作画/マコ

(あざな)文和(ぶんわ)

生没年/147?〜223年? (76才)

家族/子・賈穆(かじゅん)、賈訪(かほう)

出身/涼州 武威郡姑臧県

 

武 勇

5

 

 

 

 

 

戦 術

7

 

 

 

知 略

10

カリスマ

5

 
 

 

 

 

人 望

6

 

 

 

 

外 交

9

 

内 政

7

 

 

 

 
コーエー「三國志」シリーズに見る賈クの能力値変遷
陸戦指揮、水戦指揮はIIIのみ、
運勢はI のみの設定。赤字はシリーズ中の最高値

 

知力
武力
魅力
政治力
統率力
陸戦
指揮
水戦
指揮
運勢
I
94
19
19
 
 
 
 
89
II
95
42
62
 
 
 
 
 
III
94
40
67
87
 
81
72
 
IV
96
30
67
93
75
 
 
 
V
97
42
68
89
 
 
 
 
VI
94
30
66
94
69
 
 
 
VII
93
61
65
88

VIII
94
56
75
90
 
 
 
 
IX
97
34
 
84
81

 

 

 

X
98
45
56
84
81

 

 

 

I では董卓陣営にあって、忠誠度が低かったので、呂布とともに各国から狙われる引き抜きの目玉であった。(が、魅力、武力が壊滅的数値) 以降の作品では増減が少なく、
早い段階から人物像が固まっていた男。

(かく)

曹操を二度も破り、後漢を代表する策略家として名高い智謀の士。

涼州武威郡の生まれだから、董卓の出身地(隴西郡)にも近い。当時の中原の人々から見れば異民族と思われるような出自である。その董卓に招かれたか、あるいは付き従って洛陽へ入ったとみられるが、当時はそれほど目立つ働きはしていなかったようだ。

彼の名が知れ渡るのは董卓の死後、40歳をとうに過ぎてから。まだ無名ではあったが、近しい人の間で彼は「張良や陳平のような智謀の持ち主」と高く評価されていた。

192年、呂布と王允の陰謀で董卓が殺害された直後、李カクを補佐して長安奇襲を進言し、これを成功させるが、献帝が都から逃げると彼も李カクの人物に失望したか、印綬を返上して去った。その後、同郡出身の張繍に招かれて彼の参謀となる。

その真骨頂は曹操が攻めて来た時に発揮される。まともにぶつかっても勝算はないと見たカクは、まず張繍を曹操に降伏するよう勧め、後に曹操が張繍を害そうとした機に反撃を進言し、二度も曹操を破っている。

しかし、曹操と袁紹が官渡で対峙すると、袁紹は張繍を味方に引き入れようと誘いをかけてきたが、カクはこれに応じず曹操に降るよう進言した。張繍は「袁紹の方が曹操より強大ではないか」と渋るが、曹操の勝利を見越し、「自分らを必ずや優遇する」として張繍を説得した。以後、曹操は自分を二度も欺いた彼を重用し、参謀集団の一員に加えた。

曹丕が曹操の後を継いで魏王、さらに皇帝に即位すると、その度に厚遇されたが、自分が降将であることを常に自覚し、野心を疑われないよう慎ましく過ごし、同僚とは私的な交友を持たなかったという。

後漢の人物としては稀なほどの長寿。曹操の代では才能を示し、曹丕の代には才能を隠したのは、曹丕の性格をよく把握したうえでの振る舞いだったと思われる。抜け目のない性格は晩年も健在だったようである。

正史三国志の編者・陳寿は、「打つ手に失策が無く、事態の変化に通暁していたと言ってよい。前漢の張良や陳平に次ぐ」と評価し、荀攸と並ぶ天才とみている。

しかし、注釈者の裴松之は彼が長く生き永らえたことに対して批判的で、董卓の死後、人民に周末期と同じ苦難を強いたのは全て彼の仕業ではないか、と推察し、「彼は程c・郭嘉らの伝と一緒に編入すべきで、荀ケ・荀攸と同列にするのは類別を誤っている」とし、その才能は別として人格や事績をかなり嫌っていたようだ。

時代が違えば見方も変わるが、彼のような生き方をした男といえば、日本の戦国時代に「七度主君を変えた」と嘲られつつ、まったく悪びれるところなく御家を安泰に保った藤堂高虎のようなところがある。賛否両論を呼ぶ運命を背負った人物といえよう。(哲舟)

※文章の著作権は哲舟に、一部借用・引用画像の著作権は作者および各メーカーに帰属します。無断転載を堅くお断りします/管理人・哲舟



コーエー「三國志」シリーズに見る肖像変遷(左より1〜10の順に並んでいます)

(寸評)一番好きなのは初代。頭の中に策略がたっぷり詰まっていそうな表情で冷ややかに策を献じてくれる、実に心強い存在だった。以後、5までは目まぐるしくイメージが変わる。イメージとして一番しっくり来るのは5だろうか。背後に生暖かい炎みたいなものがあるし、常になんか企んでいそうな感じがする。10は貫禄がありすぎて群雄の一人みたいだ。

※画像の著作権は株式会社コーエーテクモゲームスに帰属します。

ギャラリー

作画/
祖茂

 


三国志ファンが斬る! 過去に皆さんから寄せられた書き込み、投稿です。

林檎 殿

賈クってコーエーのゲームのなかではなにか釈然としない能力値だと思いません?あれだけ機略に機略を重ねた人物なのだから司馬懿・郭嘉レベルの知力があるような気がするんですけど・・・その点「蒼天航路」の彼はいいですね。すごくイメージぴったりの気がします。

沮授 殿

曹操の「疑撃転殺の計」に対して「虚誘掩殺の計」を進言した場面が印象に残ってます(横山三国志より)

新荘 剛史 殿

カクの良さは優れた分析力にあると思います。彼は冷静に物事を判断して客観的に行動できる人なのでしょう。保身に長けていると言うより自分と言う人物が人にどう思われるのか把握する力があるのでしょうね。

伏姫 殿

曹丕の兄を殺した張繍の軍師だった彼は、張繍が『私の兄を殺したくせに…』といわれてるのを見て、何を思ったろうか。後に文和は後継者問題において、曹丕に有利な発言をするが、この辺の複雑な事情の絡み合い、この何重にも心を偽れる人たちの間のことだから、考えると夜眠れなくなります。個人的には保身のためといえども、そこに一抹の心の痛みがあったと思いたい。

参謀 殿

このお方は最高ですよ。いろんな三国志関連の本を見ても、7割は「策士」と紹介されています。自分の一番好きな武将であり、尊敬しています。
このお方がいなければ曹操は中国の3分の2を支配することは出来なかったでしょう。

雑巾賊 殿

天下の策士のファンだけに、みなさん、さすが分析が鋭い!
特に、新荘 剛史 さんの意見には全面賛成!とにかく、保身うんぬんの前に、廻りの人間の心のうちがすべて見えてしまうんでしょうね...。
「虚誘掩殺の計」を進言した場面 も、よく覚えてます。三国志が、中国の話だともわからんかったくらいガキの頃ですけど。『シブくてカッコいいおっさんやなあ〜』と、子供ゴコロに憬れたもんです。

ゆう 殿

興味深い方ですね。彼は潔癖で忠心篤かったという話を聞いたことがあったような。李カク、郭シの仲違いは献帝に頼まれてやったとか。あと、自分がもともとから曹操の配下でなかったのに、このような立場にいたことで疑われることを避けるために、平素は参内以外は門を閉ざしてひっそり暮らしていたとも聞いたと思います。交流もなく、子供達の結婚相手にも貴族の家柄を選ばなかったとか。だからかえって天下の知謀家は、彼に心を寄せたとか。いろんな話がありますよね。
ちなみに、ハイ紹之はカクをまったくと言っていいほど評価していないそうです。ジュンイク・ジュンユウと並んで列伝が立てられたことに納得がいかないとまで言っているとか。実際、どうなんでしょうね。

Spin-X 殿

一番好きな人です。なぜなら、あの天才軍師諸葛亮でも一つや二つの失策はありましたが、このひとにはまったく失策は見当たりません! とても賢いと思います。郭嘉や司馬懿ぐらいの知力は欲しいですな。(02.12.14)

びすまるく殿

知謀は三国随一でしょう。私としては横山三国志での張繍配下で曹操と戦ったときの甲冑姿(特にクジャクの尾羽の付いた兜)が大好きです。(03.4.25)

今仲達 殿

まさしく仕事人といえるでしょう。彼の行動を見ると同じく名策士の陳平を思い出します。特に人の心の隙を突く策略が得意だったようですね。彼の献策に失策なしで、あの曹操さえも死の寸前まで追い込みました。そんな状況に追い込んでも絶妙のタイミングで降伏して重用されているところがまたすごいですが、彼を受け入れた曹操の懐の大きさも見事なものです。私生活は質素で疑われないように常につとめたと言いますから自分というものを見失わずにいたのでしょうね。(03.4.25)

分析名人 殿

いかにも中国の策謀家らしい人物ですね。ごく普通人である張繍とのコンビは,古典の漢文によく出てくる世の中悟りきったジジイと普通の人との対話みたい。人の心理を知り尽くし,手の内を全て読まれているかのような気分にさせられる。敵に回したくない人1です。孔明と知恵比べさせてみたかった・・・。 (03.9.23)

田楽 殿

どうも。はじめまして。
この人については紹介文にも有る通り、世渡りの天才というイメージが有ります。 陳寿の名文で評されている(というか他の詩誌もこれに沿ったのばかり…)ように、彼は策を立ててはそれを採用され、何時いかなる時でもその状況に対処できたそうです。ともに準えて評されているのは陳平と張良。 3人ともに策謀家であり、多くの人を殺め、功績によって位官を極め、疑り深い主君の元で天寿を全うしているのは大いなる共通点でしょう。 彼ら3人は内面でも共通している点があります。晩年近く陳平は敵を滅ぼしライバルを全て蹴落とした後、己の策謀の無道を恥じた文を残し、張良も晩年は世を捨て仙人になるといって断食し、賈クは人との交わりを極力絶つなど、3人とも自ら孤独を望みながら、身支度整えて最後を迎えています。 彼らは自制心が強く、自らを省みる事を忘れず、そして冠を手にした自分の手は血塗られており、それはとても見せびらかして誇れるものではない事を理解していたのだと思います。 頭が良くてあまり物事が見えすぎるというのも考え物だ。と、この3人の話を読んでると良く思います。(03.11.30)

まりオ 殿

三国志随一の軍師だと思います。曹操を二度敗走させる場面も見事だと思いますが馬超とカンスイに仕掛けた「離間の計」はホント凄過ぎです。臨機応変に対応できる頭脳、人の心の弱みをつく策略…この場面の彼は特に光ってます。孔明や陸遜などとの知恵比べ、みてみたかったなあ・・・・(04.8.18)

安寿 殿

世渡り上手というイメージがあります。この時代に限らずいつの時代もこういう才能は得だと思います。そんなわけで、世渡りベタな私は非常に彼にあこがれています。(04.10.3)

naimukyo 殿

賈文和を高く評価する声が多いですが、裴松之の評の通りで、荀文若と同列になるべき人では無いと思います。裴松之の視点は、非常に民衆を大事にしたものであり、戦乱を早く鎮めるために、政治、政略、構想を練って実現した荀文若とは同列になりえないと思います。賈文和は自ら構想を描くというより、何か問題が発生した際に、その状況を打破するための策略が極めて得意という感じで、カウンターが得意なボクサーのような印象を受けます。ゲームにするなら、知力を荀文若、郭嘉より3〜4下げて、計略の成功率を100%とした方がイメージに近い気がします。(05.3.19)

公孫樹 殿

程イクと同じく、筍イクや郭嘉と違って非名門故に悪意をもって書かれている部分が多いのでしょう。生まれた場所の親分が李カク達だった、ということもあるでしょうが。そう言いつつ「蒼天航路」の非道なイメージも好きです。(05.4.23)

逃げ弾正 殿

賈クは、郭嘉、程イクと同じく曹操と相性の良かった、ダーティーな軍師ってイメージがあります。賈クと曹操って乱世の名コンビだと思います。(05.7.11)

芋ペンギン 殿

三国志に登場する他の知将達が、それぞれ何かしら得意な分野(例えば諸葛亮なら政治とか)を持って描かれているのに対し、この賈クという人物には、得意分野というものが浮かんできません(これは私の(三国志の)読み方が変なのかもしれませんが)。逆を言えば「苦手とする分野も無い」「オールマイティーな才」を持っていたように思えるのです。

多分、他の知将達がそれぞれの「学問・知識」を拠り所の一つにしていたのに対し、賈クという人はあくまで「人間に対する洞察力」を以って策を立てていたのではないか、と思っています(別に賈ク以外の知将に洞察力が無かったとか、賈クに学問が無かったというのではありません。あくまで頭の働きにおける「比重」の話です)。

歴史的な話とは全く関係無いのですが、かつて私がゲームの「三國志(初代)」をやっていた頃、賈クは必ず劉備の軍師役でした(だってかなりの確率で引き抜けて、元の知力高かったものですから…(笑))。知力99まで上げた賈クと、知力100に設定した劉備の「計略・火計コンボ」は極悪だったなぁ……(笑)。(05.7.11)

ゆた 殿

この人は確かに、洞察力に優れ世渡り上手な策謀家だと思いますが、周囲の人間も悪いようにはしない、という部分で一線を保っていた人のように思えます(李カクのような例外はありますが、本人は李カクと深く関わらないようにしていましたし)。そしてこのことが、張繍や曹操・曹丕からの信頼を得た理由の一つだと思います。まあ、これも長期的な「保身の術」の一つだとは思いますが、こういった「保身の術」ならいやらしさを感じません。好きな人物の一人です。(05.11.12)

無双天神 殿

魏陣営の軍師ではこの人が一番好きです(2.3番手に荀イクと荀攸)。やはり曹操を欺いたのは見事です、離間の計なども汚点がありません。後継者問題でも曹操が「跡継ぎは誰がいいか」と訊ねると「袁紹や劉表がいい例でしょう」とかわす巧さ、直言ではなく間接的に物申すというのは諸葛瑾に酷似していて感心させられます。他にも、異民族に捕らえられたとき、その近辺で有名な将軍の縁者と言って解放されたり、その智謀は際限を知りません。裴松之が賈クをあまり評彼価していないのは、董卓亡き後李カクに「長安を攻めて王允を殺す」という計略を献策したからだと思います。その智謀には獣心の李カクにも敬意を抱かれたのですから魅力はもう少し高くてもいいと思います。(05.11.12)

前田 殿

偽撃転殺の計と虚誘掩殺の計。とはチョーシュー軍vs曹操軍の話ですな。まず堅い門を攻めておいてフェイントをかけて違うオンボロ門を叩く作戦と、それを見抜いてオンボロ門に兵を伏せておくフェイント合戦なのですが、カクさんは曹操軍が堅い門とオンボロ門2つ同時に攻めてきたらどうするつもりだったんでしょ? 曹操たるもの兵を2つに分けるようなマネはせんだろ、とそこまで読みきった上での作戦だったんでしょうか?(06.5.15)

軍師将軍 殿

三国志で、戦争においては、この人がもっとも優れた知謀の士であったと思います。この人のことを考えると、何か得体の知れない、漠然たる、しかし底知れない、恐ろしいものを感じるんです。(恐怖じゃないです。畏怖です。)それは、天下の趨勢を読み切って張繍を曹操に投降させたところから延々感じます。どうでしょう? やれ郭嘉だ、やれ諸葛孔明だ、やれ周瑜だ・・・と言っても、私は三国志で一番の軍師は誰かと聞かれると、賈クだろと無意識に言ってしまいます。(06.5.15)

アミーゴ 殿

間違いなく三国志随一の軍師でしょう。曹操に生涯最大の敗北を与え、馬超を一蹴した戦術、群雄の中から曹操を選び抜いた戦略眼。軍を抜いています。(06.8.16)

峰徳森山 殿

魏政権に於いては、ある意味で司馬懿仲達よりも危険人物だったのでは?彼が曹操の配下になるまでの人生を思えば、誰か適当な人物を盟主に立てて政権簒奪する事も可能だったでしょう。彼の場合、政権云々よりも自分の立てた謀計の成功にベクトルが向けられていたと思います。

張繍配下の時は宛城で曹操を散々撃退して、対馬超・韓遂戦では離間の計を成功させたり、活躍の場面で言えば少ないかも知れないが、1回の活躍が他人の5・6回分の活躍に相当するインパクトを持っていると思います。三国時代版のクールで知的な「ちょいワルオヤジ」というイメージがあります。(06.8.16)

カンヌ

軍事面で孔明や仲達よりも上を行く存在に思わせてくれる人物ですね(比べるのは立場の違いから難しいですが)。強烈な印象のある策はあまりないですが、離間の計など一見地味ですが、かなり有効な策を用いて勝利に導くところが策士としての彼の有能さを上げています。失策のなさもこの人の凄さを語っています。

相手の心理を見抜きその裏を、又は弱みを見つけそこを突くところがほかの将と違うところで彼の魅力でしょう。後継者問題でも直言せず古の例をだし周りの反感などを避ける。これも相手の心理が読めたからこそできた技なのだと思います。猛将の時代から軍師の時代になった三国志初期に現れた名将の一人でしょう。08.2.13

 

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