馬 謖(ばしょく)

功を焦ったエリート

祖茂殿作画


字(あざな)/幼常(ようじょう)

生没年/190〜228年(38才)

武器/

 能力検証

武 勇

6

 

 

 

 

これといった武勇伝も実績もない。少しずつ経験を積めば成長したかもしれない。ただ、若いといっても死んだときは40歳近かった

南征の際は諸葛亮の補佐に徹し、大いに貢献。一時は彼の後継者ともいわれた

ただし、その器量のほどはいかがなものか。劉備も、「口先ばかりで実がない」と見抜いており、生きていたとしてさほどの活躍はなかったかも

読書家で才気走った男だが、内政をやらせているぶんには、かなりの才を発揮したと思われる

戦 術

6

 
 

 

 

知 略

7

  

 

 

カリスマ

6

 

 

 

 

人 望

6

 

 

 

 

外 交

7 

 

 

 

内 政

8

 

 

 


デビュー/
劉備の幕僚・馬良の弟で、若い頃から劉備、諸葛亮に従軍。南征の際は諸葛亮に的確な進言をして補佐する。 
最 期/諸葛亮に重要拠点となる街亭の守備を命じられるが、命令に背き不利な山上に陣を敷く。挙句、司馬懿に大敗を喫し、その罪で諸葛亮に斬られる。(泣いて馬謖を斬るの語源)

 

コーエー「三國志」シリーズに見る馬謖の能力値変遷
陸戦指揮、水戦指揮はIIIのみ、
運勢はI のみの設定。赤字はシリーズ中の最高値

 

知力
武力
魅力
政治力
統率力
陸戦
指揮
水戦
指揮
運勢
I
61
55
88
 
 
 
 
64
II
80
69
70
 
 
 
 
 
III
80
68
69
72
 
71
69
 
IV
85
69
69
68
72
 
 
 
V
86
67
71
70
 
 
 
 
VI
82
64
63
74
73
 
 
 
VII
70
68
52
64

 

 

 

 

VIII
80
63
69
77

 

 

 

 

IX
89
65
 
81
64

 

 

 

X
87
65
67
76
64

 

 

 

評価しづらい人物のためか、
割と試行錯誤しているようである。
ゲーム上では、そこそこオールマイティにこなす男だ。


 

三国志ファンが斬る!馬謖評
皆さんから寄せられた書き込み、投稿です。下のフォームより投稿随時受付中。

哲坊

三国志の代名詞的存在であるにもかかわらず、一般受けしないキャラクターですな。
しかし、最初で最後の大博打で負けた挙句、最も信頼されている諸葛亮に斬られるというのは不幸というか哀れというか救いようのない人物です。

まくれ殿

なんだか今時の若いサラリーマンを思い起こさせますね。インテリの。
順風満帆すぎて、痛い目にあった事が無い人は、いざと言う時に逆切れ起こしたりしますからね。身近にいるんですよねぇ。(ぼそっ)

亮 殿

そこまで孔明に認められてたならもっと若いうちにいろんな経験をさせて才能を是非とも開花させてほしっかたですねぇ。
なんかもったいない気がします。まぁ敗れたのは自分の智に溺れたせいなんでしょうけど孔明にも責任はありますよね。あんな大事な役、初心者に任すなっつーの!

アントニオ 殿

劉備が死ぬ間際に諸葛亮を諫めたことを考えると、諸葛亮の見当違いによって斬られたともとれる。でも、自分で進んで出陣したんだし、けた外れの失敗をやらかしたのだから当然と言えば当然。おかげで名前だけは有名になりましたね。

哲坊

ちなみに上の写真は、街亭を落とされて呆然としているシーンの顔です(笑)

於我 殿

孔明の防波堤にされてしまったような哀愁漂う方ですな。拙者は、割と好きなのですがのう。要領の悪さが人間ぽくて更に好感度をましまする。

沮授 殿

南蛮平定での彼の言葉「城を攻めるのは下策、心を攻めるのが上策」、名言ですな。字(あざな)が「幼常」なので若い(青二才な)イメージがありますな。

沮授 殿

街亭での布陣ミスは、夷陵での劉備の布陣ミスに匹敵しますな。(笑)
街亭での大敗…。馬謖曰く、「いやぁ、天気予報では大雨注意報だったんで、水不足は心配ないと思ってたんですよ。(笑)」
まぁ、戦経験の少ない馬謖を主将にして街亭に赴かせたのは諸葛亮の大ミスですな。魏延に文句いわれても仕方ない。(爆)

沮授 殿

最近の不況、リストラ時代。経営陣が好んで使う「泣いて馬謖を斬るの思いで」という故事が流行語になってたりしてますな。(寒)

於我 殿

ううむ、馬謖と比べられれば少しは気持ちも和らぐとでもいうのであろうか? 逆に首を切る方が、孔明になりきって悦にいっているのであろうか?
どちらにしても気安くつかって欲しくないと思うのは拙者だけでありましょうや?

楽毅 殿

上官の言うことは聴かなきゃダメですよね。ましてや兵の命を預かる戦において自分勝手な行動をとってはいかんとおもいます。斬られても仕方ないかもしれませんね。

歴興覇 殿

あの、人をみる目しかないと思われる劉備に「使いもんになんねーー」といわれた男です。ほんとにだめだったんでしょう(好きだけど)
思うに、諸葛亮は、こういう小物ばかりが好きだったんではないでせうか? あまり三国鼎立後期の蜀には、破天荒な人物がいないような、、、どう思います?

哲坊

孔明は、自分と同じ、インテリ型の男なのでつかいやすかったのでしょうな。

六波羅探題 殿

馬謖も決して実力がないわけではなく、たんに戦の手柄を焦り過ぎたのでしょう。孔明があんまり可愛がり過ぎたので、馬謖としても、早く孔明先生の為に大手柄をあげないと、飽きられてしまう〜と思ったりしてたかも。

李暁峰 殿

ことわざにされる為に死んだようなものですね。しかし、真面目そうな印象(?)ですので、参謀役に徹すれば良かったのかも・・・でもいつかは失敗しそうだけど(笑)

幼常天才殿

英雄になれそうでなれなかった男。馬謖って本当に口先だけの理論走りな策士だったのでしょうか? これは私論ですが三国志中曹操に最も似ているのって彼じゃないでしょうか、どうみても天才肌で野心家な点は曹操とかぶりますよ。荊州の名士として生まれなければ、曹操のように時代に革命を起こした英雄になれたと思います。名家に生まれて、風雲の牙を無くした虎それが馬謖で、あの孔明先生も彼に惚れ込んだのではないでしょうか? 馬謖が君主で孔明を首脳にした国家が誕生したら魏と匹敵したのではと思ってしまいます。妙に空想にひたれる馬謖って大好きです。

哲坊

うーむ、面白いですが、ちと買いかぶりすぎではないでしょうか(笑)?
野心家というよりも自信過剰な点が似ていないこともないです。しかし、人を惹き付ける魅力や存在感では曹操には到底及ぶべくもないと思います。劉備も「奴は使えん」と言ってますし。劉備の人を見る目は確かです。

蕭何 殿

劉備に「こいつ使えね〜」と言われたのは史実なんでしょうか? もしかしたら、のちの創作という可能性はないのでしょうか?
個人的には司馬懿相手では誰が指揮をとっても負けていたと思うのですが。

哲坊

あの場面では、勝たずとも負けない戦い、持ちこたえさえすればよかったと思うのですが。それを、欲を出して勝ちにいった結果…ということでしょうな。

太祖無帝 殿

諸将の反対を押し切っての大抜擢だっただけに、諸葛亮への不信感を抱いたのは魏延だけではなかったでしょう。馬謖の命令違反は諸葛亮にとって大敗だけに留まらない大きな打撃となったと思います。

飯蛇 殿

当時張コウに適う将は蜀にはいません。魏延ならなんとか持ち応えれますが。諸葛亮の人材登用のヘタさでは人材マニア、曹操がかき集めた人材の厚さには到底勝てません。馬謖は内政で力を出す人間でしょう

蜀漢の回し者 殿

孔明が人材登用が下手とは・・・曹操があまりにも上手すぎるだけでしょう

スダダス 殿

南蛮征伐や、北伐の司馬懿足止め作戦では功績を立てたことをお忘れでしょうか? それなりの能力はあるんですよ。諸葛亮にしてみれば、魏延なんかより使いやすいから、使ってたと思うんだけど、まだいやいやながら命令をちゃんと実行してた魏延のほうがマシといえばマシですね。これは、選んだ諸葛亮がどう考えても悪いんだけど! (02.9.4)

閻行 殿

孔明はどうしても戦を理で突き詰めすぎたのではないかと。魏延のようにたたき上げの武将は理屈では推し量れない戦の空気も読めますが、孔明に説明するのはかなり難しいでしょう。馬謖は趙括(戦国時代)のように戦術論は得意だったので孔明にはうまく説明できたのでしょう。(02.9.28)

鮫島 殿

私は結構好きですけど。馬良と比べられて背伸びをしていたような感じがします。決して無能ではないはず。何でもそうですけど晩節を汚した人物には歴史は厳しいですね。(02.12.22)

丸山直人 殿

運動部でレギュラーになれないが口うるさいだけのAB型の批評家が新聞記者にならずに早死しただけのこと。諸葛亮と民を泥沼に引き込んで殺した、疫病神ジョーカー。 (02.12.29)

オジオン殿

南征・司馬懿追放などで功績があるように見えますが・・実は全部演義の話です。南蛮人の「心を攻めろ」と聞いた風なことを抜かしていますが、実際の彼は直前まで西南夷反乱の震源地の太守をつとめていたわけで・・・
正直政治家としても大した手腕の持ち主ではなかったと思います。北伐以前に一軍を率いていた記録もなく、街亭の守備を任されたのも疑問。諸葛亮としては職業的軍人の王平をサポートに付けて可愛い愛弟子に失地回復の機会を与えたかったのでしょうが、相手が悪すぎましたね。(03.1.6)

かげとら殿

「死すといえども黄壌に恨みなきなり」と述べ、潔く死を待つ姿は、生半可な人物では真似できません。仕方ない面も大いにありますが、能力主義的な評価ばかりだと少し寂しいです。(03.2.5)

今仲達 殿

「馬氏の5常」の口だけの人(笑) 演義では使えないと言われていてもそれなりの結果を出していました(南蛮討伐の進言と司馬懿を一時的に封じた)が、正史では本当に使えませんでした。能力的に考えると誰かの補佐として意見を具申する程度なら良かったのでしょうが、地方や軍を任せるには能力と経験が不足していました。ただ理論は完璧に近かったらしいのでそのあたりを買われていろいろやったみたいですが、やはり机上の空論ではなにもならないということでしょう。(03.4.25)

雑巾賊 殿

なるほど。口だけ達者でじつは人員整理(早い話がリストラ、首切り)を提案するしか能の無いコンサルタントみたいなものですな。個人的な思い出としては、なんだかんだ言っても忠臣と信じていたこの人に、『三国志2』でいちど独立されちまったことがあるんですよ。あれは、ショックだったなあ...。たぶん野望のパラメータが高かったんでしょうね。もちろん、即刻、蜀の全軍で攻めこんで、潰してやりました。で、泣いて、じゃなくてニヤリと笑って首を斬ってやりました...(グフフ) (03.5.31)

幼常天才 殿

やったぜついに馬謖の知力が過去最高の89!(右手を挙げてガッツポーズ)。お世辞でも陳宮並の評価を受けて嬉しい限りですわ。これで馬謖を北伐の参軍としてつれていって原作通り司馬懿を失脚させてやるぜフフフなんて無理に決まってますが。さて孔明の弟子はなんといっても馬謖です、きっと彼は孔明の如く弁舌が切れて言葉で敵なんか倒せますよ、おそらくインテリ度なら姜維を上回っていると思います。まあ軍事采配は三流以下でとても比肩しないでしょうが。知識と理論は一流だったんだから知力だけでも姜維より上だって欲しかった。まぁ彼の方がファンが多いから無理でしょうけど。それは次回に期待ということで (03.7.22)

分析名人 殿

第二次大戦時の旧日本軍でも,士官学校出の若手エリートが作戦参謀を務め,いくつもの無謀な作戦を頑固に遂行して兵士を奈落の底へ追いやっていったそうですが。人間の実力というのは一面だけでは推し量れないものだといういい例ではないでしょうか。リーダーシップ、経験、問題対処力、人間性や社会性などは、競争主義の試験では見えてこない要素ですが,人の上に立つ場合は求められる能力です。(03.9.23)

ロンロン 殿

かわいいが不肖の弟子にあえてチャンスを与えた諸葛亮(上司)と、それに一生懸命応えようとする馬謖(部下)。諸葛亮の人柄に厚みを持たせる好シーンですが、うちの会社でもこういう場面はたまぁに見られます(笑) 順序だてて物事を経験させ人を育てるのって大変だなぁ・・・と馬謖を見るたびに思いますな。馬謖は将来の自分のような気がしてなりません。(03.9.23)

酔狂 殿

馬良伝では投獄、向寵伝では逃亡とあれだけ最期が有名でも史実ではバラバラ。陳寿は何を考えたかはもう知る事は出来ませんし、諸葛亮は何を考え彼を抜擢したかも分からない。白眉を兄に持つプレッシャーも功に急がせたのかもしれない。せめて一度でも敗戦の味を知っていたら・・・彼を諸葛亮の被害者と考えるのは私だけデスか? (03.11.30)

よっちゃん

軍の規律上やむをえずに斬られてしまいましたが、もし許されていたなら立派な将軍になったかもしれませんね。人間は失敗して成長するものですから。最も街亭の戦いは負けが許されないものだったんでしょうけれど。(05.1.12)

珍寿 殿

横山三国志などでは諸葛亮が「切れる」とか言って彼を後継者と匂わしながら、姜維が現れると「君のような我が兵法を伝える者を捜していた」とヌケヌケと言っていました。嫉妬した馬謖が功を焦ったとしたほうが話として面白いし辻褄が合うような気がしたのですが。マンガで見ても史実で見ても諸葛亮の立場・思想の犠牲者と思えます。(05.3.18)

峰ヶ谷津 乃依 殿

馬謖はかなり傲慢な人間だったのではないでしょうか。特に、街亭の戦いで水が不足するであろうことは、孔明の説明不足だとはあまり考えられません。(陣を敷く場所を説明されていたということが前提ですが)陣を敷く場所を教えていた以上、その辺も説明したと考えられるからです。特に、いくら知性に欠けていたとしても、王平の反対もあったのですから、馬謖は自分の作戦でごり押しが聞く、と強攻策をとったのでしょう。

基本的に戦争の基本は一か八かのバクチに出るよりはカクのように失策をしない、もしくはバクチに出なければ逆転できない、というときにしか行動しないことが重要になりますから、かりに馬謖が自分の作戦で大勝利できるという戦略を頭の中で考えていたとしても、それは軍師に向いている性格だとは思えませんし、そこで命令に違反する、ということは、やはり彼は傲慢だったのではないでしょうか。以前に功績を挙げていたとしても、危険策をみすみすと取ってしまうあたりは、流石に優秀とはいえないと、私は考えます。(05.11.12)

魏袁 殿

珍寿さんがおっしゃられているように功を焦ったんでしょうね彼は。有能といわれた白眉の兄、姜維への嫉妬、きっと孔明に自分も一人前と認めてほしかったのではないでしょうか?(05.12.26)

峰徳森山 殿

街亭を取られたのは蜀の戦略上かなりの痛手だけど、死罪は酷すぎると思います。馬謖も悪いけど、先帝劉備の忠告を無視して彼を用いた諸葛亮も悪い気がする。しかも相手は、劉備が夏侯淵よりも恐れた魏の常勝将軍、張コウですから。ただでさえ人材不足の蜀陣営なのに、失敗したからといって馬家の俊英を死罪にせず官位を降格して再び雪辱をそそぐ機会を与えたほうがよかったのでは。

蜀の元勲でも居たじゃないですか。禁じられた酒を飲んで酔った隙を突かれて城を奪われ、挙句に主君の女房まで捕虜にされ、後に大活躍して車騎将軍、司隷校尉、西郷候、にまで上り詰めた人が・・・。(馬謖よりも彼の犯した失敗のほうがよっぽどショッキングだと思うし間違いなく死に値しますよ) もし死罪にされてなかったら、馬謖も失敗をバネにして活躍したと思います。若き俊英の真価を見れなかったのが惜しまれます。(06.8.16)

ヴァルパライソ 殿

戦国時代の趙の才将・趙括に似てると思います。兵書好きだが経験不足なとこや、見識ある人に「使えん」と云われるとこ、戦場で多くの味方を餓えさせたとこが似てます。だが、馬幼常は趙括よりだいぶましだと思います。自ら出陣を願い出たとこや、敗北して処刑さてても故事ができるほどだから。

二人とも理論は完璧だったと思うんでねぇ。いきなり大将にするのはまずかったと思います。馬幼常のゲーム中の能力は、一流軍師になれない代わりになぜか武力がそこそこあり、近作では全体的にも、陳宮に引けを取らなくなってしまった。好きな御方だが、ここまで強いと愛着がわかないっす。(06.10.23)

 

この人物について貴殿の一言、お待ちしております!
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