徳 島 城

所在地

徳島県徳島市城の内

交通

JR高徳本線・徳島線 徳島駅より徒歩5分

別名

渭山城

築城年

天正14(1586)年

築城者

蜂須賀家政

主な城主

蜂須賀家政以降の当主

主な遺構

石塁、濠、庭園
<復元>鷲の門

訪問おすすめ度(5段階評)

★★2

城の背景/1585年、四国平定で戦功のあった蜂須賀家政は、豊臣秀吉から阿波一国約19万石を賜る。家政は、父正勝とともに拠点となる城を築いた。この工事にあたり、秀吉は小早川隆景や長宗我部元親らに援助を申し付けているが、これがのちに徳川幕府が西国大名に命じた天下普請の走りともいわれる。そのおかげで徳島城は1年半で完成した。

家政は、築城に従事した大工らをねぎらうために祝儀として酒をふるまい、さらに城下町にも酒をふるまったことから、民は狂喜乱舞。武士たちにはその席に連なるのを禁じたので、民は遠慮することなく騒ぐことができた。町民らは7月15〜16日の両日、2日間にわたって踊り狂い、これが阿波踊りのはじまりといわれる。以来、廃藩置県まで14代280年にわたって蜂須賀家が支配する。明治に入って建物は破却され、唯一鷲の門だけが残されたが、昭和20年の徳島大空襲で残念ながら焼失してしまった。






明治初年に建物はすべて取り壊されてしまい、観るべきものはない。ただ石塁はよく保存され、当時の面影を残す。


広大な空き地となっている本丸。以前は神社があったようだが、鳥居も含めて他に移築され、本尊の跡が残るだけである。



昭和20年に空襲で焼けてしまった鷲の門は、平成元年に復元された。地元民にとっては、それだけ愛着があったのだろう


一部では工事が行なわれていた。
補修か、はたまた何かが復元されるのだろうか


蜂須賀家政像。戦前にあったといわれる、鎧かぶと姿も観てみたかった…


公園内には博物館があり、
鎧や水軍の舟などが展示されていた



江戸時代につくられた庭園と、平成元年に復元された鷲の門以外、めぼしいものは何も残っていない。ただ、階段を上って二の丸、本丸跡へ行けば往時の偉観をかすかに偲ぶことができる。(2003.4.13 哲坊)


戦国・史跡ファンによるご感想と情報

KEN STYLE EMINA 殿

徳島城は、以前天守閣を復元しようと有志らが寄付を集めたが「史実どうりに復元すべし」と言う意見と「嘘でも良いから五層の大きな天守閣を造るべき」と言う意見に分かれ対立しその後、天守閣復元の話は、上がらないばかりか今、徳島市では城跡の真ん中に道路を通そうとしている為、その内に見られ無くなる可能性有り。(04.2.8)

哲坊

う〜ん…。残念な話です。せっかくの史跡なのだし、観光地化してもいいから、もっと「城跡」というものを大事にアピールしてほしい。対立ばかりしていないで、地元の子供や観光客を喜ばせる努力をしてほしいものです。(04.2.8)

田村 勲 殿

徳島城跡の公園内の博物館に、当時の徳島城模型があるが、それには天守閣は存在しない。史実に忠実な往時をしのばせる姿であろう、従ってその姿のまま復元することが望まれる。なぜ蜂須賀家政公は天守閣を造らなかったのか?色々と事情があったのだろう、軋轢や、防戦上や、政事、民意。今、その真実・心の内を知り得ない事だが、兎も角家政公のお心を後世に伝える為に、史実を尊重して、家政公のお心を尊重する事が大切ではなかろうか。(05.3.23)

哲坊

もちろん史実に忠実な方がいいとは思います。それより、せっかくの史跡に道路を通すなどもってのほかだとは思いませんか?(05.3.23)

やまもも 殿

史跡に道路など作るのは愚の骨頂。もしそんなことをすれば徳島の唯一の宝物阿波踊り衰退の元となりますよ、城跡の風情があってこそ阿波踊りがマッチするのです。目先のことだけ思って大計を誤るととんでもない取り返しのつかないことになりますよね。(05.7.11)

徳島城ファン 殿

徳島城の天主閣は江戸時代の絵図によれば、東二の丸に一層が七間四方・二層三層が五間四方の三層の天守閣があったようです。また、三層は三間四方の七・五・三であったという説もあります。この天主閣の模型は「県立徳島博物館」に展示されています。製作者は「私立徳島城博物館」に展示されている「平城(御殿)」を製作された「県立貞光工業高校」の皆さんです。(07.5.5)


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