祖茂殿作画

徐 庶(じょしょ)

(あざな)元直(げんちょく)  生没年/?〜234?

身長/不明  武器/撃剣


 劉備に臥龍を推した賢人

劉備が荊州で不遇の日々を送っている際、その前に現れ軍師となる。曹操に母親を人質に取られたため、荊州で知り合った諸葛亮を推挙し、劉備のもとを去る。その後、魏に仕えるが目立った功績はない。曹叡の代に死んだらしい。

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 能力検証

武 勇

6

 

 

 

 

撃剣の使い手とされ、知人の仇を討ち逃亡、諸国を放浪していた。演義では怪力の持ち主でもあり、武芸の腕には自信があったとみえる

劉備の軍師となった時に、荊州で曹仁の大軍を陣形を用いて破ったが、その戦ぶりは一流の働きも、曹操に仕えてからは目立った活躍がないためよくわからない

親孝行なことで知られる。命をかけて知人の仇討ちを実行するなど、任侠肌の人物であった

治国の才もあったのかもしれないが、魏ではそれほど重用されなかった。懸命に働いたのかどうか不明

戦 術

8

 

 

知 略

9

 

カリスマ

6

 

 

 

 

人 望

7

 

 

 

外 交

6

 

 

 

 

内 政

7

 

 

 

コーエー「三國志」シリーズに見る徐庶の能力値変遷
陸戦指揮、水戦指揮はIIIのみ、
運勢はI のみの設定。赤字はシリーズ中の最高値

 

知力
武力
魅力
政治力
統率力
陸戦
指揮
水戦
指揮
運勢
I
96
37
81
 
 
 
 
95
II
96
64
85
 
 
 
 
 
III
95
65
85
87
 
85
74
 
IV
96
67
84
88
87
 
 
 
V
97
68
85
86
 
 
 
 
VI
96
70
83
81
90
 
 
 
VII
91
84
84
80
 
 
 
 
VIII
96
68
85
87

 

 

 

 

IX
96
65
 
80
88

 

 

 

X
94
64
81
80
80

 

 

 

常に一流の軍師として重宝される。
撃剣の使い手といわれるせいか、武力が
上昇を続け、VIではついに70に到達してしまった。
いくらなんでも武将ではないのだから、
これ以上、上がらなくても良いぞ(笑)。

  

三国志ファンが斬る!徐庶評
皆さんから寄せられた書き込み、投稿です。下のフォームより投稿随時受付中。

沮授 殿

権謀術数を備えた優秀な人物ながら、演義においては、歌を唄って劉備に近付いたりするユニークな一面も見せ、また母親の手紙(実際は偽物だが(笑))を読んで劉備の元を涙ながらに去るあたり、人間味の溢れる人物だと思います。私は非常に好きであります。

哲坊

徐庶がもし、あのまま劉備軍にいたら…気になる所であります。

荀雄 殿

ゲーム視点でしか語れないのですみませぬ。とにかく強いの一言です。軍師でありながら60後半の武力は脅威の一言だと思います。Vは軍師が無条件で20000の兵をもてたので手におえませんでした(笑)

ジロー殿

演義では赤壁前夜に洛陽にそそくさと(?)帰ってしまってから、ぱったりと消えてしまった人。もったいないもったいない・・・

ゆっきー殿

あ〜もう渋い!!渋いよ、元直は!大好きだ!あんなに優秀な人でも母親が絡むと計略だと分からない位混乱してしまうのですね。いい人すぎです。また母親も出来た人だし・・・。でも魏に行った後の地味さはファンとして悲しすぎ。しかし、それもまた渋いのです。撃剣の使い手なら武人としての活躍も見たかったなぁ。さぞ渋いんだろうなぁ。

孟嘗君 殿

演義の徐庶は、はっきり言って高く評価されすぎです。演義では曹仁に勝っているが正史では一緒に劉備の元に仕官してきた諸葛亮とともに指揮したにもかかわらず敗走していたのでは?
そもそも徐庶ごときが三国志きっての名将、無敗の曹仁に勝てるはずがないじゃないか。演義は小学生のころに読んで以来読んでないから、あまり記憶が定かでないが確か徐庶って結局県の長官にしかなれず、それを知った諸葛亮が魏は人材が豊富だなあとかいって嘆いていたのでは?

哲坊

正史は正史、演義は演義。三国志ファンならどちらも受け入れる度量が欲しいところです。

しんじょうこうじ殿

そうは申すが、サイコの入っている演義ファンは見ていて嫌だぞ。
なんかマスメディアに上手く洗脳された読売ファンみたいで…ま、それはそれとして結局は人の見方ですからね。(表面だけ見て正史が正しいといっている輩も嫌いだが…)徐庶みたいな渋い脇役も良いではないですか。彼らがいるから物語は映えるのですから。歴史はいろいろな人がいろいろな角度で見るから良いのであって、そういったところにロマンを求めるのも一興かとおもいますがね

兵卒 殿

あの兵力差じゃ、誰が当たっても曹仁を返り討ちにするのは難しいだろ。

徐庶みたいなおじさまがほしい 殿

曹操の所にいって母親に自殺された後劉備の元へ戻らなかったのは、実はそんなに劉備が好きではなかったからだと思います。おもいっきし蒼天航路見て影響されただけなんですけどね。でもあれなら結構つじつまあってんじゃないかな? まあ無知の戯れ言だけどね。 

蜀将 殿

徐元直、彼無しでは蜀は存在しなかったはずだ。あの時代の劉備は劉表を頼ったが実質は利用されていたようなものだ。誰も助けてくれない中原でもし徐庶が劉備の前に現れなければ、それまでに幾度も挫折を知った劉備もそこで終わっていたと思う。徐庶は曹操に利する献策はしなかったし臥竜・公明を推挙した。劉備を案ずる気持ちは関羽、張飛らと同等だったはずだ。自分は数多くの三国時代に名を馳せた英雄より、蜀の未来に光を与えたまさに縁の下の力持ちである彼を尊敬している。

lee 殿

彼は献策をしなかったから県の長官ぐらいにしかならなかったんじゃないでしょうか?正史の記述に孔明とともに仕官してたなんて話を聞いた。んじゃなぜ魏にいったのか、謎。
撃剣ってどんな剣術なんだろう教えてもらいたひ。

紀馬 殿

単純にいってもある種の愛嬌のある渋いキャラだと思います。
個人的にはホウ統とキャラが若干被るような気がするのですが、母親が人質に取られて曹操の元へいく件は人間味がでてていいですね。結局母親は死んでしまうわけですが、劉備の元へ戻れなかったのも、一度離れてしまった都合上、曹操へ使えた義理に反することはできない。それ以上に自分の過失(失敗)で母親を死なせてしまったこともあり、自分の実力に奢っていただろう彼も、己の無能さ(本当は無能ではないが)に気づいてしまった。そんなところで意気消沈してしまったのではないでしょうか?
途中ホウ統が戦死したときに、徐庶がいてくれたらと悔やんでなりませんな。いろんなところで言われてる通り、孔明も軍事面はホウ統に任せようと思っていた節もありますし、徐庶がいればそこらへんも補えていたのではないでしょうか。

スダダス 殿

この人についての疑問。赤壁での戦いの後、まったく出てこない。その後はどうした? 諸葛亮と同じくらいに死んだとされているが・・・。
この人が蜀にいたら、蜀の北伐は成功したのでは? 司馬懿がでてこなかったら、諸葛亮は、徐庶と戦うハメになったのでは? ともあれ、徐庶の奇妙な冒険(オイ)は、短期間で終わってしまいましたね。(02.9.9)

耶麻爺 殿

魏では右中郎将や御史中丞等を歴任していたと正史にはあります。俸禄は1000石程で近衛兵等を統率するような立場(だったかな?)ですかね。言われるほど低い階級ではないんです。諸葛亮はもう少し上までいけるのではと思ってたみたいですが。
ただそれはそのまま鵜呑みにしてはいけないと思います。確かに魏は人材が豊富です。それは間違いないのですが、それだけではなく、あの時代名士と呼ばれる人達にも当然派閥(この辺りは泥臭い話になりますが)が存在しました。その中で徐庶が居た荊州人士は魏国内では立場が弱かったと思います。荊州で名声も実績も元々高い人物ならともかく、そんな実績が無い徐庶は階級を上げるのに相当の苦労があったと思います。逆にそんな中でそこまでなれたと言うのは賞賛に値すると思います。
ちなみに正史が全て正しいとはもちろん思っていませんが、演義の話のみを盲目的に信じると言うのもどうかとは思います。特に曹操に関してはヒドイ記述が多いですからね。実際はむやみやたらと人を殺してはいないのに(当然徐庶の母親も殺してないし、劉jなんかも殺害していないです)演義では完全に悪役と化していますから・・・羅貫中自身はどちらかと言うと曹操を英雄として書こうとしていたらしいですが、後の時代に毛ソウスウなる人物が改ざんしてこき下ろした書き方にしたらしいですね。それによって勧善懲悪と言う、話としては判りやすくなったのでしょうが、一方で物語りに奥行きがなくなり、深みの無い物語に成り下がってしまったのも事実だと思います。
知らないことが悪とはもちろん思わないのですが、知っている人間からすると少々もの悲しく感じる時はあります。例えば諸葛亮にしてもどうしてあそこまで賛辞されるようになったのかとかは演義だけを読んでいては絶対判らないことです。でもそこにはそうなるための理由が存在するわけですよね。そう言ったことを考え、歴史上の人物はできれば小説も史書も両方読んでみて、そこから自分なりの人物像を形成していくのが一番面白いのではないかな?と思います。(02.9.13)

閻行 殿

荊州人士といえばカイ越なんかも曹操に求められたわりには、その後消えてます。諸葛亮も魏に仕えていたら、あまり出世できず、徐庶程度だったかもしれません。(02.9.28)

げんちょくん 殿

魏には軍師系統の人がごろごろいたみたいですね。あれだけ頭のいい人がいたんだから、もし諸葛亮が西涼かギョウといった蜀と呉から遠いところにすんでいたら、発見すらされなかったかも(笑)  (02.12.8)

ショボンヌ 殿

赤壁の後の徐庶の行方は私も気になります。演義の彼がやったことはかなり敵前逃亡に近いですからね。あの鋭い曹操のことだからいずれ徐庶の意図に気づいたかも。そうなるとただではすまなかったでしょうね。 (02.12.22)

オジオン殿

敵持ちの剣客から学究の徒へ。穎川出身ながら寒門の出身で、前歴を気にしていつも辞を低くして謙虚に振る舞っていたようです。諸葛亮は晩年、常に彼の謙虚さを引き合いに出して自分の至らなさを責め、彼の昇進が遅いことを嘆いています。幼少期にまともに学問できなかった「晩学の士」であることを考慮すれば相当優秀な人物だったのでしょう。演義でも史実同様「諸葛亮の友人」という美味しい役回り。夢や浪漫を感じさせる武将ですからゲームやif ものでは正にアイドルですね。(03.1.6)

頴娃 殿

まず、光栄ゲームの能力は高すぎですね。彼は、魏で右中郎将や御史中丞等を歴任していたとあるだけで、活躍と言う活躍、実績と言う実績は、ほとんどないですからね。しかし、歴史にifはタブーですが、もし彼が蜀にい続けたら、評価は変わっていたかもしれません。オジオンさんの仰るとおり、「夢と浪漫を感じさせる武将」です。 (03.2.5)

肯定袁術 殿

徐庶が魏で埋伏しているのも鍾ヨウが目立たないでいるのを見れば納得。三国志7では軍師のくせに武力84。鍛錬するとまだ上がり武力、知力100の徐庶が難なく完成しまうスーパーマンでした。(03.3.3)

今仲達 殿

評価の難しい武将ですね。演義では見事な指揮で曹仁軍を蹴散らしていますが、正史では特に何もしていません。また曹操軍に降ったいきさつも違います(演義では程いくの策で、正史は自ら降伏) ただし諸葛亮に評価されるほどですから能力はあったのでしょうが、ホウ統が最初は県令(でしたっけ?)にさせられて真価が発揮できなかったように徐庶もそのような状態になって、そのまま人生を終えてしまったのかもしれません。過去が任侠っぽいことをしていたということから性格的にはホウ統に近かったのかもしれません。(03.4.25)

キクギ 殿

演義では劉備に関係する人が、美化されたり、有能に描かれています。全てを合理化する訳ではありませんが、徐庶もその一人だと思います。演義では程イクが徐庶を10だとしたら自分は3だ、と言っていますがこれは曹操が看破したように謙虚以外の何者でもありません。さらに魏の軍師層の厚さの前には演義ですら徐庶の活躍を表に出せなかった。以上のことから、徐庶は1流軍師には及ばないと思います。(03.7.22)

隠岐 殿

右中郎将と御史中丞は内閣官房副長官と監察庁事務次官補の様な役職ではなかったかと。それなりに高官だった思います。ただし軍事でなく政の官僚ですから目立ち難いのかも知れません。諸葛亮も正史では軍師ではなく内政、外交に才を発揮していますし徐庶も同様の可能性が有ります。軍事的成功だけが評価の対象でも無いでしょう。(03.10.11)

スダダス 殿

「三国無双」シリーズに出て欲しいキャラの一人です。出たら、忍者の格好にして欲しいと思います。(04.5.31)

伯和 殿

本当の所は結局わからないのでしょうが、彼の登場で物語ががより盛り上がっていきました。ゲームでの評価はその辺を踏まえると妥当だと思いますね。正史での記述を重視するよりも物語としての彼の位置づけを評価してほしい人物です。(05.1.12)

ボスコ 殿

徐元直は荊州時代の劉備軍に希望や未来がもたらされた兆しを象徴するような人物に描かれたいますよね。現在を生きるわれわれも勇気をもらったような気がします。みんな荊州時代から蜀平定までの劉備軍は素敵だと感じるんじゃないのかな?荊州時代に登用された人物たちとの出会いが当時50前だった劉備たちに明るい雰囲気をもたらしてくれたし、彼らの人生が最も光り輝いていたときだったと思います。(06.8.16)

Mr.三国志 殿

実は長橋の戦いで曹操軍に徐庶のお母さんが捕まってしまってしまったから、降伏したのでは?だとしたら、演義の展開も納得できるし。ところで、民間伝説だと、落陽に帰った後に曹操から逃れる為に西涼の馬氏の偵察と言って落陽をでた後に狼に殺された死体に自分の衣服を着せて遁走した後、仙人になって東シナ海で遭難した船員を助けたそうですよ。07.1.22

安民

地元で人を殺し名前を変えて他所の土地で逃亡生活を送る徐庶の母親が曹操軍に捕まるなんてのは、奇跡以外の何物でも無いです。孔明が高く評価していたとは言うものの、馬謖や楊儀などを信任していた人物の評では…。演義と正史とのギャップの大きな人物の一人ですね。08.2.13

にくだま

どっかで読んだんですが、徐庶が好んで使っていた「撃剣」という物は撃って(投げて)当てる剣であり、投げナイフのようなものだという説があります。仇討ちの際も暗殺のような方法だったのかもしれないです。このことを知ってちょっと彼のイメージが変わりました。なんにしろ渋いですねー。大好きです。08.2.13

 


この人物について貴殿の一言、お待ちしております!
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