伊達 政宗
(だて まさむね)

遅れてきた独眼竜


身長/159.4cm
血液型/B型
特徴:面長で骨太 頭でっかち
趣味:料理
愛煙家?
生没:1567〜1636年(70才)
本名:藤次郎政宗(とうじろうまさむね)
幼名:梵天(ぼんてん)丸
陸奥仙台藩62万石・初代当主

武 勇

8

 

 

戦 術

7

 

 

 

知 略

8

 

 

カリスマ

8

 

 

人 望

7

 

 

 

外 交

9

 

内 政

8

 

 

能力見解
武勇については、遺骸鑑定から骨太で筋力が発達していたことがわかり、かなり優れていたものと想像できる。作戦力、実行力ともに長け、騎馬鉄砲隊を生み出すなどアイデアも奇抜。
弱冠23歳で奥州のほとんどを制覇も、生まれるのが遅すぎた。同じ兵力で秀吉や家康と対戦していたら、乱世はさらに長引いていたかもしれない。どうにもならない点ではあるが存在感では三英雄(信長・秀吉・家康)に譲るか。
父、弟を死に追いやっていることで、人望にややマイナス点をつけた。しかし、南蛮との交易、秀吉、家康を向こうに回しての立ち振る舞い、そして自己PR度はまさに伊達男の面目躍如。卓越した政治力のなせる業だろう。

 

 
伊達政宗の生涯
西 暦
主な出来事

1567(永禄10)年

8月3日、米沢城に生まれる。父は伊達家16代当主輝宗、母は山形城主最上義守(もがみよしもり)の娘・義姫。

1571年(元亀2年)

疱瘡(ほうそう)を患い、右目を失明。

1577年(天正5年)

11歳で元服。藤次郎政宗と名のる。

1579年

冬、三春城主・田村清顕の娘、愛(めご)姫と結婚。

1581年

初陣。父とともに相馬氏と戦う。翌年、相馬氏を掃討し、伊具郡、信夫郡を奪還する。

1584年

10月、父輝宗隠居、家督を相続する。

1585年

父輝宗、畠山義継に拉致される。政宗、父もろとも義継を撃ち殺す
11月、畠山氏の居城・二本松城を攻めるが失敗。引き揚げるところを佐竹・芦名連合軍に襲われ、かろうじて撃退する。
(人取橋の戦い)
翌年、二本松城を攻め落とす。

1588年

2月、大崎氏を攻めるが大敗。
7月、交戦中の佐竹・芦名、大崎・最上と和睦。

1589年

6月、磐梯山麓・摺上原(すりあげはら)の戦い
芦名軍16000に対し、伊達軍23000。はじめは強い西風の影響で芦名軍有利に進むが、風向きが変わるや戦況一変。伊達軍が猛反撃を開始し、芦名軍をさんざんに打ち破った。芦名義広は、わずか数十騎に守られて逃亡。政宗は黒川入城を果たす。
奥州に覇を唱える。政宗弱冠23歳。

1590年

年頭、豊臣秀吉から小田原参陣を命じられ、膝を屈する。
だが4月、弟の小次郎を擁立した母に毒を盛られ、殺されかける。母をかばった小次郎を斬り、母は実家・最上氏を頼って出奔する。
6月、小田原到着。2ヶ月の遅参を咎められて幽閉。政宗は死を覚悟したのか、白装束で秀吉との謁見の場に出向く。そのことがかえって秀吉の興味をひき、旧芦名領をのぞく本領は安堵された。
秋、米沢に戻り、大崎・葛西一揆討伐に向かう。

1592年(文禄元年)

3月、朝鮮攻めに加わり、名護屋に出陣。秀吉から割り当てられた倍の兵(3000人)で上洛し、派手な軍装で人々の目を惹く。

1593年

2月、朝鮮へ渡り、晋州城攻撃等に参加し、これを落す。
9月帰国。

1595年

8月、豊臣秀次が謀反の疑いで高野山に蟄居、切腹を命じられた。この事件で、政宗や最上義光も疑われ秀吉に詰問されるが、のちに疑いが晴れ許される。

1598年(慶長3年)

秀吉の遺品・縞(しのぎ)藤四郎の脇差を受け取る。

1600年

9月、関ヶ原の合戦勃発。上杉氏の足を止めるため、戦う。上杉の支城「白石城」を攻略。
直江兼続軍と交戦中の最上氏に援軍を出す。

1601年

年頭より、仙台城(青葉城)築城に着手し、4月に仙台城に移る。それまでの居城・岩出山の民を仙台に移す。

1613年

支倉(はせくら)常長を遣欧使節としてローマに派遣する。

1614年

10月、大坂冬の陣に従軍し、大坂城を攻める。
真田丸の南西に長男秀宗とともに着陣するが、これといった戦闘もないまま和睦。

1615年(元和元年)

4月、大坂夏の陣に従軍。
道明寺の戦いでは騎馬鉄砲隊を率いて、後藤又兵衛、薄田隼人の軍と激突し、これを破る。
さらに
真田幸村軍と激突するが苦戦。数で圧倒的不利な真田軍にゲリラ戦法でかく乱される。やがて双方被害が大きくなったため兵を引くが、政宗はそれ以上の損害を恐れて深追いせず。 翌日、大坂城落城。伊達軍は傍観に徹したため、これといった戦果なし。

1620年

支倉常長、仙台に戻る。鎖国政策に失望し、2年後に死亡。

1626年(寛永3年)

秀忠に従って参内し、権中納言に任ぜられる。

1628年

11月、若林の屋敷に隠居。

1636年(寛永13年)

4月20日、病をおして江戸に向かう。すでにこのとき、死を覚悟していたらしい。
5月21日、将軍家光の見舞いを受ける。
5月24日、江戸の伊達屋敷にて死去(70歳)。死因はガン性の腹膜炎とも食道ガンともいわれる。遺骸は仙台経ヶ峰に埋葬された。

昭和51年、政宗の霊廟瑞鳳殿が再建されたおり、政宗の遺体が発掘され、鑑定が行われた。その結果、身長や骨格が明らかに。

 

関連映像
関連史跡
 
青葉城(仙台城)&伊達政宗像


戦国ファンが斬る! 政宗 評

菊川晴信(極真流空手家18歳) 殿

政宗公は藤原氏、だけでなく父の実家・平氏岩城家、母の実家・源氏最上家、さらに祖父晴宗の実家・平氏芦名家、さらにさらにひひ祖父尚宗の実家源氏大崎家と二代源氏、二代平氏の子孫にも当たりますね。
さすがは政宗公。毛利元就、信玄公の知恵、統率と勝負したら、日本が三つに傾きそうですね。 (03.11.30)

翔太郎。 殿

政宗様大好きなんですっ! あ、ちなみに私女です。一番の理由はやはり性格面でしょうか。それにあの悲劇性(?)母親に殺されかけて…。きっと母もB型で、父と小次郎はA型かO型だったんですよ。とにかく好きです梵天丸ちゃん。私に出来る事は命日に悲しむことと、誕生日を祝う事だけです…ある意味変態。(04.5.30)

いっき 殿

戦いのなくなった33歳以降の政宗の後半生は、前半生と比べてパッとしない・・・無礼にも徳川家光の前で酔いつぶれて寝込んじゃうし、酒乱のあげくは細川忠興が息子宛ての手紙の中で「政宗は狐に憑かれた」と狂人扱いされるし!? でもこういう滅茶苦茶なところがこの人の魅力だったりします。(04.12.31)

才蔵 殿

政宗公があと二十年早く生まれていれば、出羽、陸奥の二ヵ国を制覇し、十万を超える大軍団を率いて白河を超え、北条氏政の関東を席巻し、武田勝頼を併呑し、浜松、岡崎を蹂躙して尾張に殺到。そして小牧あたりで近畿の覇者、織田信長と天下分けめの大決戦。なんちゃって。さすがにありえないっすね。(笑) (04.12.31)

びすまるく 殿

私が政宗に関するエピソードで一番好きなのが、秀忠の接待をしたときに政宗自らが膳を運び、毒殺を心配した幕臣にそれを咎められると「自分が将軍を殺そうと思ったのは10年も前のことで、その時でも毒殺などという手は使わない。一度は馬上に千代田の城に攻め寄せ、堂々と勝負を挑むつもりだった」と言ってのけたというものです。これは関ヶ原の後に家康の内意を受けて様子を探りに来た山名禅高に対し「関ヶ原の折、天下を取ろうと思えば取れたが、そうせずに隠居しているのだからつまらない疑いをかけるな」と一喝した黒田如水によく似ていると思います。両者ともハッタリかもしれませんが、この両者であればこそこのような台詞がビシッと決まるのだと思います。かっこいいですよね。ただ、若い頃の政宗はやはりちょっと策謀家めいたところがあって同年代の立花宗茂や真田幸村の爽やかさはなく、その点では武田信玄に通じるものがあると思います。(05.5.1)

LUCIA 殿

関ヶ原の戦いで功績を収めた伊達政宗は、徳川家康から「62万石」を頂戴するが、本当は半分の「31万石」だった。家康に「政宗に31万石使わす」と言われたが、返事をしない政宗。もう一度家康が「政宗に31万石使わす」と言ったところ、顔を上げ「合わせて62万石頂戴する」と言い、倍の62万石を貰ったと聞いたことがあります。政宗らしいですよね。(05.7.11)

峰徳森山 殿

このような事実を最近知りました。大阪夏の陣で攻撃の邪魔を理由に徳川方の神保相茂(六千石の旗本)隊を一斉射撃で全滅させたり(島津家がクレームを付けたが家康からのお咎めは無し)したそうです。油断ならない人物ですよね。秀吉や徳川三代は勿論のこと、隣国の佐竹義宣や最上義光は当然かなり警戒してたでしょう。関ヶ原や大阪の大戦以後は危険人物として徳川政権を恐れさせる事も楽しみにしていたのでは?

徳川幕府成立後、参勤交代で江戸に正宗が来る時は秀忠や家光は自ら遠くまで彼を迎えに行ったといいます。また家康や秀忠も死の間際に彼を呼び出して息子の後見を依頼しています。危険視される傍ら信頼もされていたんですね。ちょっと問題のある人物ですが最後の戦国大名と言ってもいい人物だと思います。(06.9.18)

智拳印大日如来 殿

母親が最上の姫でなかったら、東北の覇者にはならなかったでしょうね。あとは、片倉小十郎景綱がいなくても同じ。この武将はす〜ごく幸運にも恵まれたと思います。人取橋、阿武隈川のおやじの捨て身、摺上原、ずっと後の秀吉の小田原攻撃の強制、蒲生氏里の密偵・・・・よく生き残ったと思います。07.5.5

 

この人物について貴殿の一言、お待ちしております!
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