松 山 城

所在地

松山県松山市丸の内

交通

JR予讃本線松山駅より伊予鉄道市内電車で大街道下車・徒歩5分 ロープウエイで山頂まで約3分

築城年

1602年(慶長7年)〜1627年(寛永4年)

築城者

加藤嘉明、蒲生忠知

主な城主

加藤嘉明、蒲生忠知、松平定行

主な遺構

天守閣、各種櫓、石塁、井戸など

訪問おすすめ度(5段階評)

★★★★★5

城の背景/もと秀吉配下・賎ヶ岳七本槍の一人で、関ケ原の功により伊予20万石の大名となった加藤嘉明(よしあきら)が築城。このとき、この地が松山と命名される。のち日本三大平山城の1つに数えられるこの城は完成まで26年もの歳月をかけられた。嘉明が会津へ転封されると、次代城主・蒲生忠知(蒲生氏郷の孫)が二の丸を完成させる。その死後は松平家が入城し、明治維新まで17代続く。1779年、天守閣が落雷で焼失するが、1835年(天保6年)になって再建され、これが現存している。

天保6年に再建された天守閣は、さすがに偉観を誇り、
ずっしりとした重みを感じさせてくれる。
その他、門や櫓など重要文化財に指定されたものが多く残されており、
歴史好きを唸らせる史跡となっている。
平山城なので山頂まではロープウェイかリフトで上ることができる。
(城鑑賞券とセットで750円)
(2001年1月22日)


本丸の南・太鼓櫓と石垣を見上げる。

隠門(重要文化財)。
大手門ともいえる、筒井門の脇にあり、筒井門に迫る敵の背後を急襲するために造られたという小さな門である。


間近より見上げた天守閣。

天守閣から松山城下を見下ろす。

城内に展示されている、加藤嘉明の直筆書状。

3代当主・松平定行の鎧。(記憶あやふや)

戦国時代の鎧。飾りがなく、実戦向きといえる。

初代当主・加藤嘉明の鎧と陣羽織。(手ブレ御免)
さすがに他の鎧とは違う所に展示されている。風格も違う。

戦国・史跡ファンによるご感想と情報

於我 殿

四国には、他にも高知城や宇和島城、丸亀城などが残っておりまするが、最も壮大なのがこの松山城でしょうな。城内の展示品も貴重な品々ばかりなれば、一度足を運んで見て下され。絶対、損はさせませぬぞ。松山城観光の後は、道後温泉にてごゆるりと・・・。(01.1.30)

さく 殿

昨年の夏訪れました。いいですね!まさに実戦的な城でした。松山には年に何度か行きますが、松山城は何度も行って見たい城です。特に桜のシーズンはよさそうです。(04.3.8)

スティックのり 殿

年に何度かカメラをもって登城しています。梅から桜の咲く頃が最高ですね。2004年10月から2年間、天守閣が改修工事に入るそうです。(04.10.5)

牧内 殿

桜の季節に行きました。きれいでした。お城が長方形の台地の上にのっかっているという印象を受けました。ロープウェーも楽しみのひとつかも。下りはじっくり歩きました。このあたりは駐車場が有料ですね。(05.11.19)

 

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