大阪城(大坂城)

所在地

大阪市中央区大阪城1-1

交通

JR大阪環状線/森ノ宮、大阪城公園駅下車

築城年

1583年(天正11年)

築城者

豊臣秀吉

主な城主

豊臣秀吉、秀頼、松平忠明

主な遺構

大手門、多聞櫓、千貫櫓、六番櫓、乾櫓など(以上重要文化財)
石塁 濠

訪問おすすめ度(5段階評)

★★★3

城の背景/天正11年(1583)、秀吉は石山本願寺跡に普請を開始。天守閣は安土城をモデルに、秀吉のオリジナリティを加えて造らせた外観5層7階で、鯱瓦や飾り瓦、軒丸瓦、軒平瓦などに黄金をふんだんに用いた。本丸の築造に約1年半を費やし、その後も秀吉が存命した15年の全期間をかけて、徐々に難攻不落の巨城に仕上げられた。慶長20年(1615)、大坂夏の陣で落城、豊臣家滅亡後は廃墟同然となるが、元和5年(1619)幕府直轄領となり、翌6年(1620)2代将軍徳川秀忠により大坂城再築工事が開始され、3期に渡る工事を経て3代将軍家光の時に完成した。しかし、寛文5年(1665)の落雷によって天守閣は竣工後わずか39年目で焼失し、以後昭和の復興まで266年間再建されなかった。また、戊辰戦争でも炎上し、城内の貴重な建物の大部分が失われた。

現在の天守閣は、昭和6年(1931)、大阪市民からの寄付金150万円(現在の金で600〜700億円)によって建てられた3代目である。その後老朽化が進んだため、平成7年から9年(1995〜1997)にかけて大規模な改修工事が行われた。ピカピカの天守閣へと姿を変え、身障者用エレベーターが小天守台西横に新設されるなど近代的な設備も導入された。(写真提供/アントニオ殿)



私は3回ほど訪れており、最後に行ったのは確か1997年ぐらい。歴史ファンからすると、現在のピカピカな姿は残念なことこの上ないが、街のシンボルとして残そうという市民たちの熱意には頭が下がる思いがする。

天守閣以外には、石垣のほかに徳川時代の櫓や蔵、大手門が残っており、見るべきものは多い。また、入場料は600円と高いが、内部にはまずまず貴重な史料も多く展示されているので、1度は入ってみるのも良いかもしれない。(2003.11.30 哲坊)



1. 21世紀に残すことを基本指針とし、
「平成の大改修」が行なわれ、
建設当時の姿が甦ったという。

2.天守閣は徳川時代の天守台に築かれている。
石垣はさすがに風格を漂わせる。


3.内部はご覧の通り、エレベータが設置され
天守の史跡としての価値は無に等しい。
ただの博物館として認識したほうがいい。


4.建物の角に見えるのが身障者用エレベーター。
名古屋城にも同じ形のものがある。


■写真提供/1〜3 アントニオ殿
4 相楽新九郎殿

戦国・史跡ファンによるご感想と情報

アントニオ 殿

かつては天下を見下ろした大阪城も石垣が残るのみで、当時の面影はあまり感じさせません。なにせ、エレベーターに冷房完備の近代的な城ですから・・・秀吉が作った黄金の茶室もレプリカですし。(03.11.30)

相楽新九郎 殿

先日、DVカメラを片手に持ちながら、2時間ほどをかけて1周しました。ただ、天守閣に入るのに“600円”は高いですよね?
中も、変に綺麗にしすぎて逆にひいてしまったのと、史料の展示が偏りすぎている(豊臣時代と江戸初期が大半)のとで…随分とがっかりしました。(03.11.30)

デンホー司令参謀 殿

江戸時代から昭和初期まであった大阪城を見てみたい物です。今のは秀吉の頃と大きさこそ同じくらいですが、中身は何だ、単なる博物館か?という感じですね(それ以下かもしれない)。(03.11.30)

相楽新九郎 殿

大阪城の周囲の史跡として、『三光<さんこう>神社』というのがあります。ちなみに、それがしがかつて地元としていた地域です(今は少し離れた所に在住)。
そこには、大坂の陣のときに造られたといわれる『真田の抜け穴』址が保存されており、その近くには目印として幸村の石像が建っております。「抜け穴は今の淀川まで続いていた」とか「天王寺区に残る“真田山<さなだやま>”の地名の由来は真田幸村である」など、地元ならではの逸話があります。三光神社は…
住所:大阪市天王寺区玉造本町14番地
交通:JR大阪環状線・地下鉄長堀鶴見緑地線『玉造』駅下車 (03.12.28)

内府 殿

大坂城は未だに豊臣氏のものという錯覚がありますが、現在の遺構は徳川氏のものだから徳川色をもっと出していいんじゃないかと思います。天守も徳川の土台に豊臣の模倣天守を建ててわけのわからない城になってしまっています。どうせなら徳川の天守を再建した方が正しかったと思うし、そんなに豊臣時代に拘るなら、今の石垣、濠を壊して、豊臣時代のものを発掘するなり復興するなりした方がまだ筋道は通ってます。とにかく今の大阪には秀吉時代の大坂城なんて石垣の石一個もないんですから。 (04.2.8)

哲坊

大坂市民は、やはり徳川嫌いの人が多いのではないでしょうか。確かに今の姿は不自然ですが、「豊臣の城」にこだわる地元民の気持ちも分からなくはないです。徳川時代のものとはいえ、せっかくの石垣や濠を壊してしまうのも悲しい話ですし…。(04.2.8)

西軍 殿

大阪城に花見に行きました、西の丸庭園より大阪城をみましたが、自分は大阪の人間なので、今の大阪城にはあまり思い入れはありません。(徳川の設計で作った城なんぞどうでもいい)しかし桜は見事に今年もさいてました。秀頼期の黒地に金色の錦城が見て見たいものです。(04.4.13)

ショウ 殿

大阪に住む私としては、天守閣ではなく大阪城公園全体をお薦めします。公園には桜や梅、さらにあの広さなどは、他のお城にも決して負けないと思います。

今の大阪城は豊臣のものでも徳川のものでもなく「大阪市民の大阪城」なのです。戦国、江戸時代の城ではなく、昭和初期に寄付によって建てられた城として見るとまた感慨深いものですよ。(04.7.28)

やま 殿

私は大阪の人間ですが、大阪城は何度も行ってます。しかし、天守閣には一回しか入ったことがありません。大阪城の天守閣はただの博物館ですからそれ以外を見てください。そして気合を入れて周ってください。そして真田幸村が駆け巡った天王寺や平野の方まで足を伸ばし思いをめぐらせてください。秀吉だの、徳川だの言うてる人には大阪城は向きません。それこそ巨城ですから、気合を入れてきてください(^^;) (04.12.31)

無者 殿

大阪城は天守閣は復興であるが、櫓など城門などは数はそれこそ多くはないが、江戸時代の建築なので貴重な文化遺産だった。石垣はたくさん残っており、肥後石などの巨石などもあってみどころが多い。現在では珍しい煙硝蔵が残っている。中に入ることはできないが扉は開いているので、内部は確認することはできる。金蔵(重要文化財)も珍しい遺構である。(05.3.23)

牧内 殿

大阪城公園駅から歩いて堀を見てまわると、なかなか見応えがありました。2回目に見たのはアクアライナーという川舟からです。これも結構風情がありますね。当時の大阪城はこの距離からこれくらいに見えたんだなあと・・・。本願寺がここを拠点としたのも、それを攻めあぐねたのもわかる気がします。もちろん川筋も地形も変わっているとは思いますが、そういう広い視野で見てみると、「この場所だったんだぁ」という思いに水をさすものではありません。次に行くときには真田幸村関連の史跡にももっと時間をかけてみたいです。(06.3.9)

 

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