壇の浦古戦場

所在地

山口県下関市、みもすそ川公園一帯

交通

JR山陽本線下関駅からバス10分

訪問おすすめ度(5段階評)

★★★★4


その昔、源義経が平家を滅ぼした古戦場。荒波の関門海峡を眺めているだけで、当時の合戦の様子が蘇ってくるようだ。海岸に建てられた碑には「壇の浦古戦場跡」と刻まれている。すぐ近くに関門トンネル人道口があり、海底トンネルを歩いて九州へ渡ることができる。(上写真は2006年8月撮影)

(壇ノ浦の戦い)屋島の合戦に敗れた平宗盛率いる平家軍は、長門国彦島に陣を置く知盛と合流。やがて襲来した源氏軍を、ここ壇ノ浦で迎え撃った。時に寿永四年(1185年)3月。卯の刻(午前6時頃)に始まった戦いは、潮の流れを利用した平家有利に進むが、潮の流れが変わると形勢は一変。義経の奇策もあって源氏が勢いを盛り返し、平家の軍中は裏切り者も出て大混乱に陥り大敗。平清盛の妻・二位尼は8歳の安徳天皇を抱いて入水し自害。負けを悟った一門も次々と海に飛び込み、ここに平家は滅亡した。

左は、元々このページに載せていた初めて訪れたときの写真(1994年11月撮影)。上と見比べると、碑や手すりが新しくなっているのがわかるだろう。以前は、舟のように象られたコンクリートの土台に碑が置かれていたが、現在は土台が取り除かれて直に碑が建てられ、周りに芝が植えられている。松の木は当時のものだったのかわからないが、海も橋も以前と変わりなく、悠然とその姿を留めている。


下にも掲載しているが、現在はこの手前に源義経と平知盛の銅像や、
幕末の長州砲(カノン砲)模型などがズラリと置かれ、
団体客が訪れる観光名所となっている。
この日もバスで訪れた老人の団体客でにぎわっていた。
以前のようにポツンと碑が立っていただけの光景が懐かしい気もする。

昔行った城や史跡に何年ぶりかで再訪すると、
このようにすっかり状況が様変わりして感慨深いものがある。
発掘調査が進んでより多くの遺構や出土品を見ることが
できることもあるし、手が加わったことで
すっかり観光地化していてガックリ来ることもある。

今回はどちらかといえば後者であったが、
義経の像も大砲もなかなか格好良かったので良しとしたい。
でも像の下にあったタッキーの手形はいらんなあ(笑)。
つい最近なのだろう、大河ドラマがらみのイベントもあって
脚光を浴び、市のほうで観光地化に力を注いだようだ。



以下、2006年9月に再訪した折に撮影した写真です。

海峡をバックに、双方の大将格・源義経と
平知盛の銅像が建っている。

八艘飛びをイメージした義経像。
ポーズなどは公募イラストで決まったらしい。

迎え撃つは碇を持ち上げる平知盛。
碇を背負って入水したという言い伝えによるもので
別にこれで闘ったというのではないわけだが…
まあ、なかなか迫力があっていい。

その脇には烏帽子姿の
紙芝居屋のおばちゃんガイドが居た。

幕末には、長州藩が外国船(英・米・仏・蘭の
四カ国連合艦隊)に向けて無謀にも大砲を
ぶッ放した場所でもあることを表すように、
そのカノン砲模型を展示。

これは左の大砲群より以前から置かれて
いた長州砲で、フランスが戦利品として持ち帰り
その後長州藩に返却されたものだそうな。


海岸から車道を挟んですぐのところに、
関門トンネル人道口入口がある。
ここからエレベーターで地下へ。

地下60m、長さ1キロ程度の海底トンネル。
その真ん中あたりに県境を示す案内が。
なぜかバスガイドの姉ちゃんたちが
うれしそうに記念撮影していた。

トンネルを渡り、北九州の門司(もじ)側から見た
関門海峡と壇ノ浦。
出てすぐのところに和布刈(めかり)神社がある。

レトロな佇まいの門司港駅。
トイレに大正当時の手水鉢や便器も置いてある。

門司港と下関の唐戸港は、船で約5分と近い。
1時間に3本程度運行している。

唐戸港からは巌流島行きの船も。
所用時間は10分とこれも近い。

唐戸港近くにある、リーズナブルなフグめし屋。

フグ天丼(550円)はなかなかの珍味だった。

壇ノ浦の近くにある赤間神社。
壇ノ浦で海に身を投げた安徳天皇の陵墓や
戦死した平家一門の墓などがある。

神社から、やや下関駅寄りの丘の上には
高杉晋作像が街を見下ろすように建つ。

そのすぐ下の晋作通りには、
晋作の胸像もあるのだが、顔が怖い(笑)。

下関駅の反対側には、
奇兵隊結成(1863年)の地を表す碑がある。
元は回船問屋の白石正一郎宅で、
現在は四国電力の敷地。
周辺には晋作の最期の地なども。

戦国・史跡ファンによるご感想と情報

みしぇる 殿

私がまだ短大生のころ、一人旅と称して瀬戸内海を歩いていたときのこと。その時は、まさかそこが壇の浦だとは知りませんでしたが、電信柱のところに鎧をきた人を見ました。ふと横をみてみるとそこには「壇の浦 平家滅亡の地」という立て札がしてありました。正直いってちょっとぞっとしましたよ!(01.5.1)

哲坊

確かに、あまり史跡らしいものは残っていないので(古戦場だから当り前か)、知らないで通りすぎてしまうかもしれませんな。が、やはり知っているのといないのとでは、価値が全然違います。拙者が行ったときは、朝焼けの空と荒々しい海が見事にマッチし、実に神々しい雰囲気でした。

きむ 殿

壇ノ浦のすぐそばに赤間神社というものがあります。壇ノ浦で女官と共に海に身を投げた安徳天皇がまつられています。海でなくなった天皇をしのび竜宮城をコンセプトにした神社です。さらに境内には平家武将の墓や小泉八雲の小説で有名な「耳なし芳一」の碑もあります。海の景観だけで満足せずに立ち寄られることをお勧めします。ついでに、幕末の長州と四カ国艦隊との決戦の跡もほぼ同じ場所です。関門トンネル人道入り口近くに当時の「長州砲」も展示されています。(関門の住人 きむ) (03.1.21)

哲坊

おお、それは不覚でした。8年前に行ったきりなので、機会があれば是非もう1度観に行きたいものです。(03.1.21)

三河の山猿 殿

学生時代に史跡巡りとして訪れました。皆様書かれていますように、何も碑以外工作物等存在しない為、著名な場所でありながら、魚の匂いがきつかったという以外印象がありません。(ここは世紀の合戦が行われた場所なんだと、何とか妄想に浸ろうとは努力はしました)

それよりも印象に残っているのは、赤間神宮です。神社自体は明るいのですが、隅にある平家一門の墓です。ここだけまるで平家の怨念が今も生き続けているような、不気味な物を感じました。(まあここだけ生い茂った木の下にあるからだと思いますけど)以前は幕末関係の下関近辺の散策は行わなかったので又行きたいです。(05.11.19)

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