浜 松 城

所在地

静岡県浜松市元城町

交通

JR東海道本線浜松駅より徒歩20分、バスで5分(浜松城公園下車)

築城年

1570年(元亀元年)

築城者

徳川家康

主な城主

徳川家康、堀尾吉晴、松平乗寿、水野忠邦ほか

主な遺構

天守閣(復元)、石塁、天守台、濠、井戸

訪問おすすめ度(5段階評)

★★★3

城の背景/家康が、岡崎城を息子・信康に譲り、旧・今川家の支城である引馬城を廃して築き移り住んだ城で、29歳〜45歳までの17年間を過ごしている。有名な姉川、三方原、長篠、小牧・長久手の戦もこの期間に行われた。家康の後は堀尾吉晴、幕府譜代大名が城主を歴任して明治に至り、城郭は取り壊された。昭和33年、市民の熱望により天守閣が復元された。


「若き日の家康公」と題する像。
確かに
駿府城のものに比べて非常に若い。

現存する石垣は築城当時のもので、
野戦城にふさわしい荒削りな石を、
野面積みと呼ばれる技法で積み上げている。
一見、崩れやすいように見えるが、
400年の風雪に耐え、
今なお戦国の面影を残している。


天守閣入口脇。
夜は篝り火が焚かれる…わけがない。


これも荒々しい戦国らしさを残す、本丸の井戸。


天守閣内に飾られている、
「三方原で信玄に敗れてしょぼくれる家康」画。
有名な絵ですな。


市役所前にある、「鎧掛けの松」
三方原で敗れて逃げ戻った家康が、
この松に鎧をかけて休んだといわれる。
たぶん本当なのだろう…(笑)


ミニはっぴ(350円)
今回の旅では、あまり戦国グッズを見つけられなかったので
これは嬉しい(笑)。色は赤もあり。
(2001.8.23記)

 

戦国・史跡ファンによるご感想と情報

11コーさん 殿

三方ヶ原の戦いに敗れた家康が、城に逃げ帰る途中で腹が減って小豆餅を食べた所(小豆餅)と、追手が来たので金を払わないで逃げ、茶屋のオババが追い駆けて金を取った所(銭取)の地名が残っているのが面白い。しょぼくれの絵も、戦に負けたためなのか餅の金を取られたためなのかと考えてしまいます。(04.4.13)

哲坊

http://www.geocities.jp/mk8231_1085/ieyasu-syasin.indx.html
小豆餅の参考サイトです。三方ヶ原の戦いには、面白いエピソードが満載ですな。史実かどうか、そんな事はこの際言いっこなし。(04.5.30)

ハチ 殿

この連休に行こうかと思っています。三方が原から逃げ帰る距離を実感してみたいのと、途中、どの辺りで脱糞したのだろうとか考えながら車で走ってみたいと思います。(04.5.30)

Yのリーダー 殿

なぜ家康は浜松に城を築いたのでしょう? その横には遠江の中心として国分寺のころから栄えていた磐田があったのに。実は家康も最初は磐田に築城しようとしたらしいです。でもそれを快く思わなかった人物がいました。そう、信長です。磐田は天竜川の東岸ですから、もし家康が寝返った場合、家康攻めをする際に天竜川が天然の要害になってしまうので、武田軍のけん制のためという口実の元、天竜川西岸の浜松に築城させたということです。

他にも、旧東海道が袋井・見附と浜松の間、磐田(中泉)で不自然に南下して元に戻るというルートをたどっていますが、これも東海道が直線だと武田軍の進軍速度があがってしまうので、それを遅らせるために家康がそうさせたという話をききました。もっとも直接聞いたわけじゃないですからどこまでがホントかわかりませんが、そう思って浜松・磐田を散策すると面白いですよ。(04.10.5)

三河の落武者 殿

先日浜松城へ行ってきました。ただ模擬天守閣を見るだけではつまらないので近くの図書館で城郭図をコピーして歩いてみました。実際、歩いてみると高台の上に築城したのがよく分かってよかったです。ただ、当然とはいえ市街地には案内がなかったので分かりにくかったです。(04.10.5)

下手の城好き 殿

浜松城の一番いいところは石垣です。けっして綺麗なとは言い難いのですが、味があるといいますか、愛着の持てる石垣ですね。(05.1.24)

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