丸 亀 城

所在地

香川県丸亀市一番丁

交通

JR予讃本線丸亀駅徒歩15分

築城年

1597年(慶長2年)

築城者

生駒親正

主な城主

生駒親正、生駒一正、山崎家治、京極高和

主な遺構

天守閣(重要文化財)、大手門(重要文化財)、本丸、二の丸、石垣、長屋、濠

訪問おすすめ度(5段階評)

★★★★4

城の背景/丸亀がかつて亀山と呼ばれていた室町初期に、讃岐守護職細川氏の家臣が築城したのが起こりで、その後讃岐を治めた生駒親正が本城の高松城に次いで慶長2年に整備、本格的に築城を開始。関ヶ原の後、親正の子の一正がこれを改修して丸亀城とした。一国一城令では高松城を残して丸亀城を廃城としたが、土を盛って石垣を隠し、樹木を植えて城を隠し、破壊をまぬがれたという。寛永18年(1641)に山崎家治が天守閣を修築し、これが現存している。





天守閣は三層三階と小さいが、まぎれもなく当時のもので、これを見るだけでも来る価値がある。ただし、冬のシーズンは内部を公開していない。石垣もよく保存されており、美しい。城の形や規模もよくわかる。本丸周囲は公園だが、売店もない。しかし、何も無いのが史跡好きにとっては良いところでもある。
(2002年1月15日撮影)


小さいながらも存在感ある天守閣。

大手門と堀。


大手門より天守閣を望む。

大手門近影。

保存状態良好な石垣。

本丸井戸。こんな屋根はいらないのだが…(笑)

戦国・史跡ファンによるご感想と情報

つね 殿

丸亀出身なもので、紹介されていると嬉しいですね。でも、「扇の勾配」と言われる石垣の美しさに対しての言及が少ないのが不満です。それくらいしか取り柄ないんですから。(03.7.8)

alfujita 殿

高松城が海を大手として築かれたのに対し、丸亀城は山側を大手として構想されました。つまり、土佐から白地城を前線拠点として讃岐に侵攻してきた長曾我部家への押さえが本来の機能です。後に、瀬戸内水運の発展に伴って大手を北側に移しました。
しかし、本来の計画が南大手であったのは、現在の大手方面、見返り坂から本丸までの防御線に比較して、南側の石塁の防御線が極めて複雑であること、三の丸に侵入しようとすると二の丸の二重櫓から制圧される位置関係にあること、現在では裏道のように扱われている天守閣北直下の道が二の丸の大手であること、などからも類推することができます。(03.7.8)

さく 殿

先日仕事のついでに訪れてきました。残暑厳しい中、本丸までの坂道は結構こたえました。天主の入場料は100円で、お城の入場料としては再建、模擬天主も含めて私の行った中では最安値です。高石垣はとても美しく、石垣好きの私としては良い城です。 (03.9.23)

哲坊

おお、羨ましい。実は、私が行ったとき、天守は冬だったせいか閉まっていて入れず(笑)。天守の中はどんな感じだったでしょうか? (03.9.23)

家久 殿

この城には三回も行きました。何度行っても石垣の上からの眺めは飽きません。東京からは少し遠いのが残念です。(04.3.8)

浦上備前之浪人 殿

昨日、「丸亀城→(讃岐)高松城→備中高松城」に行ってきました。丸亀城は一年前に一回行ってますが、いつ見ても飽きないですね。それにしても「見返り坂」はきつかったですね。そういえば見返り坂に小学生(中学生かな?)とその担任の先生がクラスで来ていて、そこで短距離走してましたよ。暑いのに元気いいなァと思いました。

天守の中は階段が急で怖かったです。基本的に一階に甲冑や京極氏の家系図などの資料があって、二階三階は何も無かったです。天守からの眺めも、あまり良いものとはいえませんでした。でも、戌亥櫓跡や月見櫓跡から見る瀬戸内海(瀬戸大橋)や讃岐富士は絶景でした!(04.8.26)

 

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