二本松城(霞ヶ城)

所在地

福島県二本松市城内

交通

JR東北本線二本松駅下車徒歩15分

築城年

応永年間(1394〜1428)

築城者

畠山満泰

主な城主

畠山義継 片倉景綱 蒲生郷成 丹羽光重

主な遺構

石塁、天守台、戒石碑、箕輪門、二階櫓、多聞櫓

訪問おすすめ度
(5段階)

★★★3

城の背景/室町時代中期に奥州探題を命じられた畠山氏が築城、居城としていた。1585年、伊達政宗の父・輝宗が畠山義継に拉致され、刺し違えて死んだとされ、激怒した政宗は二本松城を攻め取った。その後は蒲生、加藤、丹羽とと城主が変わり、明治を迎える。明治維新の戊辰戦争では10代の少年隊士63名が立て篭もり、政府軍と戦って散った悲劇の戦場となる。


↑正面では、勇敢な少年隊の像が迎えてくれる。

山上の本丸石垣をはじめ、各時代の石垣の遺構は保存状態がよく、
美しく再現されている。ただ、史料や観光地としてはやや物足りなさも。
毎年10月1日〜11月23日には、全国的に有名な菊人形展が開かれる。
(2000年8月)

戦国・史跡ファンによるご感想と情報

二本松出身者 殿

ぜひ「戒石銘碑」について説明を加えていただきたい!
今の政治家(せいじや)に聞かせたやりたい文句です。(01.4.12)

梅痴鴉 殿

今月に訪問予定です。俗っぽくなってしまった会津若松城よりは好感がもてるやもしれません。戊辰戦役に於いて二本松藩は奥羽越列藩同盟に付くか、新政府に付くかで藩論が分裂した上に、会津藩が圧力をかけるために国境に於いて攻撃を受けるという経緯も持っております。結果的に二本松藩は同盟側に付いてしまった故に新政府軍の猛攻撃を受けた形に成ってしまいましたが。
二本松の場合もそうですが、福島周辺の三春、棚倉、平などの恣小さい国は、周辺国境にある大藩(会津・米沢・仙台)などの思惑に振り回されてしまった感があります。(03.10.12)

jef.jef.sapo.sd 殿

二本松城は数回、足を運んでいます。平山城ですが城下町を含んだ郭では馬蹄形の城域で大手門跡の壮大な石垣が東の尾根(郷土資料館)付近に残っています。城を楽しみたい人は観る必見があります。(04.4.13)

梅痴鴉 殿

二本松城に行ってまいりましたが、想像以上の大規模な城です。その上、城の縄張りが巧妙に作られており、攻略部隊が6時間の激戦でやっと陥落させた理由も納得です。写真の三の丸入口までの進路は2箇所の城門を突破になければならないように作られており、突破しても三の丸からの銃撃で突撃一個小隊は確実に全滅!

又、廓(くるわ)があちこちに隠されており、本丸天守から攻撃路が丸見え故に狙撃の対象となってしまいます。攻撃路も登りやすい所にも巧妙な罠が仕掛けられており、あちこちの廓から狙撃されるように構成されていて、廓を占領しても本丸からの狙撃で殲滅できるような仕掛けになっています。石垣の積みは素晴らしいほどです。最初に見た感想は「あの城を攻めるのですかああ!!無理です!」
私の中では五段階評価
★★★★★5つです! (04.10.5)

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