作画/雲才

字(あざな)/元譲(げんじょう)

生没年/?〜220年

 

武 勇

8

 

 

戦 術

7

 

 

 

知 略

6

 

 

 

 

カリスマ

8

 

 

人 望

 

7

 

 

 

外 交

5

 

 

 

 

 

内 政

■ 

7

 

 

 

 

コーエー「三國志」シリーズに見る夏侯惇の能力値変遷
陸戦指揮、水戦指揮はIIIのみ、
運勢はI のみの設定。赤字はシリーズ中の最高値

 

知力
武力
魅力
政治力
統率力
陸戦
指揮
水戦
指揮
運勢
I
64
82
79
 
 
 
 
67
II
59
93
71
 
 
 
 
 
III
60
95
75
54
 
90
76
 
IV
62
96
78
56
94
 
 
 
V
70
94
87
81
 
 
 
 
VI
71
92
82
84
88
 
 
 
VII
72
91
83
74
 
 
 
 
VIII
63
92
84
68

 

 

 

 

IX
64
92
 
76
90

 

 

 

X
61
89
87
76
87

Iでは夏侯淵に負けていた武力も、II以降は90台に。
魅力や知力が上昇し、ただの猛将から太守や
将軍向けの能力値へと成長をとげている。
V〜VIIは数値的に優秀すぎて面白味がない。

夏侯惇 (かこうとん)

曹操と同じ豫州沛国の出身。親族同士、きわめて近しい関係だったことから、その旗揚げに付き従ったようである。

193年に曹操が徐州へ出兵した時、夏侯惇は荀ケとともエン州の守備を任された。そこへ呂布や陳宮が攻め寄せたため、寡兵で防戦に努めた夏侯惇だったが、領内の勢力の大半が呂布軍に寝返り、乱戦の中で呂布の本隊と遭遇し、捕らわれの身となってしまう。夏侯惇の部下たちは主人の危機にうろたえるが、韓浩の命がけの交渉により、釈放されて事なきを得た。

その後、雪辱を期して呂布軍との戦いに臨んだ夏侯惇だが、左眼に矢を受けて戦線離脱するなど、またも苦杯をなめさせられている。『演義』では、夏侯惇は目を射られたとき、その矢を引き抜き、飛び出た眼球を見て「これは父の精、母の血、もったいなや」と叫んで飲み込み、すぐさま矢を射た敵将・曹性を討ち取るという豪快な一面が描かれている。

以来、通称は「盲夏侯」。片目のない自分の顔を鏡で見る度に怒って鏡を投げ捨てるなど気性の荒い一面もあった。

西暦200年代、荊州の博望では劉備軍と戦うも撃退されている。このように、自ら前線に立った時の戦績は意外に振るわない夏侯惇だが、大軍を統率する術やカリスマ性には優れていたようだ。濡須口での孫権軍との戦いでは、揚州全軍の総司令官に任命され、張遼・臧覇ら多数の将軍を率いた。陳留太守時代は自ら運搬具を担いで堤防工事の指導にあたるなど内政能力も発揮している。

『演義』では関羽と互角に打ち合うほどの勇猛さを誇るが、実際の夏侯惇は、片目を喪失してからはあまり前線には出ておらず、主に後方支援で活躍したとみられる。

しかし、長年にわたる功績に加え、身内という誼もあって曹操からは車への同乗や寝室への自由な出入りを許されるなど非常に信頼された。最晩年には武人の最高権力者である大将軍に昇進していることからも、それがよく分かる。

曹操、夏侯惇、夏侯淵ら先祖とされるのが、秦・前漢時代の武将・夏侯嬰である。劉邦と同じ沛県の出身で、その挙兵から従軍する。下役人だった韓信の優れた能力を見抜き推挙した。彭城の戦いで敗北した際、劉邦が捨てた息子や娘を拾い上げて命を助けるなど、漢の設立に貢献した名将であった。(哲舟)

※文章の著作権は哲舟に、一部借用・引用画像の著作権は作者および各メーカーに帰属します。無断転載を堅くお断りします/管理人・哲舟


夏侯惇の一騎討ち勝敗表(演義による)
西暦・場所
相手(所属)
結果
決まり手

191 洛陽

VS徐栄(董卓軍)

数合せずして突き殺す

194 徐州

VS曹豹(陶謙軍)

強風のため、それぞれ退く

194 エン州

VS張遼&臧覇(呂布軍)

楽進とともに戦っていたが、呂布が突っ込んで来たため、たまらず逃走した

197 徐州

VS橋ズイ(袁術軍)

3合せずして槍で突き殺す

198 徐州

VS高順(呂布軍)

50合戦い、支えきれなくなった高順が逃亡

198 徐州

VS曹性(呂布軍)

左目に矢を受けたが、矢を抜き取って眼球を喰らい、そのまま曹性に突進、顔面に槍を突き立て、討ち取る

200 翼州

VS関羽(劉備軍)

10合ほど打ち合い勝負がつかないが、張遼が仲裁に入る

★通算7戦 4勝0敗3引き分け


コーエー「三國志」シリーズに見る肖像変遷(左より1〜10の順に並んでいます)

(寸評)1は「盲夏侯」になる前の顔か? いや、よく見ると左眼が潰れているような気もするが、小さすぎて判別できず。2からは隻眼のイメージが定着。眼帯で覆っているのがスタンダードだが、3〜6の「剥き出し」もなかなか迫力があって良い。マイベストは5。怒っているのか、いまにも傷口から血が噴出してきそうな凄みがある。7からは角度も顔つきも、ほとんど変わってないが、優等生顔になってしまったのがちょっと気に入らない。

※画像の著作権は株式会社コーエーテクモゲームスに帰属します。

ギャラリー

作画/
祖茂

ドラマ三国演義
 


三国志ファンが斬る! 過去に皆さんから寄せられた書き込み、投稿です。

阿Q 殿

豪胆と繊細が同居しているところが○!
無駄口叩かないところもいいですね〜。

六波羅文乃 殿

こういう上司がいいなあ。下の者と近しい存在(^^)

功明 殿

「蒼天航路」の惇って,すごく格好いいです。魏で最も「将軍」の名の似合う武将ではないかと思いまする。

新荘剛史 殿

公私のけじめをキチッとし、曹操にもっとも信頼された名将。

鍵屋 殿

他の武将には無い、独特の恰好良さがありますよね。
三国一の”ダンディ”ですよね。間違いなく。

香香 殿

将軍と共に灌漑作業・農作業に勤しみたいわ♪
「兵卒の夏侯惇です」←格好良すぎ♪

マコト殿

私も蒼天航路の中で兵卒に降格されたときの惇さんが大好きです。

阿弥陀丸 殿

カコウジュンなんて呼ばれていた時代も…

哲坊

吉川英治版と、三國志 IIですな。<カコウジュン

田単 殿

武勇一徹の人ですな。なかなかっこいいです。

亮 殿

めっさ強いうえに部下にとてもやさしっかたらしいすね。この男。なんてかっこいいんだ!こいつぅ!片目しか見えないというところも伊達政宗とかぶってて良し!

演京 殿

北方三国志だと、勇猛な武力がない分すごく穏やかですな。曹操の留守の時、全軍まとめる能力もあるし。私心もなく、生粋の軍人です。

陥陣営 殿

軍を率いる才能ならば、魏随一の名将で有りましょう!
曹性に射られた左眼を喰らう姿も豪胆で良いです!

呆爺 殿

夏侯惇は、他の将とは別格の人ではないでしょうか。実際、曹操も同格扱いでしたし、能力だけでなく、人格、識見が、一歩抜きん出ていたのだと思います。
夏侯一族は司馬氏と対立したためか、演義等で貶められてる感がありますが、それでも無視できない凄さがあったのでしょう。(02.9.1)

沮授@tRTK 殿

妙に印象に残っている場面は、「[奚隹]肋(けいろく)事件」であります。軍令を聞きに言ったが曹操は食事タイム。曹操が無意識に言った「[奚隹]肋」を軍令と勘違いし、さらに意味が分からず、参謀の楊修(ものしり博士)に教えてもらって「結論:撤退命令」と納得し、軍を引き上げようとして曹操が激怒…。戦闘では臆することが無かった名将の人生の中で、最も狼狽した場面と思われます。(笑) (02.9.1)

シャルル・ド・ギーズ大佐 殿

目の玉を食うのが良いよね! 「真・三國無双」の夏侯惇しぶくて最高!
いつまでも応援しつづけます!(02.9.1)

げんじょ〜殿

夏侯惇はきっとすごく冷静なひとだったと某は思います。眼を射られたとき、普通だったら落馬してしまうと思います。そんなことになったら、兵たちはうろたえて遁走。そこを耐えて逆に曹性を突き殺したのですからかっこいいです。渋いところもいいです。(02.10.28)

外天 殿

知名度が一人歩きしてませんか? 正史でもカコウエンにくらべると地味な活躍だし演義ではただのやられキャラ。曹操と仲良しだっただけでしょう。蒼天航路人気。光栄も意識しすぎ。(02.11.15)

郭攸長若 殿

演義では夏侯淵以上、正史では夏侯淵以下と評価の難しいところですが曹操からの信頼が厚かった所はどちらも共通、名将であることには間違いありません。(03.1.6)

オジオン 殿

隻眼になったエピソードなどから剛毅な人物だと思われがちですが、「盲夏侯」と呼ばれることを嫌っていたようですから案外繊細な人物だったのかも。戦には弱く自ら部隊を率いて敵軍に勝った試しがありません。ただ、雌伏期から曹操の信頼を損ねることなく、最後は大将軍にまで昇進していますので、戦以外に見るべき能力があったのは間違いないかと思います。人格円満・勉強熱心で謙虚、物惜しみしない質で誰からも好かれていたようですから、政権内では新撰組の井上隊長のような存在だったのかも。それに引き替え息子は・・・ (03.3.3)

史進 殿

戦弱いけど、隻眼の内政官ってのもなんだか・・・。功績はほとんど内政関連ですからねぇ。隻眼で戦場に立つってだけで武力90あげたいです。もちろん独眼流さんやきつつきさんの影響で!(03.4.5)

頴娃 殿

確かに、正史の記述では勝った試しがないみたいですが、曹操に信頼されたんだから、正史には書かれていないものの、かなりの活躍をしていたと思います。(甘寧の最期だって書かれてない)曹操は「才ある者愛す」をモットーにしていましたからね。惇兄(僕はこう呼んでます)は、真面目に見たら 知の能力>武の能力 だと思います。僕も、弱い惇兄は嫌なんですけどね〜(03.4.5)

安寿 殿

私は演義での戦場においての彼が不満です。目玉エピソードはいいとして、なんで博望坡で諸葛亮に負けにゃならんのだ?そんな戦いあったのか?ったく、あることないこと書くなってんだ。正史での彼はとっても謙虚な人物ですね。学問の師を招いたり、兵士達の土木工事を自ら手伝ったりと部下に優しかったりと、“控えめな人”であったことに疑いはないはずです。普段は優しいけど人の道をはずれる行為は許さない、尊敬できる人。蒼天航路とか無双3の惇兄もいいな。とりあえず渋い。渋いの一言につきます。 (04.10.3)

頼道 将和 殿

いや、博望で劉備軍に負けたのは事実ですよ。但し、その時徐庶や諸葛亮が配下にいたか(恐らく、いなかったでしょう)分かりませんが。井上源三郎に比されているコメントがありますけど、私には織田信長に対する柴田勝家の様な印象があります。実直で、猛将のイメージが強くて、意外と戦に弱い(苦笑)という点で、似ている気がするのです。(05.1.12)

よっちゃん

博望坡の戦いは実際あるようですね。最も諸葛亮はこの時まだ劉備軍に入っておらず、指揮したのが劉備自らであり、伏兵により打ち破られたそうですね。最も名将と呼ばれた夏侯淵ですら、劉備に破られたわけですから、戦下手というわけではないと思います。心底曹操は彼を信頼しましたが、盲夏侯という名で呼び、彼はその呼び名を嫌悪しました。彼は主君であり、友である曹操にどのような感情を抱いていたのか、興味がわきます。 (05.1.12)

田楽 殿

夏侯惇の力量を測るのは難しいですね。華々しい功績は皆無ですから。ですが、曹操が寝食を共にし、遠征の際には留守居も任され、無事勤め終えたという様な事も有ります。機知や奇略は持ち合わせていないが、その場に居るだけで不思議と皆が纏まるような人物だったのではないでしょうか。スポーツで、チームのエースじゃないけどキャプテンしてるような人。私にとって夏侯惇は、そんなイメージですね。(05.3.18)

naimukyo 殿

諸葛亮より、夏侯惇こそ最も軍才が危ぶまれる気がしますが、実力主義の曹操がお気に入りという理由で官位を上げるとは思えないので、やはり有能な人だったと思います。正史の事跡から妄想すると、曹操軍の将中で最も政治を理解していて、軍政家が本分だったのではと思います。さらに他の将達を束ねる人望もあったから前将軍、大将軍と昇進したのではと思います。でも戦を指揮するのが苦手なのは否定できない。喧嘩は強いが、指揮は苦手だったのだろうか。 (05.3.18)

公孫樹 殿

曹操の遠征中は都の守りに回ってることが多いですから、将としても優れてたと思います。「盲夏候」とあだ名をつけられたり(本人はいやがってますが)土木作業に自ら参加したりと、将兵からの人望や人気も高かったことでしょう。おまけに勉強家で思慮深い(演義と正史では随分違うなぁ)彼ですから、曹操も安心して行政軍事を任せられたのではないでしょうか。(05.5.22)

珍寿 殿

「蒼天」の惇兄は自意識過剰な感じがしてあまり好きではありません。「横光」の惇のように魏軍中枢にいながら特に出張るわけでもない、でも存在感があるというのがらしくて良いです。関羽に挑みかかる剛勇には驚いたものです。(関羽との一騎打ちは「横山三国志事典」でも「柴練三国志」でも、関羽が手を抜いたということになっていますが、私は<実力互角、関羽やや上、手抜きなど出来る相手でない>と思いこんでおります。演義や吉川版でも手を抜いたなんて表記はないですね)正史は……カッコ悪いですなあ。でも魏国中枢の柱だったとよく分かります。(05.7.11)

孫武 殿

一人の人間として大変立派な人物だったと思われます。気性は荒いが、自分の非を認める謙虚さがあり、努力家で威張り散らしたりしない、そして機転の利く人物だったのでしょう。 武力の評価については、隻眼で不利だった理由もあり9は無いでしょうね。せいぜい7くらいでしょう。しかし人望、カリスマ、内政はともに9あげてもいいと思います。 曹操の「不臣の礼」ですが、曹操は夏侯惇を肉親のように思っていて、公的な視点より私的な視点で見ていたのではないでしょうか。やはり夏侯惇が戦場でバリバリ戦うことにも賛同できず、かといって軍師のように政治を全て任せられるわけでもなく、シンボルのようなものとして認識していたのだと思います。(05.11.12)

李嗣源 殿

この人が独眼龍の元祖かと思ってたら、唐の李克用が元祖でした。日本の伊達政宗が独眼龍と呼ばれたのは、江戸時代の学者が政宗を李克用に例えたからといわれています。 (05.11.12)

峰徳森山 殿

彼は用水工事の際に自ら土砂を背負い、将兵に田植えを奨励し民衆を救い、財産に余裕があれば人に分け与える素晴らしい人物です。派手な軍功が無くても、このような人物が傍に居る事で曹操も安心したでしょう。魏の内部でも尊敬され誰もが意見を聞きにいくような人物だったのでは。それにしても彼ほどの人格者を、夏候淵と区別する為とはいえ、あろうことか盲夏候と呼ぶとは。一体どういう集団なんでしょうねえ、魏軍は。彼は曹操配下では癒し系だったのでは?もっと評価されるべきだと思います。(06.5.15)

アミーゴ 殿

正史を見る限りとても軍略に強かったとは思えない夏侯惇。蒼天の彼を知っているだけに少し物悲しい。しかし実力主義の曹操の下、いくら旗揚げからの仲とはいえそれだけで出世出来たとも思えない。はてさて実際の才能は? にしても、正史の惇兄可愛すぎ(笑)  (06.8.16)

カンヌ 殿

曹操最古参の武将で、苦楽をともにし曹操の最期を看取った後、大将軍につくも曹操のあとを追うように自分も乱世を生きた自分の命に幕を降ろす。忠臣であり友であり家族であり。曹操の覇業を支えた一人ですね。軍事面での華々しい活躍はないものの多彩な才能と人徳・人望で民からも慕われた名将ですね。

個人的には隻眼の猛将というのもいいのですがいいんです。別に演儀で目玉を食べようが曹性を突き殺していようが。そんなことより曹操とともに乱世を生きた夏侯惇。これだけでこの名将は評価できます。(06.8.16)

亀 殿

正史では功績があまりない。が曹操の最高の理解者と思っている。曹操の旗揚げに夏侯淵とともに一番に駆けつけるから死ぬまでともにいた。武将としての能力は平凡だと思うが、主に曹操の遠征時に都で守りを任され、戦地に行くときはほぼ曹操と一緒と可もなく不可もない、出すぎたことはしない。性格的に良将だったのでは。青州兵に農耕をさせるなどむしろ文官みたいなエピソードが多い。たぶん勇敢というよりもいい人だったのだろう。(06.10.23)

遼来来

武人として最高の地位まで昇った時点で有能な武将だったと思います。そして、数多くの戦場に出向いても戦死しなかった武将ですから武力は相当あったと思います。正史、演義では低評価でしたがこの名将を評価してしまうと魏寄りの物語になってしまうのであえて避けたようにも見えますね。08.2.13

 

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