源頼朝 墓

所在地

神奈川県鎌倉市西御門2-6  白旗神社

交通

JR鎌倉駅から京浜急行バス・大塔宮行きで5分、岐れ道下車、徒歩5分。清泉小学校の裏  鎌倉八幡宮から徒歩7〜8分、または鎌倉駅から徒歩25分

 


白旗神社の石段を登りきった丘にある。
征夷大将軍の墓とは思えぬほどに質素な佇まいだ。

徒歩10分ほどの距離にある護良親王の墓や、
日光の徳川家康墓のような物々しさはない。
鶴岡八幡宮から程近いが、周りは静かな住宅街で、
誰しも気軽に参拝できる環境が魅力ではある。

この墓は再建されたものではあるが、
やはりこの下に、あるいは石段下の神社付近に、
頼朝は今なお安らかな眠りに就いているのだろうか。


元々墓が建っていたとされる白旗神社。

石段下にある案内板。書かれているように
この付近は頼朝時代の幕府の中心地だった所。


正治元年(1199)、頼朝は相模川橋の視察の帰り、落馬によって53歳で死去したといわれる。当初、亡骸は勝長寿院(大御堂) に葬られたが、その後、現在ある墓の石段下にあった「法華堂」に移された。 法華堂とは頼朝の持仏堂であり、後に三浦氏滅亡の舞台にもなったが、明治維新後に現在の姿である「白旗神社」として整備された。

安永8年(1779)、薩摩藩主・島津重豪(頼朝の子孫と自称)が、石段を設けてその上に建てたのが、この墓である。そのためか、源氏の「笹竜胆」(ささりんどう)と島津氏の紋2つが確認できる。島津氏が墓を整備したとき、白旗神社の周囲に頼朝の墓はまだあったのだろうか。実際に頼朝が眠っているのは、石段の上ではなく、いまだ白旗神社の地下深く、なのかもしれない。(2003年5月執筆。2007年5月、写真をリニューアル)


戦国・史跡ファンによるご感想と情報

単身赴任のキタキツネ 殿

鎌倉駅前の雑踏に閉口しながら、鶴岡八幡宮横の閑静な住宅街を、小さな案内札を頼りに辿り着いた。石段上りは少々キツカッタが、五輪塔を前にして、周囲を覆う樹木による冷たい空気は身を引き締めるものでした。

頼朝は苦労人でしたでしょうね。兄の心を解さないアンポンタンな範頼や、義経と藤原氏の関係。カミサンと北条氏。幕府といっても吹けば飛ぶような、孤独な頼朝には常に大きな不安が伴っていたでしょう。私の勘違いかもしれませんが、法華堂では範頼の子供(吉見氏)が墓守りをしていたとか。この質素な墓の主は、墓守りといっしょに幕府滅亡までの歳月をどのように見ていたでしょう。石段をトボトボと降りながら、少々感動的な時間を噛締めておりました。(04.2.8)

さっぴ 殿

鎌倉へ校外学習に行きます。源頼朝の墓の詳しいことは載っていないかと思いココへ訪ねてみました。まだ実際に足を運んでいないけれどもとても勉強になりました。 (04.10.5)

佐倉 殿

今度、東京&鎌倉へ修学旅行に行きます♪そのために、色々調べなくてはならないので、調べていたらここに来ました。頼朝の墓のこととか、交通のことが詳しく書いてあって、とてもいい調べになったと思います。わかりやすく写真まで載っていて、本当に助かりました。(04.12.31)

佐々木 殿

本当に頼朝の墓なんですか・・・と言いたいくらいなぞにつつまれていますね。死因も落馬や心臓の病、糖尿病・・・まだまだしらべていきたいです。(05.5.1)

火星人 殿

10月に修学旅行で鎌倉に行きます。班別行動で頼朝の墓に行きたい!!と思っていて、事前学習をココでさせてもらいました。さっぴさんと同じですが、何も知らない私にもわかりやすく書いてくれてあってとてもよかったです。ありがとうございました♪(05.11.19)

あいらぶかまくら〜 殿

私も、学校で鎌倉に行きます〜。ホントに他の所よりダントツ分かりやすかったです!!いい事前学習になりましたああ〜。07.5.5

哲坊

みなさん、行かれたら感想聞かせてくださいね!07.5.5


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