諏訪高島城

所在地

長野県諏訪市高島

交通

JR中央本線上諏訪駅下車徒歩15分

築城年

慶長3年(1598年)

築城者

日根野高吉

主な城主

諏訪頼重 日根野高吉

主な遺構

天守閣(復元)、堀、石塁

訪問おすすめ度(5段階評)

★★★3

城の背景/1542年、この地を根拠地にしていた諏訪氏が武田信玄に滅ぼされる。のちに、武田家も滅亡。その後、1591年に日根野高吉が入城し、7年後に城郭を完成させた。のちに諏訪氏が旧領を回復され、10代260年続き、明治を迎える。そのときに取り壊されたが、約100年後の昭和45年に地元住民の熱望によって復元された。

築城当時、城壁が諏訪湖岸に接して波を受けていたので、あたかも水に浮かんだ城に見えたことから、「浮城」の別名をもつ。現在、諏訪湖岸からは徒歩6〜7分。湖畔から見る城は遠くはなったが、なかなかの佇まいである。城内は4階建て。それなりに面白いもの(武具や籠、琴など)が展示されている。(2000年5月)

戦国・史跡ファンによるご感想と情報

Yamamoto Hiroaki 殿

私の子供のころの思い出は桜の花が満開に咲いた美しい高島公園時代です。サーカスや移動動物園などがきて、当時あまり楽しみのなかった田舎においては格好のコミュニケーションの場であった。もちろん、当時は天守閣の復元などはなく、石垣のみであった。今思えば実に懐かしい高島城跡であった。桜が咲くころになると、きまって当時の高島公園を思い出すのである。(03.1.21)

くー 殿

2003年夏に訪れました。丁度上諏訪のお祭りの日で、長い踊り行列が過ぎるまでホテルに入れませんでした。翌日高島城を訪ねましたが、その日は犬の訓練の日だったようです。たくさんのワンちゃんが集まって訓練を受けておりました。高島城ですが諏訪湖から思ったより遠く、明治以後の埋め立てなのでしょうか?勝頼も幼少のころ諏訪氏の母のもとでこの城で育ったのかと感無量であったことを思い出します。(04.2.8)

baby_castilla 殿

諏訪家は私の母方の先祖です。最後の忠礼の妻が「ちえ」ではないかと思います。その娘「しげ」の子供が母の実父です。残念ながら家系図がありません。母の思い出を小さい時に聞かされた覚えがございます。母も小学校を卒業するまで上諏訪に住んでおりました。おばあさまであった「しげ」が大変に厳しくそばにもなかなかよれなかったという思い出を語ってくれました。

私は高島城には一度も行ったことはございません。ただ、過去の人間模様や色々な繋がりを考えますと壮大なロマンを感じてしまいます。私の友人に武田信玄の子孫がおります。先日家系図をみせてくださいました。300年近く昔の家系図を手に取り、触ることも出来て感動してしまいました。その友人とはとても仲良しですが、過去にその方の先祖に滅ぼされたと聞いて冗談で喧嘩を吹きかけたりして。脈々と血は受け継いでいるものです。今でこそ本当に楽しい事だと感じる事が出来るのでしょう。(04.4.13)

哲坊

貴重なお話、ありがとうございます。是非、一度はご先祖ゆかりの城を訪ねてみてはいかがでしょうか。ここは景色もいいし、ブラリと立ち寄るだけでもお勧めですよ。(04.4.13)

MASATO 殿

私は戦国史の勉強をしており、特に徳川譜代の鳥居元忠及びその子孫である鳥居家の研究をしております。そのような関係から諏訪家と鳥居家が姻戚関係にあることから先日も高島藩士の子孫の方を訪問したり、武田氏・高遠氏と諏訪氏の攻防のお話を聞いたりしており、諏訪氏にも関心をもつようになりました。又、baby_castilla 殿のお話にも興味をもちましたので投稿いたしました。(04.6.22)

baby_castilla 殿

先日、初めて行ってまいりました。高島城に!城が近づくにつれ、ドキドキしてしまいました。中に入ると小ぶりながらも綺麗に整備された敷地内の公園に人間が近寄ってものんびり構える、しかも珍しいメスの三毛猫がベンチで昼寝をしていました。一緒に座って喉を撫でながら天守閣を見上げ、母の話と重ね合わせていました。

天守閣の一番上にのぼり周りの景色も見ました。たった130年程前この城を後にした諏訪家の人々はどんな事を考えて城を明け渡したのだろうと思います。城を離れ、近くに住み着いた諏訪家の次代当主になるはずだった方(祖母の母(しげ)の兄弟で名前は覚えていないそうです)の婚礼に母は「お神酒」を新郎新婦に注ぐ巫女役としてもう一人の同じくらいの男の子と式に参加したそうです(男の子と女の子で巫女役を務めたんですね)。まだ三つ四つくらいだったと言っておりました。

自邸での婚礼だった裏庭に大きなお蔵があり、幼い母は母親に連れられ重い扉の開いているお蔵を見に行ったそうです。そこには金銀見た事もないような煌びやかで美しい打ち掛け類が所狭しと飾ってあり、以前に使われたであろう御所車?(…以下、文字化けしており読めませんでした。お手数ですが、続きを送ってくだされば再掲載します/哲坊) (04.8.26)

哲坊

おお、ついに「故郷」を訪問されたのですな!素晴らしいエピソードをありがとうございます。残念ながら文字バケしていて、途中までしか載せられませんでした。どうか、よしなに。(04.8.26)

baby_castilla 殿

はい!ついにいってまいりました。えと・・・何を書いたのかデーターがなく・・。とりあえず、今記憶にあることをお話いたしますね。御所車?のようなものも飾ってあったそうです。あまりの美しさに今も鮮明に記憶が残っているとの事でした。高島城最後の城主は忠誠ではなく忠礼の間違えでした。

忠礼の娘が「しげ」という母の祖母に当たる訳です。「しげ」は城を後にした後、当時家来だった母の祖父である人と結婚したわけです。母の祖父は当時日本橋で大きな魚問屋を営んでいたと聞いております。けれど家来と結婚した「しげ」の人生はどんなものだったのでしょうね。今の私達では考えも及ばない色々な苦労が双方にあったように思います。(04.10.5)

匈奴武将 殿

私は諏訪の出身で、高島城のことは当然小学生時代から知っていました。ただこの城は戦国時代のものでは無いので、戦国時代を夢中になって調べていた小・中学生の頃は、関心が専ら上原城跡・桑原城跡に偏ってしまってました。また諏訪大社の上社近くには、信長が光秀を怒鳴ったことで有名な法華寺があり、そのそばには高島城で亡くなった吉良義周の墓もあります。寺は放火で全焼、墓も何者かに破壊されるなど暗いニュースが続きましたが、現在ではどちらも新しく作り直されました。諏訪へお越しの際は、高島城だけでなく諏訪湖周辺にある史跡へ足を運ぶのも良いでしょう。07.1.28

諏訪戸

私は、諏訪戸といいます。先祖は、諏訪家といって諏訪に住んでいて上杉謙信につかえたそうです。諏訪家は、信濃町にあった、野尻城という城に集まって、できたそうです。そのうち信濃町に1部がすみついたそうです。家系図が、あったお寺が焼けて、今はもうありません。baby-castillaさんとは、どこかで繋がっているかもしれません。07.12.22


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