作画/雲才

字(あざな)/興覇(こうは)  

生没年/不明(演義では222年没)

家族/子・甘カイ、甘述

出身/益州 巴郡臨江県(現在の重慶市忠県)

 

武 勇

9

 

戦 術

7

 

 

 

知 略

7

 

 

 

カリスマ

7

 

 

 

人 望

6

 
 

 

 

外 交

2

 

 
 

 

 

 

 

 

内 政

4

 
 

 

 

 

 

 
コーエー「三國志」シリーズに見る甘寧の能力値変遷
陸戦指揮、水戦指揮はIIIのみ、
運勢はI のみの設定。赤字はシリーズ中の最高値

 

知力
武力
魅力
政治力
統率力
陸戦
指揮
水戦
指揮
運勢
I
52
94
69
 
 
 
 
85
II
51
92
52
 
 
 
 
 
III
54
91
58
42
 
84
72
 
IV
60
92
65
44
86
 
 
 
V
60
96
71
34
 
 
 
 
VI
71
95
70
36
78
 
 
 
VII
68
92
56
54

VIII
74
92
58
44
 
 
 
 
IX
78
94
 
13
87

 

 

 

X
75
95
55
20
88
 
 
 

徐々に知勇兼備の名将クラスへと成長しているが
政治力が急降下。イメージが固まってきたようだ。

甘寧 (かんねい)

呉の猛将として知られる甘寧だが、実は益州・巴郡(蜀)の生まれ。

若い頃は遊侠親分といった風体のやくざ者で、徒党を組んで派手な装いをして街を練り歩いた。羽根飾りをつけ、鈴をぶら下げて歩いたので、すぐに甘寧の一味だと分かったのだそうだ。

「錦帆賊」と呼ばれる河賊(海賊)であったとするのは、『演義』の話であるが、イメージとしてはそんなところだろう。

しかし、悪さばかりしていたわけではなく、領内で犯罪があれば摘発と制裁を行うという、「清水の次郎長」が率いた義侠の集団のようだったらしい。

甘寧は粗暴でキレやすく、すぐ人を殺す癖があったが、普段はサッパリとした人柄で頭も良く、優れた者を手厚くもてなしたので、部下たちに慕われた。こういう二面性を見ると、酒飲みだったのかもしれないが、詳しくは分からない。

やがて800名の部下とともに荊州の劉表に身を寄せるが、劉表は粗忽者の甘寧を疎んじて重用しなかったので、劉表の部下である江夏太守・黄祖の元に身を寄せた。しかし、そこでも食客としてしか扱われなかった。

どうして重用されなかったのかは分からないが、彼がトラブルメーカーだったからではないだろうか。あるいは「益州の田舎者」などと軽んじられたのかもしれない。荊州も田舎だが、劉表や黄祖は荊州の名士を優遇していたから、そこに甘寧一味の入り込む余地はなかったのかもしれない。

そうこうしているうち、黄祖のところへ孫権が攻め込んできた。黄祖はかつて孫堅を討った人物なので、「父の仇を討たん」というわけである。

いい所を見せる機会とばかりに、甘寧はこれを迎え撃った。そして凌操を射殺するなど功績を立て、孫権軍の撃退に成功する。このため、後に同僚となる凌操の子・凌統とは因縁の関係となってしまった。

しかし、手柄を立てたというのに、何が気に食わないのか黄祖の待遇はその後も変わらなかった。逆に黄祖は甘寧の部下を取り込もうとしてきたので、逆上したか、甘寧はついに荊州を抜け出して、なんと戦ったばかりの孫権のもとに身を寄せた。

孫権も、こんな危ない輩を味方にして良いものか悩んだかもしれないが、周瑜と呂蒙が揃って「甘寧を歓迎なさい」とアドバイスしたため、孫権は喜んで彼を迎えた。

孫権と面会した甘寧は、「まず劉表と黄祖を討って荊州を押さえ、さらに巴蜀(益州)をも攻め、天下に覇を唱えるべきです」という計画を提言した。これは後に周瑜が唱える「天下二分の計」の原型ともいえるもので、感心した孫権から旧臣同様の待遇を与えられる。このように、戦馬鹿でなく戦略眼を持ち合わせていたあたりが興味深い。

しかし、凌統(甘寧が殺した凌操の子)とは、なかなか打ち解けられなかったようだ。それどころか、お互い会おうともしなかった。

あるとき、呂蒙の自邸で酒宴が催されたとき、凌統が座を立って、刀を持って舞い始めると、危険を察したのか、甘寧も双戟を持って舞を始めた。不穏な空気が流れるなか、呂蒙が刀と楯を持って2人の間に割り込み、その場を取り繕った。

これを見た孫権は凌統がいまだ甘寧に深い恨みを抱いていることを危惧し、甘寧を半州(江西省の九江市)に移らせ、そこに駐屯することを命じた。

かといって、孫権は甘寧を軽んじることはなく重用し続け、甘寧も期待に応えて黄祖討伐戦、赤壁の戦い、南郡攻略などで功績を重ねた。214年、曹操軍の揚州の拠点である皖城攻撃では先頭をきって城壁をよじのぼり、敵将の朱光を捕らえた。世に名高い、「甘寧、一番乗り!」のシーンだ。

215年、「合肥の戦い」で孫権が敗れ、張遼に奇襲された時、甘寧は因縁を捨てて凌統と協力し、ともに戦った。主君の命の危機に、私情を差し挟む余地などあろうはずがない。

そのとき甘寧は、沈黙する音楽隊を怒鳴りつけて音楽を鳴らさせ、全軍を鼓舞して孫権の脱出を助けた。その後、曹操が自ら濡須口へ侵攻してくると、甘寧は精鋭100人を選抜し、彼らに自ら酒を注いで回って士気を高め、彼らの先頭に立って夜襲をかけ、撃退に成功した。

前年の雪辱を果たしたこのとき、孫権は「孟徳(曹操)には張遼がいて、私には甘寧がいる。ちょうど釣り合いがとれているな」と賞賛している。

呉の多くの人物と同様、残念ながら甘寧の没年や死因については正史に記録されていない。それから間もなく病死したようである。

『演義』では夷陵の戦い(222年)で、劉備に協力した蛮将・沙摩柯の矢を受け、木にもたれかかって戦死するという描写がある。その死にざまは猛将にしては呆気ないものだが、黄蓋や程普、魯粛のように、いつの間にか死んでいる呉将が多いなか、死に場まで与えられていることは特筆すべき点である。昔から人気の高い武将だったことが分かる。(哲舟)

※文章の著作権は哲舟に、一部借用・引用画像の著作権は作者および各メーカーに帰属します。無断転載を堅くお断りします/管理人・哲舟



「絵本通俗三国志」(江戸時代後期・1841年完成)に描かれた甘寧

江戸時代の浮世絵師・葛飾戴斗も、「侠客」「海賊」といったイメージの強い甘寧を気に入ったようで
出番の少なくなりがちな呉将の中で、ひときわ光る、甘寧の活躍場面を多く描いている。代表的なもの3枚を紹介。


朱光を倒す、「一番乗り」の場面。


沙摩柯の矢を受け、戦死するシーンもしっかりと描いている。


 甘寧の一騎討ち勝敗表
西暦・場所
相手(所属)
結果
決まり手

208 濮陽

VS黄祖(劉表軍)

矢を射て落馬させ、程普とともに首を取った

208 烏林

VS馬延(曹操軍)

一刀のもとに斬り捨てる

208 烏林

VS張ガイ(曹操軍)

一刀のもとに斬り捨てる

209 南郡

VS曹洪(曹操軍)

20合余り打ち合い、曹洪計略のためわざと逃げる

215 カン城

VS朱光(曹操軍)

一刀で斬り落とす

215 濡須口

VS楽進(曹操軍)

凌統と戦う楽進に矢を放ち眉間に命中、落馬させる。

★通算6戦 4勝0敗1引き分け


コーエー「三國志」シリーズに見る肖像変遷(左より1〜10の順に並んでいます)

(寸評)1〜2の頃は顔もおとなしく、「青」がイメージカラーだったが、呉のカラーが「赤」に定着してからは、彼のカラーもそれに準ずる形になった。個人的には4〜5のような、荒々しさ、ふてぶてしさを感じさせる顔のほうがいい。どうでもいいが、3と4の顔は並べてみるとちょうど睨み合っているような感じだ(笑)。

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三国志ファンが斬る!甘寧評
皆さんから寄せられた書き込み、投稿です。下のフォームより投稿随時受付中。

劉表 殿

呂蒙など、同僚とのとのいざこざは正史では相当なもの。いわばスポーツ万能で
そこそこ秀才であるが、人間関係は下手、というタイプか。

功明 殿

何となく“親分”という言葉が似合いそうな感じがします。

KERO 殿

超問題児だけどいい男(オヤジ)って感じですう。

ふみたか 殿

武力が基本的に低い呉にとっては重宝します。
孫策さま、太史慈さま、甘寧さまってとこですか。

六波羅文乃 殿

面倒見のいいアニキ。上司にしたい。でも殺されるのは嫌だな

劉表 殿

(三國志VIの)必殺技がなぜか川賊なのに「新=大海の黒い鮫」

鈴村 殿

水滸伝の史進なイメージがありますね。まんまですけど。

鍵屋 殿

史進=甘寧。納得。でも、初期の恰好良い史進ですよね(^^)

哲坊

なるほど!史進=甘寧、そっくりですな。
水滸伝の無頼漢のイメージありますのう。甘寧は。

哲坊

なんと言っても、名前が良い。「カンネイ コウハ」なんて強そうな名前ですな。
凌統との いがみ合いも、良いエピソードですな。

鍵屋 殿

なんと行っても彼は登場シーンがべらぼうにかっこいいです。
横山三国志
「この俺を知らんだと?井の中の蛙が・・・冥土の土産に覚えておけ!俺の名は甘寧!」→サイ薫を射殺。
真三国無双「鈴の甘寧とは俺のことよ!楽しもうぜ!」
「呉の甘興覇たぁこの俺様よ!」
蒼天航路
「ニイメンハオ」→いきなり現れサイ帽を一刀両断 

沮授@tRTK 殿

川賊(錦帆賊)の生活に飽きて(笑)、立身出世の望みを抱き劉表に仕官するも、しばらくして劉表を「無能者」と見切りをつけ去る途中、さらに無能な(?)黄祖に留められて、うっかり仕官してしまうところが面白いですナ。黄祖に仕官している間、黄祖から「たかが川賊ふぜいが」となめられ、重用されなかった点は、なんとなく袁術に身を寄せていたころの孫策の境遇となんとなくダブって見えます。 (02.9.1)

頴娃 殿

自分の1番好きな武将です! 本当にカッコいい男です! 凌統に命を狙われても平然としているあの大雑把さが!(あ、凌統も好きだ(笑)
光栄ゲームでは、いつもカッコいいんですね〜彼の顔は。横山三国志の彼は、「周泰と顔交換してほしいな」と思いました。でも、登場シーンはカッコ良かったし、「甘寧1番乗り」には大爆笑! 蒼天航路の彼もいい! 三国無双の彼もいい! って顔とかカッコよさの話ばっかり(爆)。やおい同人女と間違えられるかもしれないので真面目に月旦します。
実際の彼は強いだけじゃなく、頭もよかったんですね。天下二分の計を見通した彼の知力は、光栄評価なら「80」くらいあってもいいのでは? ましてや、人材見のある孫権に、「張遼とつり合っている」とまで言われたんだから、彼ぐらいの能力を与えれば・・・と、ちょっと妄想入ってますが(笑)。だけど、正史だったら張遼よりも彼のほうが、知力は高いと思うんですけどね。これは贔屓じゃなくて、客観的に見てです。 (03.2.5)

鶏一番 殿

この人は猛将のイメージがありますが、実際強いのかな(弓が得意と正史にあるが、誰を斬ったとは書いていない)と思うんです。頭は切れるし、肝も据わってるし、千人単位の指揮能力は抜群、と言うことは魯粛に似てる(魯粛は万人単位の指揮能力ですが)と思うんです(正史の魯粛ですよ)。(03.2.5)

史進 殿

私は甘寧の知力の増加は嫌です。なんといっても賊っぽさがなくなちゃうから。頭がよいんじゃなく鼻が利くっていうか、運が太いというか。知力って言うと頭が良いって意味が含まれてて、彼は一味ちがうんじゃないかと。マージャンで言えば、危険牌を読んでかわすというより、カンと流れで通しちゃうタイプかと、好きなキャラですけどね (03.4.5)

哲坊

最新作の9で政治力が急下降。数字で個性を表現するのは難しいものです。(03.4.5)

雑巾賊 殿

この人は、呂蒙とのビミョーな関係が素敵ですね。凌統とのいざこざの仲裁は有名ですが、好きなのは(正史にしか書いてなかったかも)料理番の子どもをめぐる一件。子どもを縛り付けて射殺して、そのまま怒り狂った呂蒙が軍勢引き連れて駆けつけて来るのを、ゴロンと寝転がって待っていた、というくだり。解釈の仕様は他にもあるでしょうが、私の場合、ドス黒い怒りの感情を制御できない己を、冷静な親友に裁いてもらおうという、ある種の潔さと他力本願的な弱さを観てしまうんですね。で、呂蒙もその苦しみを理解して裁くに裁けない、と。この二人、後年までこういう微妙な交友関係を続けていったんじゃないかという...決して打ち解けあうことはないけど、お互いを一番深いところで理解し合っているという。まあ料理番の子どもの人権はどうなるんだという、もっともな感想もあるだろうけど(笑)。なにせ昔の話だし。今だって空爆で殺されるイラク国民の人権はどーなるんだ!って話? (03.4.5)

頴娃 殿

鶏一番さんに同じ。彼は個人的武勇はそこまで高くなかったと思います。普通に知力は高いと思いますよ。「天下三分の計」を進言したのは、周瑜に魯粛、そして甘寧です。 また、わずか千人の兵で関羽の渡河を阻止した戦上手でもあります。ただ、呂蒙との関係で幼稚っぽい処もあるのも確かです。 お利巧さんではないですね(笑) 政治「13」は、本当に不当でしょう。久しぶりに怒りを覚えました。僕は、外交能力、統治能力、内政能力、武官なら周辺警備=政治力 って感じに思ってます。甘寧って政治の記述は本当に薄いんですが、見つけました! 甘寧はなんと文官出なんです! 僕も知ってびっくりしましたが(笑) となると、多少なりとも政治関係に係ったんじゃないかと思います。だから、政治は「50」くらいが妥当だと思うんですがね。逆に統率は高すぎかと。まあ、食客の統率は得意なんだけれど(笑) 「73」くらいが妥当じゃないかな? それにしても、甘寧が劉璋に敗れたことがあるとはびっくりしました。アノ劉ショウに(泣)! 意外に強いのか? 劉璋って。 きっと、程兵力差があったんでしょうな。 またその当時、甘寧は教養なかったんでしょうけどね。 う〜ん。これは甘寧の汚点だな〜。(03.4.25)

哲坊

一応、相手は益州刺史ですからな。どうしょうもないぐらいの兵力差があったのでしょう。また、政治力については、ちょっと子供っぽいところ(馬鹿っぽいところ)をゲームで表現しようとすると、どうしても政治力を減らすしかないのでしょうな。と、たまには制作側を擁護してみる(笑)。(03.4.25)

紫電 殿

呉の最強の特攻隊長というイメージがありますね。あの派閥だらけの国でよくあそこまで成り上がったと思いますよ。実際、粗暴だけど慕われる親分肌だったんでしょう。部下としては頼もしいですけど同僚にはしたく無い、そんなタイプですけど。知も武も優れた機転の効く将という評価には賛成。天下三分の話や、数々のエピソードからして、元不良が更正して大人物に…といった感じですかね。ただ、演義の最期はいただけないなあ。徐晃もだけど。(03.8.18)

大海の黒い鮫 殿

演義の最期というと例のカラスが集まって死体を隠したってやつですかね? あれは自分はいいエピソードだと思ってたんですけど・・・もしかしてシャマカに射殺されたってところですかね? 徐晃も孟達にやられてますし・・・
甘寧といえば横山三国志の「甘寧、一番乗り!」って台詞が大好きで甘寧が好きになったきっかけもあそこらへんです。それとなにげに弓のエピソードが多くて弓の名手だったのではないかとも窺えます。結構知将的な部分があって奇襲の場面などはそれを表しているのではないかと・・・優れた戦術家だったんですね。(04.4.13)

珍寿 殿

横山三国志の「一番乗り!」のシーンで鉄球を振り回していた姿のインパクトが強烈すぎ(演義では単に鎖だったような)。振り回しながらハシゴを登っていたような・・・・すごいバランス感覚!。(荊州時代の恩人の)蘇飛を助命嘆願するエピソードなんかは良いです。(05.3.18)

アミーゴ 殿

彼が献策したとされる天下二分の計。実は自分の気に食わない奴を片っ端からやっつけようと思って考え出したのでは?なんて思います(笑)。そっちの方がらしくていいですけれど。(06.8.16)

カンヌ 殿

孫策・周瑜なき後の魅力のない(失礼)呉では唯一魅力的な人物ですね。張遼のトコでも書きましたが度胸があったのが大きな強みですね。100人奇襲は命知らずじゃなければできないことですから。(関係ないですがあれって甘寧入れて100なのか抜きで100なんですかね・・・)

また文官出で多少なりの頭も良かったのかなとも思いますが行動を見るかぎりは人間としてはあまりできたほうでもないとも・・・でも蘇飛の助命を求めたり・・・評価の難しい人ですが呉の中ではかなり重要な人物だと思います。多大軍勢を指揮する能力よりは少数精鋭を率いて陽動的戦いが得意な武将ですね。

個人的に・・・無双・三国志などの若い甘寧は微妙ですね。上半身裸で走るのはそれこそ「自重しろ!」です。やはり貫禄のあるオッサンじゃないと・・・ニイメンハオとか言ってたらもう最高ですね(それって・・・) (06.8.16)

 

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