蜂須賀小六の墓

所在地

徳島県徳島市眉山町

交通

JR徳島駅下車、徒歩20分(またはバスで5分ロープウェイ前下車)。阿波踊り会館内よりロープウェイで眉山山頂へ(約6分)。そこから徒歩15分。


まずは眉山(びざん)ロープウェイで山頂へ。

山頂から眉山公園を、登ってきた方と
反対側に降りてゆくと、こんな案内板が。


あった…いや、これはただの道標。


木々の間をぬって進むと、
鳥居の奥に出現。


真墓である、とは書かれているが…
昭和になって大坂から移したのに、
墓の下に本当に小六が眠っているのだろうか?

山頂のレストランで、
四国名物の
「たらいうどん」も味わえる。


 大永6年(1526)に生まれ、天正14年(1586)に没した蜂須賀小六正勝は、長きにわたって秀吉に付き従い、晩年には高松城攻めや中国大返しでも活躍。拝領した阿波一国を子の家政に譲り、自らは最後まで秀吉の側近くに仕えた。

 この墓はもともと大坂城の近くにあったものを、蜂須賀家の領地であるこの地に移したものらしい。しかし、同じ徳島市の下助任町2丁目・興源寺(蜂須賀家の菩提寺)にも妻・まつとともに墓があり、さらに地元・愛知県の蓮華寺にも子家政との合葬墓碑と位牌が残る。どれが本当の墓かは謎だ。

実は2001年10月に、こんなニュースがあった。
【蜂須賀小六の墓荒らされる 妻の墓石もなくなる】
徳島市下助任町の興源寺にある豊臣秀吉の家臣だった蜂須賀正勝 (幼名小六)の墓が倒され、妻まつの墓石がなくなっていることが 3日、分かった。徳島東署は窃盗などの疑いで捜査を始めた。 調べなどによると、正勝とまつの墓石は球形の石などを五重に 積んだ「五輪塔」形式。同寺の近所に住む参拝者が8月下旬、 まつの墓石の上4段がなくなっているのに気付いた。市教育委員会 などが調べたところ、正勝の墓石も上4段が倒され、一部は破損 していたという。

うーむ、歴史ファンとして許せん事件だ…。(2003.1.21 哲坊)

戦国・史跡ファンによるご感想と情報

おが 殿

墓に関しては真墓がどれかはっきりしないものが多いですが、掘り返して確かめるなどと言う罰当たりなこともなかなかできませぬからな。それにしても、墓荒らしとは許せぬ行為ですな。最近の乱れた世を象徴しているような出来事にござりまする。ところで、眉山の小六墓は、思わぬ穴場なのでお近くの方はぜひ足を運んでくだされ。(03.2.23)

サル 殿

一歴史ファンとして墓荒らし等、人道に反するものであり許せない行為であります。正勝候の御霊を汚す者には必ずや報いが・・・・・・。一年程前に数回、蜂須賀小六の墓参りに行きましたがとても静かで自然の環境に恵まれすばらしい場所にありました。中世の時代に想いを馳せ、藤吉郎と子六父子の3人でどんな話をしていたのかとしばしの間瞑想してしまいました。(06.3.9)

まつ 殿

亡父が我が家は「蜂須賀家の末裔」と言っていたのを思い出して検索し、こちらにたどり着きました。当方、愛知県の出身です。(06.8.19)

智拳印大日如来 殿

戦国武将の墓が複数あるのは、遺品を故郷に持ち帰ったり、討ち取られた時に首をしるしに持ち帰ることで、首と胴体に2分割されていること等で生じるのでしょうね。小六の直系の子孫の方が東京都板橋区常盤台で焼き鳥屋さんをやっておられたが、もう何年も行っていません。07.5.5


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