名古屋城

所在地

愛知県名古屋市中区本丸

交通

JR東海道本線・名古屋駅から地下鉄・市役所下車 徒歩10分

築城年

1614年

築城者

徳川家康

主な城主

代々徳川家

主な遺構

西南隅櫓、東南隅櫓、西北隅櫓、表二の門(以上が重要文化財)
本丸、西の丸、深井丸、二の丸庭園、石塁、濠
《復元》天守閣、小天守、正門

訪問おすすめ度(5段階評)

★★★★4

城の背景/前身は、室町時代末期に今川氏親が築いた那古野城。亨禄5年(1532)に織田信秀が奪い、その後、信長が清州城に移るまで居座る。その後、慶長15年(1610)に徳川家康は西国に睨みをきかすため、また九男・義直のために、清洲城を町ごと那古屋へ移築させ、城の改修や増築に着工する(那古屋城は信長が清洲に移ってからは廃城になっていた)。前田、池田、毛利、加藤、福島などの西国大名を助役とした大掛かりなものであった。

4年後に完成した天守閣は五層六階で高さ45mの偉観を誇った。家康は西国と関東を往復する際、よくここへ立ち寄り天下統一の足がかりに利用した。以後、明治維新までの二百数十年の間、徳川氏が治める。幸いにも取壊しを免れたが、天守閣、小天守は第2次大戦の戦災で焼失してしまった。現在のものは昭和34年に復元された。

一大観光地だけあって、観光シーズンや土日はかなりの人で賑わっている。じっくり観たいなら平日がおすすめだ。天守閣は復元なので内部は大したことがないが、よく保存されている城郭の遺構や重要文化財の櫓は一見の価値がある。

天守閣の金の鯱は有名だが、江戸時代に3度修理の名目で取り替えられた。1〜2回目は藩の財政が逼迫したために、金の質を落としたものに替えられたという。1846年にはもとの上質な鯱に戻され、東京やウイーン博覧会でも展示されるなど世界的に有名になったが、やはり戦災で消失した。現在の鯱も天守閣同様に昭和34年に再建されたものである。昔と同じく木製の原型に銅の鯱をかぶせて、18金を張った構造だという。(2003年11月訪問 哲坊)


石垣の見事な様はよく残されている。
程よい具合に草木がへばりつき、
過ぎ去った年月を感じさせる。

天守台の石垣工事を担当した、加藤清正の像。
陣頭指揮をとって石を運搬させたときの姿

石垣に残る巨石。清正がこの石に乗って
督励したとされ、「清正石」と名付けられた

重要文化財の東南隅櫓。(辰巳櫓)
例年、秋の菊人形展の時期に内部公開される。

で、ちょうどこの日は公開期間だったので
運よく中に入ることができた

外観は二層だが内部は三階建て。
往時のままの内部は無骨ながら美しい

菊人形展の期間中には、家康をはじめ
信長、秀吉、春日局などの菊人形が展示される

天守閣。中央に見えるのは身障者用エレベータ。
大阪城などと同様バリアフリーの城である

城内には当時の石垣が一部保存されている

天守閣の案内板。往時と同様、
小天守と大天守は回廊で結ばれている


城内のトイレ。むちゃくちゃキレイです(笑)。

これも重要文化財の西南隅櫓。
現在、内部は未整備とのことで非公開

二の丸付近では、名古屋名物きしめんや
団子などが食べられる

天守閣の下には本丸御殿跡が広がり、
礎石を見ることができる

 

戦国・史跡ファンによるご感想と情報

牧内 殿

時間が少なくて十分に見て回れませんでしたが、このお城は堀がきれいですね。城内に鹿がいると聞いたのですが、見かけませんでした。(05.11.19)

丸に剣片喰 殿

鹿はいますよ。本丸を囲む空堀の中に住んでいます。でも、もう他所から新たに運び込まない限り絶滅することが決まっています。「清正石」ですが、この石垣の持ち場は黒田家だったそうで、どうもガセらしいです。それでも名古屋城の石垣は素晴らしいので、ぜひ行ってみてください。近い将来本丸御殿を再建するそうです(どこにそんな金あるんだか)。今のうちなら本物の本丸御殿の礎石が見られますよ。あと、城内には那古野城址があります。07.1.28

 

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