躑躅ヶ崎館 (武田神社)

所在地

山梨県甲府中町

交通

JR中央本線・身延線 甲府駅下車徒歩20分(バス5分)

築城年

永正16年(1519年)

築城者

武田信虎

主な城主

武田信虎 武田信玄

主な遺構

土塁、濠、天守台、土橋

訪問おすすめ度(5段階評)

★★★★4

城の背景/東西北の3方を山に囲まれた要害の地に、武田信虎が築いた館。その後、子の晴信(信玄)の代になると武田氏の勢いはさらに大きくなるが、「人は城、人は石垣、人は堀」の歌の文句そのままに、信玄は死ぬまで本城をつくらずじまいだった。跡をついだ勝頼は長篠の合戦で敗れた後、躑躅ヶ崎を捨て新府城に移ってしまう。武田氏滅亡とともに徳川の管理下におかれたが、1583年の甲府城完成とともに廃城となる。

大正8年(1919年)、武田信玄を祭神とする神社が館跡に建造され、
現在は「武田神社」として甲府の観光名所になっている。
毎年4月には、信玄公まつりが盛大に開催され、多くの観光客が訪れる。
甲府名物・ほうとう(信玄の陣中食といわれる)、信玄餅は美味かつ有名。
奥には宝物殿があり、なかなか貴重な品々を観ることができる。(2000.5 哲坊)


神社拝殿。
 


「信玄使用井戸」とされているが、
当時からあったのかどうかは不明。



戦国時代当時の間取りが描かれた案内板。


甲府駅前の信玄像



戦国・史跡ファンによるご感想と情報

原田典厩信洋 殿

武田信玄が心から好きです。もちろん躑躅が崎には数回行きました。僕のおすすめは信玄の散歩道ですね。あそこを歩いているとなんだか信玄になった気分になってしまいます。みなさんもぜひいってみてください! (03.1.11)

MrM 殿

武田神社から2キロほど北に、要害山を中心とした山城「要害山城」があります。これが武田の本城です。武田信玄はその山城で誕生したと伝えられています。産湯を汲んだと伝えられる井戸のあともあります。この山城では戦争はありませんでしたが、武田氏滅亡後、一時期家康も使っています。要害山はある程度整備(道が)されているので、1度歩かれるといいと思います。縄張りの跡も確認できます。結構規模が大きいので丸1日かかると思いますが。さらに要害山麓の部落には”根小屋”とか”鍛冶屋”など,多分この城をサポートしたであろう部落の名前が今も残っていて楽しいです。特に甲府盆地の眺めは絶景です。(掲載にあたって一部、改正させていただきました) (03.2.23)

西軍派 殿

躑躅ヶ崎館のすぐ近くに住む者です。僕のオススメポイントは,入り口の橋を渡ってすぐにある石段から見る甲府の街です。特に夜なんかは、武田通り(甲府駅前から武田神社まで通っている通りのことです)の街灯が一直線に見えたり、夜景がとてもきれいでオススメです。来られる方がいれば、昼に訪れるだけでなくて、ぜひ夜にも訪れていただきたいと思います。また、この近くには武田氏ゆかりのお寺なんかもありますので、ぜひ立ち寄ってください。(04.3.8)

勘助 殿

躑躅ヶ崎もお勧めですが、信玄参りのさいには是非塩山の恵林寺にも足をのばしてください。信玄公の墓(骨は無いが・・)や戦国時代の風林火山の本物の大旗などが保存されています。 (04.12.31)

古府中 殿

東京に住んでいる者ですが、武田信玄に興味があり昨日初めて躑躅が崎館を訪れました。当時の様子を窺い知る事は難しいですが、この場所に信玄を始めとして、多くの武将が行き来し、歴史的な決断がなされてきたかと思うと身震いを抑えきれませんでした。この時期特別に「風林火山」の本物の軍旗が展示されておりラッキーでした(いつまでという案内はなし)。

その後足を伸ばし塩山市にある雲峰寺を訪れましたが、ここには複数の軍旗が保管されており、目を閉じると戦国時代に逆戻りしたような錯覚に陥りました。人里はなれた場所にあり、本当に古刹、名刹という言葉がぴったりな場所で、別世界な雰囲気を醸し出しています。2007年の大河ドラマに「風林火山」が決定しているので甲府近辺は賑わいを見せると思いますが、またそのころ訪れようと思っています。(06.3.9)

才蔵@ 殿

今年の一月頃、武田神社を訪れました。武田宝物殿で孫子の旗を見た時は感激したのを憶えています。また、勝頼が京都からの客を茶でもてなす為に使ったといわれる井戸を見た時も、なにやら感慨深かったです。

そして山梨に来たからには、是非見ておきたいと思っていた武田終焉の地であり、勝頼一族の墓地でもある甲斐大和町の景徳院にも行って来ました。一人で行った事、夕方で薄暗かった事などの事情で、その場の重苦しさに耐えられず、早々に帰って来てしまいました。とにかくひと一人おらず、恐ろしい程静かで、この場だけ時間が止まっているかのようでした。勝頼の首を洗ったと言われる首洗い池や、首切り石、又、勝頼夫妻の首のない胴体だけを埋葬したといわれる首無し地蔵などもあったはずなのですが、とてもあの薄暗い山の中を一人で歩き回る元気はありませんでした。今度、山梨に行く機会があったらその時は、日本晴れの真っ昼間、大勢で行きたいと思います(笑)。07.1.28

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