草履取りから天下取りへ
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戦国ファンが斬る! 秀吉 評 |
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ハニマン殿 |
はじめまして。秀吉の天下統一により戦場が閉鎖されて、その戦場を稼ぎ場としていた雑兵たちが都市に職を求めて溢れかえらないようにと朝鮮出兵、またベトナムやインドにまで出兵しようといていたという説もあるようですね。というかうちの大学の教授がそういってました。歴史って見方をかえると他の考え方もできて楽しいですね。(04.2.8) |
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哲坊 |
ようこそ。「戦場が閉鎖された」という表現は正しくはないかもしれません(笑)。天下統一によって戦争する必要がなくなったためで、そうなると確かにリストラされる兵がたくさん出るわけですな。また、狭い日本では出柄をたてた家臣たちに与える土地も無くなってしまいます。教授が仰るように、朝鮮出兵は、まさに秀吉による「公共事業」という側面もあったといえるかもしれません。(04.2.8) |
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平赤旗 殿 |
秀吉っておもしろいですよね。合戦話からずれて身体について、一つ挙げてみても「手」に関して、「秀吉の左手は指が6本あった」とかです。なぜ左手かというと、手形が残っていて(本物かはわかりませんが・・)それが右手だからです。この事を証言する文献を「前田利家」「ルイス=フロイス」が残しているからです。いろいろとコンプレックスを抱えていた秀吉の面影がチラリと忍ばれます。(04.3.8) |
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哲坊 |
確かに、秀吉を天下人へとつき動かした原動力は身体的、容姿的コンプレックスによるところが大きかったかもしれませんな。(04.3.8) |
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大器晩成 殿 |
秀吉の唐国に侵略という野望は晩年になってからと思っておりましたが、すでに柴田勝家を倒したあたりからすでにその野望を持っていたことを最近知りました。考えてみれば、秀吉は朝廷権力をうまく利用して、味方の兵力も敵の兵力も消耗させずに敵を降伏させたのが大半。すべては明支配のため…権力を手に入れるということはなんとも恐ろしいことですなぁ (04.4.13) |
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力丸 殿 |
美濃攻略時の一夜城として有名な墨俣城。秀吉が蜂須賀小六らと共に、一夜にして城を築いてみせたと言われていますが、あれは実は嘘。もともと墨俣には、斉藤軍の当時は使われていない古い砦があり、そこに秀吉らが夜中のうちに入り込み修復したと言うのが本当の話かもしれないんですよ。考えてみればそうですよね、斉藤だって自分の城の前にいきなり城を建てようとしているのぐらい、いくら何でも気付きますよねぇ…。 (04.4.13) |
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歴史 殿 |
秀吉の朝鮮征伐について。応仁の乱から百年以上続いた戦乱の世が、秀吉の「奥州の仕置き」を最期に日本中の戦いが終結した。この時点で公称20万といわれる武士から足軽まで、戦に関わる人々は食うために朝鮮の戦場へと殺到する。宗門人別帳などから日本の人口を割り出す歴史人口学なるものの調べでは、その時代の日本の総人口は1千200百万人、それに対して20万人以上の軍隊が存在したことになる。 経済の発達した平成16年4月現在の日本の総人口は1億2771万人、それに対し自衛隊は空、海、陸合わせて26万2千人、現時点で自衛隊が解散したらどれだけの社会不安が生じるか、総人口のたった0.2%、26万人の雇用不安を考えれば秀吉の時代の朝鮮への派兵が実感できる。ここで言いたいことは、秀吉は晩年に決してボケたわけではないということ。(04.5.30) |
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才蔵 殿 |
秀吉ほど若い頃と、晩年の頃の評価がまっ二つに割れる武将も珍しいのではないでしょうか。若い頃の秀吉には、人当たりが良く、人なつっこく、大勢の仲間達に囲まれてまさに太陽のような存在であったように伝えられています。ところが晩年の彼は独裁色が濃く、意見するのも憚れるほどに思い込みの激しい爺さんになってしまいました。若い頃、あれほどたくさんの仲間達に囲まれていたのに、いつの間にか側にいるには、三成と淀だけ。これも権力者の宿命なのでしょうか?恐いですね、権力って。(04.12.31) |
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東海林勝秋 殿 |
始めまして、こんばんは。何だか面白そうなので参加させてもらおうと思った、東海林勝秋というものです。……しかし、アレですよねぇ?こういうと『右翼』とか言われるかもしれないけど、この頃の世界って大航海時代でしょう?イギリスやらポルトガルやらのことは悪く言われないのに、何で秀吉だけが悪く言われるのかなぁ?(04.12.31) |
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三郎兵衛殿 |
才蔵さんの意見と同じですが、天下を統一するまでの彼は、出来るだけ人を殺さないようにつとめている。誠に人情深い。この点から人心を得て、天下統一を早めた原因の一つになっているが、天下統一の彼は人が違うように残酷になった。もっとも愛して関白を譲り渡したほどの秀次に死を命じ、その妻妾三十余人を一挙に殺し、しかも野良犬の死骸でも埋めるように一つの塚に投げ込みにして葬っている。これらの妻妾の中には、公卿や大名の子女もすくなくない。たとえ秀次にどんな罪があったとしても、その妻妾になんの罪があるのでしょう。彼の耄碌は少年時代からの働き過ぎと、極端な女道楽と、大成功に心驕ったためだろう。豊家は二代にしてほろんでいる。しかももっとも悲惨な形で・・・晩年の秀吉は狂気に近い精神になっていたに違いない。(05.1.24) |
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ぴぴ 殿 |
若い頃と、晩年の評価がまっ二つな武将 と言う事を始めて知りました。若い頃は、人当たりが良く、人なつっこく、大勢の仲間達がいて、太陽のような存在ですか!いいですねぇ〜!それが、独裁色が濃く、思い込みの激しい爺さんになったのですか・・・。色々な人生があるのですね。大河ドラマ「利家とまつ」で、そういえば、若い頃の秀吉は、近所の武将達と行ったり来たりしていましたね。いつの間にか孤独な立場に・・・。権力者の宿命も淋しいものですね。後悪説・前悪説だったか、昔の倫理社会の科目で習いましたが・・・。本心を見抜く、悟りを開く、あれもこれも考えすぎたら歴史は、きりが無く、難しい。でも、歴史人物から学ぶこといいですね。時代劇も好きです。実は、考えすぎず、色々と洞察力が必要だと、今日の占いに出ていた私です。(05.1.24) |
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パンク侍 殿 |
俺は秀吉の評価が違ってくる理由としては、半兵衛・官兵衛・秀長の存在が関っている気がする。個人的には、彼らのおかげで秀吉は天下人になれたのではないか。半兵衛が死に、官兵衛を遠ざけ、秀長が死んでから、秀吉は独裁的になったのではなかろうか。独りになってからの秀吉はどうもおかしい。諫言してくれる軍師もいなくなってしまって独裁的になったと見ても多少は外れていないだろう。こう考えると俺は、半兵衛の早過ぎる死が残念である。官兵衛がいるが、やはり奴は頭が切れ過ぎて怖いから(笑)。でも俺、秀吉は嫌いなんだよなぁ。信長に忠誠誓ってたくせに、死んじゃえば天下を乗っ取るんだもん!!だから、豊臣家滅亡は自業自得かな(^^;) (05.5.1) |
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リリウム 殿 |
秀吉はそもそも幼いころ栄養失調ぎみで、なおかつ精神もフルに使って太閤まで上がった男。幼い頃の無理が祟ってボケの症状が出ていたと言われています。そのさいたるものが朝鮮出兵。豊臣家自身を滅亡に導いたのも秀吉自身と言えるのではないでしょうか。(05.7.11) |
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