京陸運局から休止勧告が下された…。

それから35年間、何度か再開の計画が持ち上がったが、いずれも実現せず。昭和60年頃から、新交通システムの開発が盛んになり、地元民も再開への期待を高めた。これを受け、横浜市もドリーム開発に対して再開の要請を続けている。だが、具体的な動きは無し。


放置されたままの、モノレール線路

地元民も、賛成派ばかりではない。休止後、線路のすぐ脇や下に民家が建てられており、そのまま走らせることは無理。また、再開に当たっての費用や時期も見当がつかない。今や車両はすべて処分され、老朽化した線路や駅舎も、一度解体して建て直す必要がある。

ドリームランドが閉園した今、ボウリング場やゴルフ練習場こそ残るものの、集客力は格段に落ちたと思うが… 「遊園地は車での利用客が多かった。モノレールはまさに、地元民のための生活路線となるわけです。一日も早く再開するために話はしているんですが、こういうご時世ですから…」。

かつて、この町を華やかに彩った、遊園地とモノレールが、こんな状態になってしまったことについて、何か感慨はないのかと尋ねると…

「何もありませんよ。遊園地というのは、こういうご時世では決して儲かる商売ではない。儲からないんじゃ、仕方がないでしょう」。

足早に事務所を後にした。37年間、多くの人々の夢を育んでくれた、ドリームランドの崩壊。地元民の希望であるモノレールも、再開の見通しが立たないという現実。「何もありませんよ…」関係者のこの一言に、夢も希望も、踏みにじられた思いだった。

帰途、やるせない思いを胸にしまいつつ、もう二度と動くことのない観覧車と、用をなさぬモノレールの線路を、いたわるように眺めた。物言わぬ2つの巨大な建造物は、何も語りかけてはくれなかった。(2002年3月 記)


※その後、地元民の猛烈な反対もあって中古車販売会社は撤退。
ドリームランド跡地は横浜市が買い取り、市民公園、霊園として再利用することが決まった。

 


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