|
|
![]() |
所在地 |
福井県坂井郡丸岡町霞町 |
|
交通 |
JR北陸本線丸岡駅からバスで20分、本丸岡下車、徒歩約10分。(ただし電車の止まる本数が少ないため、福井駅からバスに乗る方が便利。京福バスで40〜50分、「丸岡城」下車すぐ) |
|
|
築城年 |
1576年(天正4年) |
|
|
築城者 |
柴田勝豊 |
|
|
主な城主 |
柴田勝豊、安井家清、本多重次、有馬清純 |
|
|
主な遺構 |
天守閣(重要文化財)、本丸、石塁 |
|
|
訪問おすすめ度(5段階評) |
★★★★★5 |
|
|
城の背景/天正4年(1576)、越前守護職・柴田勝家の甥、柴田勝豊は豊原城から丸岡に移り、丸岡城の築城に着手。勝豊以後、安井家清、青山修理亮、今村盛次、本多成重以下4代、有馬清純以下8代の居城を経て明治維新を迎え、その後、明治34年に丸岡町の所有となった。昭和9年に国宝に指定されたが、福井大震災(昭和23年)で倒壊してしまう。昭和25年、重要文化財に指定された後、昭和30年に修復・再建されている。 |
||
|
昭和30年に修復されたとはいえ、天守閣は当時のままの状態で保存され、現存する天守閣の中では日本最古を誇る。濠は大正中期から昭和の初期にかけて埋められ、本丸と天守閣、僅かな石垣を残し、城域は公園となっている。屋根は二重、内部は三層と古調に富んだ望楼式天守閣で、後の時代に建った松本城、姫路城などの層塔式天守閣と比べてもずっと古い城郭建築であり、貴重なものだろう。 |
![]() 小さいが、余計な飾り付けはなく まさに戦国の城の面影。 |
![]() 建物の大きさに比例して、入口も小さい。 |
![]() 内部もこのとおり、何もない。 何もないから、史跡ファンは惚れ惚れする。 |
![]() 勝豊も眺めたであろう天井。 見れば見るほど質素で無骨だ。 |
![]() 現存天守の一番の特色は、やはりこの 急な階段であろう。 バリアフリーも何のその、これぞ戦国の城である。 |
![]() 子供たちも恐る恐る上り下り。 |
![]() 階段を上から見てみる。 このロープだって、当時は無かったんだろうな。 |
![]() 天守より、丸岡の町を望む。 金網など張っていないところがいい。 |
![]() 違う角度から。 |
![]() お静慰霊碑。この城の人柱に使われたという 悲劇の後家の伝説が残る。 |
![]() 「一筆啓上、火の用心、おせん泣かすな、馬肥やせ」 鬼作左と恐れられた本多作左衛門重次が、 陣中から妻に宛てた手紙の内容を表した碑。 「おせん」は後に丸岡城主となった本多重次の幼名。 |
![]() 天守閣の下には売店があったが、 この日は閉まっていた。 公園には歴史民族資料館も併設されているが 特に目をひく展示物はなし。 |
|
(2002.10.19 哲坊撮影) |
|
|
戦国・史跡ファンによるご感想と情報(募集中) |
|
|
哲坊 |
訪問データをまとめがき。 |
|
KEN STYLE EMINA 殿 |
私の嫁の母方の爺さんは、嫁の母の里に養子に入っていて、養子に入る前が徳島県海部郡海南町浅川の丸岡にいたと言う。この爺さんが小冊子を30部弱作ってて(1部は徳島大学に有る)その中にはこの丸岡の御先祖は、天正元年には丸岡城主に成っていて、後柴田勝豊に戦で敗れ、徳島の浅川に逃げ延び何も無い浅川に町を作ったと書かれている。詳しくはこの小冊子を見に来られたし! (05.7.11) |
|
自転車で城巡り 殿 |
今年(2005年)の5月にはじめて丸岡城を見に行きましたが、そろそろ近くにきたかなと空を見上げたら建物のあいだに、「これは古いぞ!」と一見して思いました。天守は小さいながらとても姿がっかこよく、写真をとるお年寄りの姿が数名見受けられました。中に入ってみるとまず柱の古さに驚きます。あまりの古さに歴史を感じます。またものすごく急な階段があり、まさに人を寄せ付けないような感じでした。 城の受け付けの人に聞いたところ、一度国宝に指定されたが昭和7年の福井大地震で倒壊、建物そのままは復元できたが石垣は同じには復元できなかったよう。しかしながらすばらしい城でした。最近の新築のような城のはまったく違ったものでした。また丸岡市には城丸君というキャラクターがあり、丸岡城の下にある売店で城丸君のマスコット付携帯ストラップが購入できます。表情が何種類かありました。北陸道の丸岡市内のパーキングではあつかっていなかったのでここでしか買えないレアなものかもしれません。(05.7.11) |
|
|