弘前城

所在地

青森県弘前市大字下白銀町1

交通

JR弘前駅から徒歩約20分(バス便あり)

別名

鷹岡城

築城年

慶長16年(1611)

築城者

津軽為信・信枚(のぶひら)

主な城主

津軽氏

主な遺構

天守閣、三棟の櫓、五つの城門(以上、国指定重要文化財)、石垣、土塁、堀

訪問おすすめ度(5段階)

★★★★4


城の背景/
1590年(天正18年)、南部氏に従っていた大浦為信は、戦国時代末期に津軽一帯を平定。豊臣秀吉から津軽三郡の所領を安堵され、姓を津軽と改める。1603年、為信は軍事に適した場所として鷹岡(現在の弘前)を選び、この地に城を築き始めるが、翌年に京都で病没し築城は中段してしまう。家督を継いだ三男信枚が、それから5年後に工事を再開し、およそ1年後の1611年に完成させた。5層5階の天守閣のほか、8の櫓、12の城門が建ち、三重の濠に囲まれた大規模な要害となる。1627年(寛永4年)、落雷によりの天守を焼失。以後、財政難もあって200年近く天守の無い時代が続いたが、1810年(文化7年)に9代藩主・津軽寧親が幕府に願い出て本丸に現存の3層天守を再建する。

1871年(明治4年)廃藩置県により廃城となるが、1868年に奥羽越列藩同盟をいち早く脱退して新政府に加わったことで、城の取り壊しを免れたともいわれる。なお、この地は小高い丘にあったため、鷹岡(高岡)と呼ばれていたが、1828年(寛永5年)に弘前と改められた。






小ぶりながらも、200年近い風雪に耐えてきた
3層3階の美しい天守閣


元々は本丸にあった辰巳櫓を解体し、
その部材を使って再建されたという。
東北で唯一、現存する天守でもある


天守閣の内部。
床を保護するためか緑色のシートが敷かれている。


石落としなどが残り、往時のままの姿をとどめる


天守閣は資料館にもなっており、
貴重な史料の数々が観られる(入場300円)


弘前駅方面から普通に歩いていくと、
追手門が現れる。スケッチをする学生たちがいた


四の丸に残る北門は、残された門の中でも最古の形式。
弘前城は実戦の記録がないはずだが、
ここに多数の矢傷が発見されているという


堀、石垣もほぼ原型のまま保存され、
今も歴史を刻んでいる


二の丸に建つ未申櫓


植物園の対岸に建つ辰巳櫓。
内部はすべて立ち入り禁止で残念だが、
櫓の中も観てみたいものだ


四の丸にある護国神社


公園内にはアイス売りのおばちゃんたちも。
高知城のアイスクリンに似た感じだ



東北地方で唯一の天守が現存する城。さすがに戦国時代の天守は焼けてしまったが、それでも築200年の天守は小さいながらも旧状を良くとどめている。城周辺は公園で自然も多く残され、じっくり観て回れば半日は居られそう。宿泊は弘南鉄道で黒石方面へ出て、温湯(ぬるゆ)温泉、宝温泉、落合温泉などの温泉地がいい。時間をかけて訪れたい城である。(2004.5 訪問)


戦国・史跡ファンによるご感想と情報

ボブ

弘前城はなんと言っても5月、桜祭りが最高だ。お化け屋敷。見世物小屋。デカイ桶の中をバイクがグルグル回るヤツ。この三つがお勧めです。特に見世物小屋がお勧めです。小さい頃に行ったので記憶が曖昧ですが、河童がいました。強烈なのは婆さんが出て来て、死んでいる毛の生えたままの鶏にカジリついていました。お城はライトアップされた夜桜で一杯ですね。07.12.22


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