祖茂殿作画

魏 延(ぎえん)

(あざな)文長(ぶんちょう)

生没年/?〜234年

出身・所属/

身長/8尺(184cm)


荊州の劉表家臣であったが、劉備のために起こした謀反に失敗し、長沙へ逃亡。韓玄に仕えるが、のちに劉備が長沙に攻めよせると韓玄の首を斬って投降した。以後は要衝の漢中を守るなど、劉備軍の主力として活躍。孔明死後、折り合いが悪かった楊儀と対立。楊儀の軍との対峙中、味方の馬岱に背後から斬られた。

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 能力検証

武 勇

8

 

 

五虎将亡き後、蜀随一の猛将として活躍。漢中太守の重責を担ったほか、長安急襲を進言するなど、戦にはかなりの自信を持っており五虎将亡き後の蜀軍を引っ張った

諸葛亮に疎まれていたにも関わらず、めきめきと頭角をあらわしトップクラスへ出世。頭はそこそこきれたと思われる

将としての才能はあったようだが、どうにも暗いイメージがつきまとうし、傲慢さゆえか、実力のわりに人気がない(ただし、それは最近はかなり評価が上がってきている)

武人として生きた彼に政治は不向き。しかし漢中太守の実績を考えるに、意外に政治的才覚もあったのかもしれない

戦 術

8

 

 

知 略

7

 

 

 

カリスマ

7

 

 

 

人 望

4

 

 

 
 

 

 

外 交

3

 
 

 

 

 

 

 

内 政

6

 

 

 

 

 

 魏延の一騎討ち勝敗表
西暦・場所
相手(所属)
結果
決まり手

212 ラク城

VS冷苞(劉璋軍)

30合ほど打ち合うが、背後に軍勢が迫って魏延逃走

212 ラク城

VS冷苞(劉璋軍)

数合もせぬうちに生け捕る

214 葭萌関

VS楊柏(張魯軍)

10合も打ち合わずに楊柏逃亡

214 葭萌関

VS馬岱(張魯軍)

しばし戦ううち、馬岱が逃亡。追い掛ける魏延に馬岱が槍を投げる。魏延これはかわすが、続いて放たれた矢を右ひじに受けて逃亡

219 斜谷

VSホウ徳(曹操軍)

×

激しく打ちかかるホウ徳にたじろぎ、追われる

227 渭水

VS曹遵(曹叡軍)

3合もせずに斬り殺す

228 陳倉道

VS王双(曹叡軍)

孔明の罠にはまって馬から落ちた王双を、身構える間も与えずに斬り殺す

★通算7戦 4勝2敗2引き分け



  

三国志ファンが斬る!魏延評
以下は、皆様の発言をまとめたものである。投稿随時受付中。

とらくろ 殿

「叛骨の相」ありと言われながらも蜀に仕え続けていたのが、
彼にとって悲劇だったかも…

六波羅文乃 殿

彼は本当に裏切ったのかなぁ…

新荘剛史 殿

陰謀の臭いがプンプンと…
勢力争いと見た方が自然かと…

紫龍 殿

五虎将亡き後の武の要!!孔明に嫌われただけのような気も…

香香 殿

ワタシもなんとなく好きなんですよ〜。魏延が。
でも、彼には協調性はなさそう……。

功明 殿

第一次北伐で彼の作戦が採用されていたら
どうなったのでしょう?

功明 殿

叛骨の相があっても,蜀にいたのは孔明がいたから
だと思うのは,拙者だけでしょうか?

鍵屋 殿

でも裏切りが無かったら、特に見せ場の無い男なんだよなぁ。

孫夫人 殿

叛骨の相とは、如何いう顔だろう??

功明 殿

劉備との相性は抜群だったのに…
「叛骨」は顔じゃなくて後頭部です

阿Q 殿

何となく彼のような濃すぎる人間が、
周りから浮いたり、ウザがられるのは分かるんです。

阿Q 殿

しかし、あの超重要危険地帯の漢中を、
十年間もよく守備した彼は、
やはり只者ではないのです!(熱くなる阿Q)

鈴村 殿

というかこの人って裏切ってないんじゃないかと。
一番分かってたのは劉備のはず。人のこと言えないから余計に。

紫龍 殿

そうですよね!劉備に内応しただけで、
裏切られてるのは魏延の方だったりする。

紫龍 殿

孔明に焼き殺されそうになったり…

新荘剛史 殿

アンチ孔明にとってはアイドル??的存在

哲坊

顔相(骨相)だけで人間を判断されては可哀想ですな…。

けるりん 殿

「叛骨」っていうのは、羅漢中氏が最期のつじつま合わせに
使った演出じゃあないですかね。なんせ、正史じゃ最期以外は
五虎将に並ぶ活躍しているし。でないと、
途中の活躍のつじつまが合わない。元が劉備命、
ゲームで他の主君と合うわけがないっす。
間違っても曹操配下には入れない方が。

けるりん 殿

仕事のけじめはしっかりしていたようなので、
「軍事は俺が仕切る。だから、支援しっかりやれっ!(特に楊儀ぃ!!)」
・・・だったんじゃ、ないですかね。確かに、プンプン怒るのは
否定できない。例の卑怯者発言も孔明の不甲斐なさに
イライラして、だろうし。理由が納得行くものなら
彼もすんなり引いたと思うけど・・・。

けるりん 殿

研究者の間では「魏延背反せず。正史で陳寿が
”背反したわけではない(不便背反)”と書いている」が
有力だそうですが、私は「公式記録では楊儀にへつらうのが
いやで背反したことになっているが
実際は楊儀ら一部の者によって計画的に謀殺された」だと思ってます。
演義で文ちゃん(魏延)の最期が間抜けなのは、
見た目の主役(孔明)も立てなきゃなんないから、とか。
実際の最期は多分悲壮なものだったと思いますよ。
「何事も一生懸命、実直な軍人だったために、
便佞が横行する劉備死後の蜀で孤立した」というのが妥当かも。

遼遼 殿

獅子心中(漢字よい?)の虫代表。まさにバーサーカー。
闇の兵種ってカンジ?ちなみに趙雲はパラディン的イメージでしょ。

まろん殿

私はどうも好きではないです、この人。叛骨は置いておいて、年寄りを出し抜いて手柄を奪おうとした事が特に腹立たしかったですね・・・。
しかも失敗して助けられるとは・・・情けない。この人を見ていると諸葛亮の人材活用に問題あり、と思います。ほんとに魏にでも行ったほうが良かったのでは?

哲坊

まあ、軍人としては優秀だったから、人材不足の蜀では、このような人物でも使わざるを得なかったのがつらいところですな。

ゆっきー殿

本当はいいやつだったのよ。しかし孔明のせいでぐれてしまったかわいそうな奴だと思います。愛情たっぷりに育ててやれば裏切り野郎にならずにすんだよ、きっと。人間は骨じゃないって!

えみりー殿

魏延は優秀な武人だったと思うし、決して謀反などしていないです。裏切った事にされてしまったけど、実際のところは、逆にだまされたと言うかなんと言うか。可哀相だったと思います。

金裕 殿

いつの時代も、こんな我と誇りの強いタイプの男は
生きづらいんだよなきっと、でも、初期の劉備陣営には
こんな男達が沢山いたと思うなぁ〜
だってこいつの基本的な物の考え方は侠に近いと思うし
関羽や張飛に似てる部分もあるし、もっと早く劉備に仕えていたら
全然違う評価を受けていたはずだ、
個人的武勇では五虎将に劣るけど
采配や部下の将兵に対しての扱い等は全然張飛より上だと思う、
1番の不幸はやっぱり本人をコントロール出来る上の人間が
孔明の死後にいなかったことかな

南蛮大王 殿

魏延は黄忠なんかよりよっぽど活躍してるとおもうよ。
性格でいったら関羽、張飛なんかよりよっぽどましです。
楊儀,孔明,羅さん,阿斗の四人組の陰謀だ。

沮授 殿

最初に仕えた人物が劉備でなかったことが彼の悲劇の始まりですな。また、やっと劉備の元に仕えることができた時には既に諸葛亮がいたし…。諸葛亮から、暴君太守の韓玄を斬ったことを非難されるところは、拙者も思わず魏延の立場で納得いかなかったであります。
諸葛亮の作戦を忠実に守って、兀突骨率いる烏戈国藤甲軍との戦いで、わざと10数回負けて逃走する彼の姿が印象的であります。(わざとじゃなくて本当に負けて逃げてたのかもしれんが(爆))
#ロウソクさえ倒さなきゃ、いいヤツだったんだがなぁ…。(笑)
#ところで、魏延のコメント、大盛況ですなぁ、いや、びっくり(笑)

ゆう殿

私も実は三国志じゃ魏延が一番好きだったり。
天地を食らう2」は毎回魏延使ってます(笑)。ちなみに私は田舎住まいなんで、近所に未だにこのゲーム残ってたりします。今日初めて張遼を1コインで倒せました!(笑)ありがとう魏延、さすが魏延(爆死)

ゆう殿

あと、これはもっと真剣な話。北伐の勝敗の話です。
諸葛亮はおそらく、第一次北伐が奇襲であること、加えて奇襲の形以外では魏に勝利することが困難であることを理解していなかったのではないでしょうか。そういう観点からすれば、魏延の子午道経由・長安急襲策は非常に良いところを突いているのではないでしょうか。危険が多いとはいえ、虎穴に入らずして虎児は得られないのですし、諸葛亮の一方的な判断と、それを正当化した演技の世界では、不当に悪く書かれているような気がします。不幸な武将ですよね。

JUN殿

彼の悪評って、なんかすべて三国志演義によって加えられたようなものですよね。いかに孔明を立てるかってことで。というわけで、私も魏延が好きな一人です。演義のなかで最も割をくった人じゃないかと思ってます。玄徳LOVEな性格からして、謀反など起こす人物じゃないですね。三国志を代表するような武将だったことは正史を読んで納得のところです。

兵卒C殿

魏延の作戦が北伐で受け入られなかったのは、蜀の国力が単純に、劣っていたからだと思う。
一発博打で外したら、魏には修復可能な数でも、蜀には大きな痛手となりうる、だから孔明は擁州の西半分と涼州を攻め取って、涼州の地方豪族やその地の備蓄を当てにしてそれから長安を落とすつもりだったのでしょう、しかし、この孔明の目論みは長安から涼州への魏の援軍のルート、即ち占領した街亭を守っていた馬ショクの失態により水の泡となってしまった。
が、最初の北伐は魏への奇襲だったはず、司馬懿も居なかったわけだから、多少のリスクを押してもチャレンジする価値はあったと思う。

亮殿

俺は好きだな〜。なんか傲慢でプライド高いイメージ在るけどそれもまた男らしくてよし!まあ謀反して仲間に裏切られて死んじゃうようじゃ困るけどね(笑い)でも謀反する前は彼はお国のためによく頑張ってたよ!蜀後期の戦闘の要だったみたいだしね。
孔明がもっと彼に暖かく接してあげてたら絶対謀反なんかしなかっただろうに・・。かわいそうに魏延ちゃん(泣)。あと北伐のときの魏延の作戦、もしかしたらって時々思う。もしもがあったらその作戦を実行するところを見てみたいな。

歴興覇 殿

本当は裏切ってなかったんじゃあないのかな?裏切るなら北伐中にいくらでも裏切れたんだから。本当のところは、扱いきれないとみた三羽烏ちゃんと楊儀に謀られたって言うのが本当だろう。でも楊儀もやられるけど(笑)

Mr.F 殿

演義では孔明の敵という悪役のイメージが強かった魏延も「天地を喰らう」や「真・三国無双」でバーサーカーのイメージが確立した今となっては人気Xってこともないと思う。
彼は裏切り者ではなく単に使役するのが難しい猛獣だったというだけのことだろう。実際、劉備はちゃんと使いこなせてたわけだし。孔明も何だかんだ言って最後には使っていたわけだから…
ただ、彼の「猛獣」というキャラは呂布のそれに近いといえないこともない。最後にはほとんど呂布に殺された董卓。魏延に直接殺された(呪術はミスだろう)わけではない孔明。アンチ孔明のシンボルのはずが待避してみると孔明の優秀さを示すことになったのは意外だ。どうでもいいけどこの人物の名前を聞くと、斧を持ってカタカナで発言するというイメージがある。これはゲームのやりすぎなのだろうか?

赤龍 殿

言うなれば、蜀という会社の経営者になってしまう孔明は、どうしてもリスクを回避して、あくまで安全策を選択しなければならない。孔明にとってはよほど頭をいためているであろう時に、魏延の策はハッキリいって邪魔だったんだろう。疎ましく思われて当然だ。

峨畿棉 殿

長安を攻め取っても線でしか結べないので維持が困難。それゆえ孔明が却下した事は納得できる。しかし、それを差し引いても演義では魏延は悪役だよなあ。張飛で確定と思われていた超重要地帯の漢中を任された事からも彼の有能ぶりはわかる。惜しむらくは孔明と反りが合わなかったということか。

トリホー殿

五虎将というイメージがあまりに強烈で、魏延は五虎将に次ぐ男と描かれている。しかし将軍というのは必ずしも能力のある人間が高位の職につけるとは限らない、しかも虎の将軍などスーパーマンみたいで空疎極まりない。魏延はいってみれば、野戦司令官としては有能なプロ軍人だと思っている。だから戦局の全てを見極め、全軍の指揮を執る総軍司令官であった孔明の大戦略より、自分の局部戦のことばかりが目に映り、総司令に反発したのだ。しかしそんなことは戦史上の軍人には良くあることであり、特に取り立てることもあるまい。
基本的に孔明の北伐において、命令どおりに動くコマンダーは蜀にも多かったが、軍団を指揮し、奇をもった用兵術を使える男が魏延だけだったのは孔明の北伐の苦戦を物語っている。
豪傑という意味では関羽、張飛、趙雲には劣るが軍人という意味では勝っているのではないか?ただ孔明に自分の策を却下されたぐらいでヘソを曲げるところとか、総大将の悪口を言うのは魏延の大きなマイナス点である。参軍は所詮参軍総大将はあの孔明なのだから。

不明問題 殿

魏延は、劉備に仕えたときから、諸葛亮と対立していた。「反骨の相がある。」といわれたから。しかし、彼の能力は抜きんでいたのではなかろうか。北伐のときにしても、長安を襲撃するという大胆な策を計画したし、漢中攻略の後も、劉備の信任を得て漢中という敵との最前線にいたからだ。しかし、あまりにも異色なので、当時の蜀のものから遠ざけられ、やがて反乱を起こして斬られる形になっていたのではなかろうかと思う。

魏恩 殿

自分が思うには劉備が死んだことが彼にとって運のツキでしょう。そして彼を殺したことが蜀にとって運のツキだったのでしょう。そもそも劉備は魏延や張飛などの猛将タイプの人間と相性が抜群です。魏延や張飛などの猛将タイプの人は出陣命令が下されると「拙者におまかせ下され!敵将を討ち取り敗北に追い込んでやりましょう!」と意気揚揚に、そして劉備は「おう!その意気頼もしい!見事手柄を立てて来るのじゃ!」と武将を激励します。
しかし孔明先生にこんなこと言うと「大言を吐く奴」と思われかねません。また魏延というと五虎将の影に隠れているような地味な存在と思われてます。果たしてそうでしょうか?五虎将に並ぶ働きっていわれますけど漢中、南征、北伐を総合すると五虎将以上の働きをしているのでは?馬超を抜いて魏延を五虎将にしてあげたかったのは自分だけ?また魏延というと蜀に謀反した奴と思われがちですがそれは完全なる演義の脚色です。正史では魏延はまちがいなく「智勇そなえた名将」「蜀の忠臣」です。彼の墓が立派なのをみてもそれはわかるでしょう。彼を裏切り者呼ばわりするのはやめてほしいです。

ぺー 殿

魏延の墓の上に、列車が通ってるってーのがなー

太祖無帝 殿

諸葛亮や楊儀のような上司や同僚とは折り合いが悪いが部下をよく掌握していたという評を鑑みるに、関羽に近い武将といったら言い過ぎでしょうか。是非はともかくもっと評価していい武将だと思います。

綺羅 殿

そもそも「反骨」っていうけど欠点はどんな人間でもあります。
張飛は「無類の酒好き」関羽「人を見下しがち」黄忠は「若い者には負けん!と意地をはる」孔明は「決断が遅い」という欠点があります。劉備は彼らの欠点をよく理解し大目にみてましたよね?あと魏延というと「抜け駆けをする」と言われてますがあの優等生の趙雲でさえ南蛮で抜け駆けをやってます。しかも魏延と仲良く一緒に♪孔明とは仲が悪かったようですが趙雲、張飛とはけっこう仲がよかったのでそれほど同僚と折り合いが悪いわけじゃなさそうです。

陥陣営 殿

どうも、こう言う「実力を伴った野心家」…とでも申しますか、己が利を第一に考える傑物が好きなんですよ。呂布とか、司馬懿なんかですね。(王允もある意味で…)「トリックスター」的立場の人物なんでしょうか? 結束力、団結力の強い「呉」には居なかった人材ですよね。

マスクオヤジ 殿

昔、魏延なんつう名前だからてっきり曹操の子分だと思ってしまった時期がある。その後蜀の武将だとわかってもなかなか馴れかった。まったく紛らわしい名前だ!!

雑巾賊 殿

まじめに闘いすぎたんじゃないの?北伐は、最初はともかく、そのあとどんどんと形骸化して、一種の、蜀の正当性を天下に喧伝するための戦争ショーになってったと思うんですよね。背後の政治家達は、自分たちの身の安全と目先の安楽な暮らしが保証されてれば、別に天下を取るのが蜀だろうが魏だろうが関係なかったわけで、あんまり大きなリスクを犯してまじめに戦争なんかやられたりすると困るのですよ。財政が逼迫しちゃうし、軍が壊滅したりすると、エラいことになるし。孔明没後の騒動も、そうした前線と首都との空気の乖離がもたらした悲劇で、忠将魏延は、やはり政治的に抹殺されたんだと思います。

閻行 殿

私も魏延はなんとなく好きです。正史の記述では孔明と魏延の確執はあったようには感じませんでした。確かに孔明に意見が取り入れられなかったことを根に持っていた記述はありますが、孔明に嫌われていたとまでは書かれていませんし、孔明なら本当に嫌っていて殺せるものなら適当な理由でさっさとやっていたのではないでしょうか? 魏延の死は純粋に楊儀と魏延の間の確執から生まれたものどと思っています。孔明は死の直前に魏延の独断を予想して指示をしましたが、楊儀はそれをうまく利用して、魏延を抹殺したものだと思います。というか魏延もこの機会に楊儀を抹殺しようとしたふしがあるので、お互い様かなと・・・。蜀の臣下達も一様に魏延には同情的です。(楊儀は除く)
楊儀はおそらく荊州の名士だったのではないでしょうか?名士にとっては魏延のような武辺者はとるにたらない存在であり、同列には扱えないと思っている彼にとって、魏延の傲慢さは我慢ならなかったのかもしれません。劉備のように名声のない無骨な武人の心がわかる主君をもって初めて活躍できる人物だったのではないでしょうか?

スダダス 殿

三国志で、これほど悪役に仕立てられた武将もいないでしょう。諸葛亮にここまでコケにされた武将もいなかったでしょう。ゲームでも、すぐ裏切るやついうイメージが定着しています。五虎将軍の亡き後、諸葛亮の策を実行する力が一番あったのは彼です。馬ショクなんかより、ずっと能力は高かったはずです。本当にかわいそうです。魏延ファンの私としては。(02.9.4)

戯円分趙 殿

私は魏延という人物が大好きなんです。しかし、非常に悪役イメージが強く、裏切り者ということですが、私はそうは思いません。まず、諸葛亮が魏延を嫌い、長安に攻めるという積極策も取り入れなかったからではないか。自分の主君(韓玄)に反乱を起こし、黄忠を助けて、劉備にしたがうということを示しているのに、いきなり「叛骨の相があるから切れ」といわれたらどうでしょう。普通はその人に対し悪印象を持ちます。魏延が諸葛亮の悪口を言い出したのも諸葛亮が魏延の策を取り入れず、北伐をして失敗したからである。劉備は魏延をしっかりと評価していたようで、蜀軍の中では出世はかなり早かったようだ。そんな彼を謀叛におとしいれたのは諸葛亮のせいだと思う。もうひとつは、指揮官を楊儀にしたことである。楊儀にした時点で魏延のイライラがつのるばかり、それならまだ蜀に忠誠を誓っている間だけでも指揮官にさせたらよかったんだと思う。(02.10.28)

ジャンルイジ 殿

乱世では生きて行けない種の人間ですな。意見が合わなかったというよりパフォーマンスがあまりにも下手過ぎて認められなかった事が彼の破滅の原因。孔明はきっと人望と武勇を兼ね揃えたトータル・ファイターの方がよかったのでは?それなら自分の苦労も減るし(爆) でも生粋の武将にありがちな「生真面目」なために世渡りがあまりうまくないのでは。(02.12.29)

オジオン殿

ほとんど軍人奴隷に等しい境遇から身を起こし入蜀戦で大活躍、張飛を差し置いて漢中太守に就任、郭淮・張コウなどの魏の名将達と互角以上の戦いを繰り広げるなどかなりの戦上手です。第一次北伐で長安の情報をかなり正確に入手している(魏延の長安直撃策の是非はまた別の問題ですが)など、ただの戦闘指揮官ではなく軍略に長けた面持ち合わせています。ただ、飛び抜けて有能であったために極端に自恃の念が強かったようで、対人関係は拙かった模様です。そういうところは関羽にそっくり(演義でも赤ら顔+大薙刀使いで関羽のそっくりさん)です。独断専行型の人物を嫌う真面目過ぎる諸葛亮が上司であったのが不幸です。それでも魏に下らなかった訳ですから、自分勝手なところはあっても彼なりに蜀への忠義があったはずです。ああいう最期でなければ「関張馬黄趙伝」に加わっていたことは確実でしょうから、残念です。ゲームなどでももっともっと評価されて良いと思います。(03.1.6)

頴娃 殿

立派な名将と思います。個人的には、郭淮をやぶった点をものすごく評価しています。だけど、長安襲撃はあまり賛成できません。1時期、長安を占領できたとしても、維持は困難だからです。孔明との折り合いが悪かったのが残念です・・
張飛で確定と思われていた漢中を任され、見事な政治手腕を誇ったんだから、彼は5虎将軍よりも全般的な才能はあったと思います。ゲームの彼の能力は本当に不服です。何故、馬超や黄忠より知力が低いんだろう・・・(03.2.5)

仁蔵 殿

意外にここでは魏延は人気がありますね。自分は一般的な裏切り者というイメージが強くあまり好きではなかったんですけれども、ここを見てそれ以外にもいろいろな面があると知ってためになりました。(それでも自分はゲームだと心配で太守に出来ない)(笑) (03.2.5)

デンホー大臣 殿

南蛮の戦いではよく趙雲とコンビでしかも孔明の言う事をよく聞いて戦っていましたね。しかし、やはり魏延は猛将タイプじゃないと・・・馬岱より武力が少し高く知力が少し低いぐらいがベストですね。「わしを殺せる奴はいるか」と言いましたが絶対五虎将がいたら言えませんね。(03.6.23)

青兎馬 殿

魏延ファンが多いのにすごく喜びを感じます。私も魏延が裏切り者とはまったく思いません。最後まで魏に走らなかったことは褒めてやるべきだと思う。彼は最初から「反骨の相」などと言われ、その汚名を返上するために必死に戦ってきたのではないでしょうか? 自分が立派な蜀将だということを認めてほしかったんだと思います。孔明に言いたい! 外見で人を判断するな!!! ゲームでは魏延を大切に使ってます。(笑) (03.6.23)

トリホー 殿

魏延強し。孔明亡き後蜀を引っ張れるのはやはりこの男に限る。玄徳が漢中王になってからの彼の活躍が印象に残りまくり。特に趙雲とコンビというのがいいですね。やっぱ私は魏延が蜀将で2番目に好きだなあ。確かに魏延が強すぎたことによって孔明は彼を処罰したけど、それはまぁしゃーないって感じですかね。もともと魏延はあーゆう性格だし上に立ったら謙虚になれるタイプじゃないしそれはそれでいいんじゃないかと思います。一線級の戦闘力こそが彼の持ち味でしょう最高司令官の器の問題は彼にとってはどーでもいいと思っています。いっそのこと武力99になって欲しいと思う今日このごろです。(03.6.23)

文超 殿

魏延ファンがこんなに多いのは感激です! 実際魏延は、玄徳には多大な信頼を受けていましたし、こんなに蜀に貢献しているのに演義のあの扱いはあんまりでしょう。魏延の最大の敵は楊儀と羅貫中だ!(03.7.22)

鬼八坂 殿

魏延と対立した楊儀自身、自らの待遇に不平を言って平民に落とされてる訳だし、なんだかね・・。韓玄の首を持って投降した事に対しては、孔明の批判も解るけど「反骨の相がありますので処刑しましょう」なんて劉備に進言する孔明もね・・・普通に考えたら腐るよ。(03.7.22)

くらむぼん 殿

北伐のときの、長安を襲撃する策に関してですが。根拠地に篭もる敵に対しての奇襲という作戦が成功した試しは古今例が無いのではないでしょうか。全軍を揚げての作戦行動ならまだしも、小勢の軍をさらに割って組織した別働隊では間違いなく不可能だとおもいます。小牧長久手の池田勝入斎のようにボコスカに負けてしまうのでは。孔明はその事を兵法の道理として知っていた為、魏延を制止したのではないでしょうか。魏延の作戦に勝機を見いだすとすれば、城攻めなどせずに、匈奴やバイキングのように非武装の農村地域を襲い、略奪しまくり、魏軍が迎撃してきたならばとっとと逃げて相手を混乱、疲弊させそこを孔明の本隊に叩いてもらうという戦法しか無いように思います。あるいは魏延自身こういった戦略を抱いていたのやもしれません。が、こんな戦略をとってしまったが最期、漢朝再興の大義や孔明の声望など消し飛んでしまいます。こうしてみると、孔明と魏延との確執はもっと深いものであるように思えます。(03.8.18)

SouSou 殿

こんなエピソードがあります。魏延が殺された後、魏延の愛馬が川に立っている二人と「魏延は悪くない」と議論を交わしていた話があるそうです。愛馬と川に立ってた二人はそのまま像になったそうです。魏延が反乱を起こしたのも諸葛亮の後継者が自分だと期待していたという思いがあったと思います。 (03.9.23)

フロリス 殿

丞相たる孔明とうまくゆかなかったばっかりに才能を十全に発揮できず、終わりをよくしなかった、非常に気の毒な人だと思います。プライドが高くて扱いにくいという点では関羽によく似たところもある。人間関係のしがらみのおかげで活躍できないでいる人は皆さんの身の回りにも多くいるのではないかな。そのように考えると他人とは思えまい。(03.9.23)

田穰苴 殿

おそらく第一次北伐で魏延の子午道を通って長安を強襲する作戦が成功したとしても、蜀の国力で長安をそのまま維持するのは無理であったであろう。ゆえに孔明は魏延の策を用いなかったと思う。やはり長安後方を固めておかなければ、挟撃されるのが関の山と孔明は考えたのだろう。宛には仲達も控えていたし。長安を落とすことだけを考えた魏延と、その先の先のことまで考慮していた孔明...魏延ファンの人には申し訳ないけどやはり孔明の対応は妥当だったと思う。でも武将としての魏延の実績はすばらしいの一言に尽きますね。 (03.11.30)

破壊豚 殿

文官優位の蜀政権では、先代に使えて有能な軍政官だった魏延は目の上のたんこぶだったんでしょうね。後に宦官の黄コウに擦り寄らなければ出世できなかったように、文官のトップの孔明に擦り寄らなければならなかった蜀では浮いた存在だったのでしょう。どうせなら亡命した方が良かったのでは・・・・? (03.11.30)

倭奴国王 殿

魏延は上司である孔明をライバル視し、同格の楊儀を小ばかにした態度をとっていたようです。ま、そういう意味では関羽に似たところあるかも。しかし謀反したのではないにせよ、孔明の死を口実に自分勝手な行動に出れば軍の統率はめちゃくちゃになるし、処罰の口実をライバルの楊儀に与えるだけですね。関羽はそういった独断専行もしないし、礼もわきまえた人物ですから。(03.11.30)

よっちゃん 殿

『反三国志』では関羽や張飛にも劣らない武将として活躍していますし、反骨の相等という話もありません。功をあせり抜け駆けもしましたが決して孔明と仲違いなどせず(むしろ良い主従関係)長安を落とす、程イクを生け捕る、姜維と連携し許チョを倒すなどの大功をたてています。やっぱり孔明の魏延に対する態度が違っていれば誰もが認める蜀の忠臣になっていたかもしれません(私も魏延は無実だと思っていますが)。(03.12.30)

鶏一番 殿

僕は好きなんですが、正史だと蜀書のブラックリスト第十伝に入っていますよね。(劉封が入っているのは気の毒だとおもいますが)面白いのは、嫌われ者同士お互い仲が悪いこと、ブラックリストに乗るような人たちがそれぞれ重要な地位にいることですかね(蜀って人材不足ですよね)。ところで僕は長安の奇襲作戦はやるべきだったと思います。長安を維持できなくとも燃やせばいいんですから、呉や異民族にものすごい影響を与えたのではないでしょうか、最後に陳寿は「身から出た錆」という評を下していますが、「それだったら関羽や張飛も入れてしまえ」と思うのは僕だけ?(04.2.19)

元直子均 殿

魏延が諸葛亮を快く思わなかったのだって、諸葛亮が出会い頭に「反骨の相です、斬った方が良いでしょう」などと言ったからだと思います。折角韓玄斬り、黄忠助ける大手柄立てたのに。十分魏延も蜀を守り立てるのに貢献したのに、演義での人物像は如何な物かと思います。はっきり言って、楊儀何かよりはよっぽど頼りになってたと思いますね。本当、羅貫中は人物の表し方がなってないですね、陳到といい、魯粛といい。(04.4.13)

よっちゃん 殿

魏延の最初の謀反も、劉備と共に国を守ろうとして、曹操に国を売って保身を図ろうとしていた連中と戦ったわけですよね。なんでそれを止めようとした文聘は忠臣扱いされ、魏延は二回も主君を裏切った男と言われるのかがよくわかりません。(04.7.19)

馬忠孟起 殿

演義ベースで考える場合は、確かに諸葛亮との確執を焦点に魏延の協調性や忠誠心の判断がなされるかも知れません。しかしながら投降してきた有能の人物にあたら「反骨のレッテル」を着せて後々に影響を与えてしまう不明ぶりや、そりが合わぬからと言ってコロ谷において敵将もろとも焼き殺してしまおうとする演義における某丞相もいかがなものでしょうか?(必ずしも実際の諸葛亮を非難するものではありませんので足からず)

魏延は三国時代から三国演義が成立する明代までの間に、実際の彼の業績にはそぐわない役どころをあたえられてなおかつ不幸にもそれが彼の死後1700年たった現在も定着してしまっている「不幸な歴史上の人物」というのが公平なところではないでしょうか?

初めて書き込みをいたします。これほどさまざまなご意見がでても、決して個意見への非難集中や泥沼かした言い合にならないサイトさまの土壌(管理人様や書き込まれる方の姿勢)に敬意を表します。(04.7.19)

哲坊

ありがとうございます。ある程度の投稿量が溜まってから、また、すべての投稿に眼を通してから掲載しているので更新は遅いですが、今後ともよろしくお願いします。(04.7.19)

代打 殿

私も魏延大好きです。ただ皆さんおっしゃっているように、劉備死後の蜀では扱いにくい武将だったかも知れません。もし魏に仕えていたら要所を締める重要な武将になっていたのでは無いか?と思う反面、層が厚いため目立たなかったかな……、とも思います。何はともあれ、皆さん印象深い武将であることは間違いなさそうですね。(04.10.3)

まりオ 殿

自分もこの人は悪くないと思います。孔明がいかに評価されようが興味ありませんが、孔明に嫌われていただけで彼が悪く評価されるのは許せません。演義でも正史でも孔明は魏延が大嫌いなんです。

まず演義では、上司を殺して劉備の元に馳せ、城をあけわたしてくれた彼に対して、「叛骨の相です、殺しましょう」と進言しています。また、北伐の対仲達戦では敵と一緒に彼を焼き殺そうとしています。そして運良く生き延びた彼に問い詰められると「あれは馬岱が勝手にやった事です。あいつを鞭打ちの刑するから許して」なんて言っています。あくまで演義での話ですが、最低だと思いませんか?自分はこんな卑怯者見た事ありません。

正史でも孔明のやっていることは大して変わりません。孔明は軍事的才能がないのに、その才能のある魏延という存在と協力できなかった時点で、政治家としてはともかく軍師として失格だと思います。孔明に軍事的才能がないと書いたのは、劉表が死んだとき「劉表の子供を殺して荊州を手にいれましょう」なんていう劉表の民からの信望や荊州に残した業績を考慮すれば、口にすることすらできないような進言をしたり、第二次北伐でカク昭がたった一千で守る陳倉を数万の兵で二十日かけても落とせず、撤退する指揮能力の無さなど考えたらそういう結果にたどり着くからです。

また、自分はあの長安奇襲作戦は行った方が良かったと思います。もともと無謀な北伐なのだからくらいの賭けをしないといけなかったと思います。孔明にも孔明なりの考え方あったと思いますが、魏延を後方に置いた理由にはならないと思います。しかし、何故趙雲と馬謖なんだ?趙雲は大部隊を率いたこと無いし、馬謖にいたっては戦争経験がない・・・それ以前に劉備の遺言を忘れたの?って感じです。そして案の定大敗する。そうなると魏延に不満が出るのもあたりまえだと思います。

しかしこの後がさらに陰湿で、孔明は魏延を全く重要しなくなりました。それに耐え、任務をこなし続けた彼は本当に強い心の持ち主だと思います。そして孔明が死に、やっと日の目を見られる・・・という時に孔明と楊儀にはめられ、首を切られたのです。本当に気の毒な人だと思います。(04.11.1)

一人三国志 殿

魏延に関しては劉備と諸葛亮の見る目が違いますね。劉備が夏侯淵から漢中を奪った時に誰もが漢中の押さえとして重臣の張飛か、夏侯淵を破った黄忠を充てると思ったのに対して魏延を抜擢しました。対魏の重要拠点漢中に反骨のある人に任せるわけがないですし、劉備が漢中王を名乗るくらいですから、五虎将軍並の待遇だと思います。

私の所見ながら、関羽は完全に独立した動きをしてるので、劉備と主君関係とは考えられませんし、張飛は劉備と同郷で、本当の家族・兄弟みたいなものです。この2人は別格です。馬超は外様ですし、趙雲は劉備のボディーガードでしかありません。この2人は蜀内で実際そんな活躍はしてません。やはり、実際軍を率いて蜀取りに貢献したのは黄忠と魏延しかいないので、劉備の魏延の信頼度と待遇は妥当だと思います。諸葛亮の場合、無能な楊義や馬謖、姜維を抜擢するくらいなので人の見る目が無いのだと思います。それと自分と違う意見の者に対して冷遇してるのではないかと思います。李厳もですが、自分の政敵になるような人は潰す傾向があり腰巾着には甘いような気がします。

魏延の悲劇は蜀の政権の中枢が実力主義で評価する劉備から(任侠集団)、名士や家柄で決める諸葛亮(名士集団)に移ったからだと思います。そう言えば、徳川幕府でも豊臣政権でも、初めは武断派が権力の中枢にいましたが、後には官僚派が幅を利かせます。魏延は戦争そのものには当時最強と言えましたが、政権争いでは知らず知らずに諸葛亮らに陥れられたのでしょう。(04.11.1)

韋孝寛 殿

正史で見る諸葛亮は魏延を嫌ってはいません。むしろ彼の武勇を頼りにし、他の将と仲が悪いのを心配しています。少なくとも諸葛亮の側から積極的に彼を排斥しようとした記述は見出せません。魏延は不満たらたらだったようですが。

彼の悪評は諸葛亮が意図的に創ったのではなく、彼自身の性格が呼び込んだものと思えます。諸葛亮死後の暴走と、自分の指揮下の将兵にすら見捨てられたという、聞くも哀れな最期は間違いなく正史に記載されています。諸葛亮が意図的にそうなるように仕向けたわけでなく、諸葛亮は「もし彼があくまで撤退を拒んだ場合は放っときなさい」としか言っていません。この点を考慮すれば自ずからどういう人物であったか解ると思います。ただ、私も演義の脚色は行き過ぎではないかと思いますが。(04.11.1)

カトー殿

うろ覚えで申し訳ありませんが、以前目にした書籍によると、見つかった古文書にショウエンから魏延(死後)にあてた詫び状があったとか。それによると、この一件は単なるスケープゴートであり、本人に謀反の意志があったわけではないという内容が記されていたとか。それが元で、現在の中国の学会では魏延擁護が主流だそうです。この本を読んで魏延の再評価が進んでいることを知り、ひとり喜んでいたのが懐かしいです(約10年前)。このサイトの皆さんのご意見が好意的なのも、勝手ながら非常に嬉しく思ってます。(04.11.1)

ユーリ 殿

魏延は誠実な人物だったのではないか。五虎大将と言われる5人には、魏延に比べて孔明に対して何らかの優位さがあった。関羽・張飛は劉備の義兄弟だし、趙雲は忠義の人で劉禅を死地から救い出したりもした。馬超は北部の民族とのつながりがあって重宝されたし、黄忠はその人為と努力で認められた。

魏延は黄忠みたいに努力の人だったのではないか。最初に孔明に悪者のレッテルを貼られ、「これを覆そう、孔明に認めてもらえるようになろう」と決意した。そのためには戦で活躍しなければならない。だから功を焦って命令を無視することがあったりもした。しかし、その命令に正当性があれば、南征時のように14回わざと負けるようなこともした。それが自分自身の矜持をひどく傷つけるような事があってもだ。魏延とは比べ物にならないくらいの自尊心の塊で、自己中心的な孔明は、自分の意見(魏延は叛骨の相だというもの)を曲げることがなかった。

唯一の理解者・劉備がいなくなって、彼への風当たりは厳しくなった。孔明が文官・武官問わず、魏延のことを「いずれ裏切る」と言いふらしていたからだ。だから魏延は矜持を傷つけられつづけ、最後には裏切らずにはいられない状態に陥れられた。自分の意思とは反しても結果として裏切るしかなかったのではないでだろうか。最後の魏延は『銀河英雄伝説』で言えば、ロイエンタールと同じ境遇にあったのだと感じる。そういう意味では最後まで劉備を裏切らなかったし、孔明の思惑(=魏延は裏切る)をも裏切らなかった、義の人だったと言えよう。(05.1.12)

よっちゃん

魏延の漢中太守任免時の抱負「曹操が天下の兵を集めて攻め寄せてきたなら大王(劉備)のためにこれを防ぐ所存、副将が十万の兵で攻めて来たなら、これを呑み込んでやる所存でございます!」名言であると思うのは私だけでしょうか?演義では悪役に仕立てるためか、省かれています。(05.1.12)

猫背 殿

孔明は何故魏延を嫌ったんでしょうね?孔明は演義でも正史でも魏延を嫌ってます。私は孔明が嫌っていたという理由だけで魏延が悪く評価されちゃうのは我慢ならないですね。北伐での対司馬懿戦にいたっては、なんと敵兵を焼き殺す火計の中に魏延を置き去りにしてまで、魏延を殺そうとするのだから恐ろしい。

生き残って帰ってきた魏延に問い詰められると、「いやー、馬岱が勝手にやったことだから。馬岱のヤツを鞭打ちの刑にするから、許してちょーだい」ですよ。魏延を嫌うあまり「魏延の軍事的才能」を充分に活かさなかったのだから救い様がない。(孔明ファンの方申し訳ない^^;)

五丈原においては、遺言に魏延に対する悪意がドップリと満ちている。楊儀、姜維、費イらに対して残した言葉は以下。「私が死んだら、五丈原から兵を撤退させろ。その際、殿軍は魏延。姜維は、その先を行くこと。魏延が撤退命令に従わないなら、置いていけ」これですぜ。大嫌いな魏延に危険な任務を与え、かわいい姜維達には安全に帰還させようというわけ。普通に考えれば、撤退命令を出す際には、それに反対しそうな魏延には直接告げて、勝手なまねをしないように言い含めるハズ。それをしなかったってことは。もう、魏延を陥れようとしていたとしか思えない。(05.4.23)

公孫樹 殿

馬ショクを信用しなかったことでも分かるけれど、劉備は人を見る目だけは確かだった。だからこそ張飛でなく、無名の兵卒だった魏延を漢中太守に抜擢したんでしょう。魏延の才能を諸葛亮も買ってただろうし、諸葛亮には渋々ながら従っていたところを見るとお互いに力は認め合っていたのでは。楊儀の狭量こそが諸悪の根源なのでは…。(05.4.23)

無双天神 殿

孫子には「指桑罵槐」(しそうばかい)といって、あえて違う人を諌めることによって効果をあげる兵法があります。(哲坊注:実際中国人には、本当の怒りの対象とは全く別な者を攻撃することで、間接的に効果を狙う性質があるらしい。それは、最近中国人が行った反日デモにも当てはまり、日本は仮想敵国にされているに過ぎないという見方もある)

この手法は新撰組の鬼副長・土方歳三も行っており、これによって近藤勇を立役者とする効果もあげたようです。とはいえ、孔明の魏延に対する行動は度を越えており、一人に対して行うべき策ではなかったと思います。孔明や趙雲より実戦経験豊富な魏延の長安奇襲作戦提案を却下するというのは、孔明は魏延を憂いとしか見ていないような気もします。劉備が魏延に漢中太守の話を持ちかけたとき、魏延は「曹操が天下の兵を以って漢中に攻め入るときは防ぐしかありませんが、十万程度の兵を率いてこようものなら、奴らは皆殺しに致します」と言ったらしいです。この異様な自信は何でしょうか?と聞きたい程ですが。

更に魏延は長安奇襲作戦を提案し、孔明に却下され戦に敗北したあと、魏延は「戦争に博打はつきものだ!、第一、俺に一万の兵を預け失敗したところで、俺と一万の兵が死ぬのみで孔明は死なぬではないか!」…まぁ、尤もなんですが、あくまで正攻法が目立ち、魏延を嫌う孔明、認めるわけがありません。私は魏延に同情し、かつ孔明にも同情します。双方憎みきれませんからね。(05.7.11)

アニマル黄忠 殿

演義はともかくとして、何故正史でも孔明が魏延を嫌っていたということになるのでしょうか?正史を読む限りでは孔明は魏延を気遣っているように見えます。また、北伐開始時には督前部・丞相司馬に任じ、230年には単独の軍事行動を許しているし、功績を立てると昇進させて節も与えています。当時の蜀で、何のバックボーンも無しにここまで好待遇を受けた武将はいません。北伐の総大将に任じろ、という声もあるかもしれませんが、基本的に他人と上手く協調できない魏延に務まるとは思えません。関羽とて麋芳らの後方援助が受けられなくて失敗しているのですから。(05.11.12)

マスター 殿

アニマル黄忠 殿の書き込みに補足です。正史において諸葛亮は退却の総指揮を魏延に取らせるように遺言しています。これは絶大の信頼といっても過言ではないと思います。(06.3.21)

u-ga 殿

魏延好きの人が案外に多く、嬉しい限りです。さて、この魏延。反乱するつもりはまったくなかった、のでしょうね。ただ、孔明との確執を指摘されることが多いのですが、ライバルのようなもので、お互いの力量を認めていた、とは思うのです。曹真と司馬懿のような関係ですかね。

まあ、孔明はイエスマン型の人材を好んでいたため魏延のようなプライドが高いタイプは好みでなかったのも事実でしょう。ただ孔明がなくなった後、楊儀に謀殺されてしまいますが、もともとこの2人は仲が悪かったようですね。楊儀は魏延を、「生まれが悪いのに重用されてる」として嫌ってます。

無論魏延も楊儀を嫌っていて、喧嘩になると剣を抜いて怒ったというのですからよほど馬が合わなかったのでしょう。孔明死後、楊儀は「魏延が軍権を握れば自分は殺される」と思い、機先を制して彼を殺したのでしょう。大体、魏延が蜀に反乱を起こす動機がないのですし。ただ、蜀の成都にいる彼の三族は全て反乱の嫌疑で処刑されています。

魏延は・・・なんというか報われない人です。公孫樹殿も申しておりますが、楊儀の狭量が一番の原因だったのでしょう。生前の孔明がどれだけ諭してもこればかりはどうしようもなかったかもしれません。ちなみに、楊儀は孫権に「牧童程度の小物」と評されておりますね。(05.11.12)

ケ範士則 殿

あくまで正史での人物像をベースにした仮定の話です。もし、関羽や馬超が北伐に従軍していたら、孔明に対して従順でいられたでしょうか・・?正史における二人の言動・性格から推察するに、遅かれ早かれ魏延と同じ末路を辿ったと思います(ファンの方々、すみません)。関羽&馬超と魏延の決定的な違いは「長生きしたか否か」に尽きるのでは?

関羽&馬超と魏延の相違点はさておき、魏延という人物は「一介の武辺者」にすぎなかったと思います。自分の策が容れられないだけで不貞腐れ、あげく楊儀程度の人物とムキになって争う・・とても一国を背負って立つ重鎮の器とは思えません。確かに演義での魏延像は、必要以上に羅貫中の魏延に対する悪意が込められているように見受けられます。そういう意味では魏延は不幸な人物ですが、正史での魏延は、決して逆臣ではないけれど、その最期は自業自得、だったのではないでしょうか。(06.3.21)

カンヌ 殿

正史では嫌われていないのに演義で嫌われていたといわれているのはなんというか心外ですね。恐縮ながら意見すると、孔明は楊儀の才も買っていましたし魏延の軍事能力も高く買っていたため魏延と楊儀(または他の将ら)との不仲を心配していました。孔明のいるうちはなんとか孔明がうまく仲介をしていたのですが孔明の死後、楊儀は勝手に自分をなき孔明の後継と思い込み自分に害する魏延を消そうとします。反乱をしようとなどこれっぽっちも思っていなかった魏延は失意のままに謀殺されます(もし魏延が反乱するまたは蜀を裏切るなら魏に向かうため北上するはずが南下していることから楊儀を殺すためにという考えも)。過去にいた名将たちも同じようにそりの合わない人に謀殺されています(白起・蒙テン・韓信等)。なんとも悲しいものです。(06.3.21)

白圭 殿

僕は、uーgaさんの意見に同意します。当時生き残っていた武将達は五虎将は亡くなり、有名どころで言えば馬袋、王平、廖化、張翼、姜維ぐらいであり、魏延もだが、皆降将ではあった。そして、魏延はそのなかにおいて、経歴、実績から行っても武断派の代表的存在だったのではないだろうかと思う。

孔明は明らかに文吏派の代表であり、そのため対立が自然と多くなったのではないだろうか。僕自身、孔明はきらいであるが、「叛骨の相」と言うのは後生の脚色だとおもう。南蛮制伐のときは、趙雲などの五虎将がまだ健在であったためか、(五虎将達が武断派の代表となっていたのでは?)魏延の孔明に対する反感はそんなに多くはなかったと思う。けれども、先に述べたように、五虎将亡きあとは、魏延が武断派の代表とならざるをえず、そのため武断派の意見を魏延が代表せねばならなくなる。魏延は国の政治はある程度できたかもしれないが、国同士の対立における、「謀略」には疎く、知らぬ間に「悪役」に仕立てられた。

魏延はそれに気づかず、いつものように孔明に意見を言うが、周りからはそれを「対立」としか見られなくなったのではないか?僕の予想では、魏延は一武将、としてならば、今までと同じように武功をあげられたのではないだろうか?けれども、蜀には人材不足のため、仕方なく魏延は武断派の代表とならざるをえず、そのために悪役に仕立てられたのではないか。だが、それほどに魏延が一部の文吏派に嫌われたというのは彼自身の性格、つまり武人にありがちな狷介な性格が災いとなっているとおもう。 もし、魏延が蜀でなく魏、呉などの国に所属していたら、甘寧、 張遼みたいな猛将の存在ではないだろうか?(06.4.8)

ソロネ 殿

中国ドラマ「三国演義」に、魏延が劉表死後の劉ソウ時代に劉備に仕えようとするシーンがあります。劉備を城に入れようとしない他の部下と戦ってしまったため、劉備の目を伏せさせてしまったのは残念ですが、この時に既に劉備は魏延を知っているはずですので、自分への忠誠心が強いということはわかっていたと思います。だからこそ、役立たずの韓玄を殺したことより、魏延にとって大切な先輩である黄忠の命を救った事を劉備は評価したのだと思います。

さすがにそれだけの忠節を諸葛亮に「叛骨の相」などと覆されたら、誰でも怒りたくなるものでしょう。それでも、劉備の優しさを受け、その忠誠心から絶対に劉備を裏切らなかったのは、彼の辛抱強さを表していると思います。あくまで自分は武人。兵を率いるのが役目。だからこそ、武人として活躍しよう。そういう、自分の役目がわかっていて、適切な仕事に就こうという意欲を見ると、逆に自分の手柄だ何だと言って、後の官爵付与に不平不満を抱いて平民に落とされるような楊儀とは違います。

諸葛亮もまた、博望波の時のように魏延を納得させるような本当に自分のやり方が正しいのだと証明させるようなものがありませんでした。魏延には、諸葛亮が劉備に仕えた当初の関羽や張飛のように、諸葛亮の正しさを疑う目があるのは当然だと思います。まして、劉備の臨終の際に重用しないように言った馬ショクを使って失敗したとなれば、この人は本当に劉備に忠誠を誓ったのか?と疑う気持ちさえ現れるのではないかとさえ思うのです。

そして、諸葛亮との仲が更に悪くなる決定打は、曹真死後の北伐辺りで再発します。撤退を装った戦で、危険な挟まれ役(前線部隊の張コウを奇襲し、後続部隊の司馬懿を食い止める役)に当初、単独任務で魏延に自ら名乗りを上げさせようとするのです。この時は勇敢にも王平が名乗りを上げましたが、するとどうでしょう。今度は王平だけでは足りないと言って司馬懿部隊用に魏延を名乗り上げさせようとします。今度は張ギョクが名乗り出たために、今度は諸葛亮は魏延には役目を与えないという屈辱を受けさせます。そして、可愛い姜維にはがら空きの本陣急襲というおいしい所を与えました。どう考えても諸葛亮が勝手に魏延を嫌っているだけにしか思えないエピソードです。

ゲームのデータでは忠義が低く、野望の高い彼ですが、私ならその野望より高い忠義を彼に与え、最低限「大志」の性格の合うものにしたと思うくらいです。彼はただ、君主に忠誠な武将であった。それが、私の評価です。(06.4.8)

芋ペンギン 殿

魏延への投稿が多いですねぇ。しかも、結構擁護する方が多いのには驚きです。私もどちらかといえば魏延は好きなので、嬉しいですね。魏延が関羽に近い、と仰った方がおられましたが、私も同意です。魏延は「豪傑」というより「軍人」だし、「後方の総大将」というよりは「現場監督」だし、何より「人の和を導く」よりは「我を通す」人でしょう。そして、(私の個人的な思い込みですが)「蜀に仕えた」というより「劉備に私淑した」人だと思います。こんな人を下に置いたんじゃ、諸葛亮でなくとも使い難い事この上ないですね(笑)。でも、魏延が有能であった事もまた疑いようの無い事実です。

第一次北伐での進言(長安奇襲)、成功・失敗はともかく、魏延の立場と性格からすれば極当たり前の進言ですね。彼は敵を攻める「軍人(しかも現場の)」であって、国全体を見なければならない諸葛亮とは立場が違います。極端な話、長安を攻め落とした後の事は、魏延としては「俺が入って守ればいい」くらいの認識だったのかもしれません。彼としてはそれで充分な訳です。寧ろ、軍人が政治の事まで考えて動き出したら、そりゃ軍規の乱れってものでしょう。中国では何時の時代も、「有能な軍人」は「カリスマ的指導者」が居ない限り、「後方の文官」の手によって消されてしまいます。魏延もその法則からは逃れられなかったのでしょうか。惜しい限りです。(06.4.8)

峰徳森山 殿

彼の経歴を正史で見れば武将として一流の人物である事に疑いの余地は無いと思います。しかし最期は楊儀の陰謀で謀殺されるのは酷すぎます。しかし諸葛亮が魏延の長安奇襲作戦を退けた事に対して、劉備が大抜擢した才能を、お前は何をするんだと言いたくなります。最大の理解者である劉備の死後も最前線で奮闘してくれる頼れる将軍で、漢中という荊州に次ぐ要衝で穀倉地帯であるとともに中原進出の根拠地、魏の侵攻に備える最前線といえる地を10年間無事に守り抜いた逸材に対してですよ。

劉備の死後だって魏に寝返ろうと思えば、魏延のいる漢中から長安やハン城は近いので、いつでも出来たと思うんですよね。魏に降った黄権や孟達に倣って寝返れば、この二人でも高位の将軍(黄権は車騎将軍)になったので魏延のような実力者なら非業の死を遂げる事も無かったという思いがあります。けど彼は裏切らなかった。蜀ではなく亡くなった劉備の為に最後まで戦ったのではないでしょうか?そんな気がしてなりません。反逆者の汚名を着せられた彼が不憫でなりません。魏延の死後、蜀の運命は坂道を転がり落ちると言うより神に見捨てられた感があります。(06.8.16)

速水 殿

私も魏延は裏切ったのではないと思います。演義で魏延が魏に寝返ると言っておきながら、真っ直ぐ北に進めばいいのに漢中に行ってますからね。それに馬岱が持ち帰ったクビを楊儀は苦々しげに蹴ったという記述もありますから、やはり陰謀だったのでしょう。あと第一次北伐で魏延が進言した子午道を通って長安を強襲する作戦が却下されたのはケイ州が落ちていたから簡単に挟撃されてしまうからと推測します。(06.8.16)

アミーゴ 殿

劉備なき後、恐らく一番純粋にその遺志を引き継いだのが魏延だったのでは?現実的な視線から「魏を倒すことなど不可能」と見極めていた諸葛亮に対し、純粋に漢朝再興(劉備の遺志)を夢見た魏延。リアリストの諸葛亮に対し、魏延は劉備に性質的にも近かったのでしょう。そんな彼に対する演義での扱いはあんまりといえばあんまり。(06.8.16)

あらら 殿

劉備が復讐戦や諸葛亮が南蛮攻略の間魏からずっと漢中で蜀を守っていたのは彼。正史では関羽等のようなカリスマ性はないが堅実な武人で言われたことは確実にこなし、部下からも信頼があり上の者から見れば非常に使いやすい人材のはずなのに。正直演義でのあの扱いは超人たる孔明の人間らしさを出すためのスケープゴートだったのだと思います。と思いたいです。(06.10.23)

微笑三太郎 殿

三国志の武将の中でも魏延が大好きです。皆さんも言われていますが、劉備の遺志を純粋の引き継いだのは魏延、諸葛亮の二人だけだと思います。魏延は軍部のトップに、諸葛亮は内政のトップであったために、双方の意見が違うと対立と取られてしまうのでしょうね。僕は魏延と諸葛亮の中は、お互い意見対立が激しく、あまり気に入らない奴だが、それぞれの実力は認めており、納得はいかないがあいつが言うなら良いだろう、って感じの仲だと思います。

しかし魏延は他の武将、文官とは折り合いが悪く、特に楊儀とは仲が悪かった。諸葛亮は魏延の実力を認めていただけに、魏延と楊儀の争いを仲裁していたのでしょう。また、軍事面で最高の実力者たる魏延がこんなに孤立している様な状況では困る、どうにかしなくてはと諸葛亮は魏延を心配していたと僕は思っています。諸葛亮臨終間近の時、魏延に殿軍を務めさせたのは、魏延しかこの大役を担える男はいないと思ったのでしょう。楊儀、姜維達には本軍の撤退を任せて、魏延を殿軍に集中させたかったのではないかと思います。それを良い事に楊儀が魏延を陥れて謀殺したとしか考えられません。

しかし楊儀の様な小者如きを重要職に就けたのは、諸葛亮が馬謖に大役を与えて失敗した様に、諸葛亮の人を見る目の無さを露呈してしまったと思います。結局楊儀は役に立たずに意味の無い死を迎えました。あまりにも魏延が可哀想です。ちなみに私は楊儀が物凄く嫌いで、ゲームでは迷わず斬り殺しています。07.1.22

elwe 殿

魏延好きが多くて嬉しいですね。北伐での長安奇襲の策ですが、あの司馬懿は「自分なら子午谷から長安を急襲する」と魏延と同じことを言ったとされます。大敗して蜀を滅ぼすわけには行かない政治家・諸葛亮と、実績ある軍人の魏延との考え方の違いだったのでしょうね。07.3.7

無双天神 殿

冷静に考え直してみると、魏延の長安奇襲案(正史では潼関合流案)は、随分無謀だった気がします。魏延は「一万を率いる」といっておりますが、実戦において率いるのは五千程度で、残りの半分は輜重隊とのこと。そもそも、一万の兵といえば、蜀の最大動員兵力と思われる十分の一です。堅実に戦うならばともかく、博打には使えたものではありませんよね。

更に相手は夏侯楙とはいえ、長安に五万ほどの兵力を持っていますし、曹叡が軍を進めてきているのです。合肥や漢中迎撃戦のような「守る戦」ならともかく、「攻城戦では守備側の三倍の兵力を要する」とは良く言われることですし、無謀な攻城戦は孫子の諌めるところでもありますから、まず無理だったと思います。私は魏延の自尊心の強い性格は好きなのですが、楊儀と同等の小者だったと思います。

陳寿は、諸葛亮死後の魏延の行動に関して「叛逆するつもりはなく、楊儀を殺そうとしただけなのだ」とフォローをしております。確かにその通りでしょう。しかし同時に「その行動が自分自身を滅ぼすことになった」としております。楊儀の売った喧嘩を買ってしまったのは、魏延が小者だったからだと思います、国家の重臣にしては随分低次元な喧嘩をしてるんですよね、この二人。

惜しむらくは、諸葛亮が彼らのような人物でも用いなければならなかった、蜀の致命的な人材不足にあると思います。諸葛亮は己の後釜に蒋エンと費イをおきましたが、彼らはかなりの能吏でした。これらを無視し、ただ馬謖を任用したから、とか、魏延を重用しなかった(実際は違うのですが)とかで一方的に「人を見る眼がない」といってしまうのはどうかと思います。彼を通して諸葛亮の人物とみることは、三国志演義を通して曹操を見るような、といっては言い過ぎですがともかく「正確な諸葛亮像」は映らないと思います。

諸葛亮と法正はお互いの性格は合わなかったけれど、互いの才は認めていた、とのこと。法正も人格に関して問題があるのは否めないのに、諸葛亮はこういう関係を保ったのです。そんな彼が、どうして魏延を冷遇出来たのでしょうか?彼の最終官位は征西大将軍です。これを不遇だとか、差別だとか、人を見る眼がない、と仰る方がもしいるとしましょう。私はそういう方達に「貴方は結局演義の諸葛亮像に拘りすぎているのでは?」とお聞きしたいです。推理小説の展開があまりにあっけない展開だった、というのは作者の想像力や構成力の問題でしょうが、読者が過剰に期待してしまった感も否めないと思います。

それと同様、三国志演義の諸葛亮を過大に信頼し、評価するあまり、正史のそれに触れて、「思ったよりも大したことないや」として本来なら演義著者の羅貫中への批判や、演義に熱を入れすぎていた自分を改めることをしてもいいのに、明らかに的外れな「孔明批判」を行なう。結局、演義孔明と正史孔明の相対的な比較になって、どう考えたって人の域を越えた孔明の方が凄いに決まってるから、正史の孔明を実像より過小評価してしまう。私も嘗てはそうでした。とはいえ、今でも三国志の人物に関し、的を射た評価が出来ているとまでは思いませんし、万人が納得出来る「絶対評価」なんてまずありませんから。ですが相対評価に偏りすぎていては先述した通り「実像」を把握出来ないのも、また事実でしょう。魏延に関しては、随分「実像」が見えてきたと思いますが、「実像」を虫眼鏡や双眼鏡でみられ、あとでまた再評価されて、必要以上に貶められる、といった後世の史家による理不尽で無責任な評価がなされないことを祈るばかりです。07.3.7

アミーゴ

蒋エンと費イを後継とした事と、魏延、馬謖の機用法を同列に置いて論じる事はかなり暴論のような気がします。演義に於いても正史に於いても諸葛亮が有能な政治家だった事という評価に変わりはありません。違うのは諸葛亮の軍事の才能についての評価。優秀な官僚を選ぶ事が出来たからと言って、どうして前線指揮官の人選に誤りが無かったなどと言えるでしょう。

法正と魏延に関しても同様。法正のそれはあくまで劉備在命中の出来事です。劉備の死後、自らが実質上の最高権力者となってからの魏延の機用法と比べてもどれほどの意味があるというのでしょうか。そもそも法正と魏延では立場も違いますしね。文尊武卑の風潮の中、叩き上げの魏延を諸葛亮が見下してそれが魏延の矜持に触れたと考えるのはそう特異なものでもないでしょう。08.2.13

国士

魏延の長安奇襲案ですが、そもそも北伐自体がすでに無謀な賭でしたし、この位の博打を打たなきゃ勝てないと判断したんじゃないでしょうか。正攻法で挑むには国力が違いすぎますから、一か八かの短期決戦は理にかなっていたと思います。成功すれば見返りも大きいですし、失敗のリスクは大きいですが。どうせまともに戦って勝てる相手じゃないんです。個人的には、五虎将軍より使い勝手の良い将軍だったんじゃないかと思うんですけどね。

劉備の信頼も厚かったですし、なんだかんだで孔明の指示にも従ってます。彼に比べると五虎将軍はそれぞれ我が強すぎて使いづらい人材というイメージがあります。低次元な喧嘩という話ですが。それをいうなら劉備、関羽、張飛の3人も大して変わりません(特に後ろの二人)。08.2.13

呉?延

魏延ファンの私は三国志ファンの友人から変人扱いされていますが、結構魏延ファンがいることに嬉しく思いました。魏延ファンのアンチ楊儀ですが、冷静に考えてみると・・・彼らは似ているのではないか?と、思うのです。両者共、不器用 特定の上司からは重用されても、個性が強すぎるし、人間的魅力も欠けているので使いにくい。魏延には仕事をする上で重要な協調だとかチームワークだとかの概念が無く、周囲とは全く違う自分の中でしか通用しない(成功したかもしれないが周囲は認めない)アイデア「長安奇襲」を主張しているに過ぎない。しかも、自尊心だけは高い。まるで自分のようだ・・・と思っていた私(笑)。

しかし、落ち着いて冷静に考えると、楊儀も魏延(自分)と似ているような気がする。「自分と似ている人が一番許せない」という言葉もありますが、魏延と楊儀・・・実は彼らは実は似たもの同士なのかもしれない・・・。08.2.13

5+1大将軍

私も魏延が大好きです。何処の会社にも居ますが、社のために懸命に努力しても重役から睨まれて報われない日々を過ごし、それでも社のために働きぬくような尊敬できるお方です。アンチ蜀軍ではありますが、周瑜、カクと並び一番好きな将軍です。演義はあくまでも物語ですので酷評も仕方ないと思いますが、早く魏延の冤罪が公に晴らされることを願っております。素晴らしいサイトに出会えました!!ありがとうございます!08.2.13

 


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