作画/雲才

(あざな)玄徳(げんとく) 

生没年/161〜223年(63才)

身長/7尺5寸(173cm)

出身/幽州タク郡タク県

家族/祖父・劉雄(りゅうゆう)、父・劉弘(りゅうこう)
子・劉封(りゅうほう/養子)、劉禅(りゅうぜん)、劉永(りゅうえい)、劉理(りゅうり)ほか
妻・穆(ぼく)皇后、甘(かん)夫人、糜(び)夫人、孫夫人

 

武 勇

7

 

 

 

戦 術

7

 

 

 

知 略

6

 

 

 

 

カリスマ

10

人 望

10

外 交

8

 

 

内 政

7

 

 

 

 

コーエー「三國志」シリーズに見る劉備の能力値変遷
陸戦指揮、水戦指揮はIIIのみ、
運勢はI のみの設定。赤字はシリーズ中の最高値

 

知力
武力
魅力
政治力
統率力
陸戦
指揮
水戦
指揮
運勢
I
95
63
99
 
 
 
 
71
II
85
70
99
 
 
 
 
 
III
78
68
99
82
 
60
29
 
IV
76
72
99
85
60
 
 
 
V
77
79
99
80
 
 
 
 
VI
70
75
99
78
85
 
 
 
VII
80
82
98
76

 

 

 

 

VIII
71
70
98
78
 
 
 
 
IX
73
74
 
78
75

 

 

 

X
73
72
99
78
78

 

 

 

II以降、魅力はほとんどトップの座をキープ(100にしないところに、コーエーのこだわりがあるようだ)。武力や統率も徐々に上昇しており、軍事能力も評価されてきている。三國志 I を、初めてプレイした時に選んだのがやはりこの人であった。しかし、シナリオ1では配下は関羽、張飛、孫乾しかおらず、とても苦労しながらそれでも、なんとかクリアすることができた。今思えば、初心者のくせに無謀だったものだ。
とくに、初めて軍師にホウ統を迎えた時の感激は忘れられない。以来、私ははじめから軍師がいる君主では、決してプレイしないことにしている(笑)。



壇渓を飛ぶ劉備の像
中国の湖北省襄陽市にて(2014年/哲舟撮影)

劉 備 (りゅうび)

一介の筵(むしろ)売りから、魏・呉・蜀の三国の一角、蜀の国を興して皇帝となる人物。そのサクセスストーリーは、日本でいえば百姓から天下人にのぼりつめた、豊臣秀吉の経歴にも似ている。

曹操のようにズバ抜けた才能は無いながら、どんな逆境に追い込まれても不屈の精神で生き延び、皇帝にまでなってしまった人物。良くも悪くも三国志はこの男がいなければ始まらない、まさにミスター三国志。私自身、昔から好きだったけれども、40歳を超えてからますます興味が湧き、なんだかんだで、三国志で一番「好き」といえる人物かもしれない。

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「黄巾の乱」の時は24歳。関羽・張飛らと義勇軍を興し、乱世に身を投じたのである。その生い立ちは素朴そのものだ。家は貧しく、母とともに蓆を織って生計を立てていた。祖父はエン州の東郡范県の令、その縁で父も州郡の役人を勤めたが、劉備がまだ幼い頃に亡くなってしまったからである。だが劉備は将来、己が世に出ることを公言していた。

幼い時、家の前に生えている大きな桑の木を見て「僕も大きくなったら、天子の馬車(桑の木でできている)に乗るんだ」と言った。その際、叔父(父の弟)の劉子敬があわてて口を塞ぎ「恐れ多いことを言うな。そんなことを聞かれたら一族は皆殺しの刑に遭うぞ」と叱責したという。

前漢の中山靖王・劉勝の庶子、劉貞は紀元前117年に陸城亭侯の爵位を賜ってこの地に居住した。「その劉貞が祖先である」と劉備は主張し、大義名分として利用したのだ。劉勝は120人以上の子を残しているため真相は歴史の闇の中だが、李定という地元の傑物が劉備の生家を見て「この家から貴人が出るだろう」と述べるなど、早くから一目置かれる存在ではあった。

15歳の頃、母の言いつけにより、同郷で儒学者として名を成していた盧植の下で学問を学び始める。この時、同窓には公孫サンがいた。劉備は何歳か年上の公孫サンと不思議にウマが合い、兄のように慕ったという。やがて劉備は立派に成長、不思議と人を惹きつける親分肌の人物となった。乗馬や闘犬、音楽を好み、さっぱりした衣服で身なりを整えていた。口数は少なく、喜怒を顔に出さず人によくへりくだり、豪傑と好んで交わった。若者らは我先に劉備に近づき、交流を持ちたがったという。そんな劉備に転機が訪れる。

「黄巾の乱」(184年)の発生。中山の豪商・張世平と蘇双は、劉備を見て「ただ者ではない」と信じ、大金を与えた。劉備はこれを元手に大勢の仲間を集め、義勇兵とした。旗揚げの時、関羽と張飛が劉備の護衛官に任命され、以後生死を共にすることになる。彼らが劉備とどんな出会いをしたか、残念ながら『正史』では確認できない。

『演義』では、劉備が黄巾党討伐の義勇兵募集の高札を見ていたときに張飛と出会い、酒場で話しているところへ関羽が入ってくる。偶然出会った3人はたちまち意気投合し、会ったばかりのその日に、張飛宅の裏の桃園で義兄弟の契り(桃園の誓い)を結ぶ流れになっている。


「桃園結義」の石像(武漢の亀山公園にて、2014年・哲舟撮影)

関羽・張飛のほか簡雍・田豫も加えた劉備は、校尉の鄒靖の指揮下に入り、それに従って戦功を挙げた。劉備軍はその武勇を買われ、賊軍の将・張純討伐の軍に随行して戦ったが、劉備は乱戦の中で負傷し、死んだ真似をして切り抜けたという。

『演義』では5万の黄巾兵を率いて押し寄せてきた程遠志とケ茂を、関羽と張飛がそれぞれ一撃のもとに斬り捨てて華々しく初陣を飾るのだが、『正史』ではそのように華々しい戦功はない。しかし、なんらかの手柄は立派に立てたようだ。

劉備は中山国・安熹県の尉に任命された。その折、郡の督郵が公務でやって来たため、劉備は面会を申し込むが断られた。腹を立てた劉備はそのまま押し入ると、督郵を縛りあげて杖で200回も叩き、印綬を督郵の首にかけ、官を捨てて逃げるという血気盛んなところを見せた(『演義』では督郵を痛めつけたのは張飛の役目である)。

 その後も黄巾の乱の余波は続き、大将軍の何進が丹陽郡で義勇兵を募集させた。劉備はこれに応募するが、戦には負けて逃げ去る。その後、反・董卓の軍に加わって戦ったという記録もあるが、劉備軍がどのような働きをしたのかは記録にない。呂布を相手に関羽・張飛とともに打ちかかる活躍は、『演義』の描写である。

当時の劉備軍はある程度軍功を立てるも勝利に恵まれず、ひとつの土地に長く留まることもない、さすらいの傭兵集団だったようだ。

 逃走した劉備が向かった先は、かつての学友・公孫サンのもとである。公孫サンは劉備を歓迎するとともに別部司馬に任じ、さっそく青州刺史の田楷を助けて袁紹軍と戦うよう依頼した。劉備は見事に戦功を立て、公孫サンの推薦を受けて平原国の相となった。劉備はそこで自衛に務め、善政を布いて民の支持を得た。身分の低い人物でも差別しなかったため、大勢の人々に慕われた。劉備を殺すために乗り込んで来た刺客すら、その人物に惹かれて思い留まったというから、その「徳」こそ、彼の底知れない武器といえよう。

 しかしその後、劉備はまたも各地を転々とする。徐州の陶謙、冀州の袁紹、そして曹操である。曹操は劉備の実力を認め、呂布を討伐した後、彼を取り込もうとして許へ連れ帰り、左将軍とした。ともに外出する時には常に同じ車を使い、席に座る時には席を同格にするほどだった。ある歓談の席で曹操から「今、天下に英雄といえば、おぬしと私だけだ。袁紹などはものの数にも入らぬな」と評された時、劉備は雷に驚いたふりをして、手にしていた箸を落とし、小物であるように振る舞った。

 その後、袁術討伐を名目に曹操のもとを離れたが、200年に「官渡の戦い」で袁紹が敗北した後、曹操は自ら劉備討伐にかかろうとしたため、荊州の劉表を頼って落ち延びた。劉表から新野城を与えられ、ようやく腰を落ち着けた劉備は、曹操が派遣した夏侯惇・于禁の軍を博望で撃破するなど、戦に手慣れた様子も見せる。

宴席で厠に立ったとき、自分の髀にすっかり肉が付いているのを見て涙を流し、四十路を過ぎて何の功業も遂げられない身の上を嘆くのであった。これが有名な「脾肉の嘆」(髀肉之嘆)である。襄陽に滞在中は、蔡瑁に命を狙われるなど立場が危うかったようだ。このとき、「演義」では愛馬・的盧(てきろ)で壇渓を超えて逃げ、蔡瑁の追手を振り切ったという逸話も描かれている。

 大転機は、諸葛亮を「三顧の礼」(206〜207年頃)で迎えてからのことだ。劉備は諸葛亮の評判を聞き、彼が20歳も年下だったにも関わらず三度も足を運び、参謀として召抱えた。諸葛亮は劉備に対し「強大な曹操・孫権に対抗するには荊州と西の益州を手に入れて天下を三分割し、その主となるべきです」と説く。いわゆる「天下三分の計」である。以後、劉備はこの方策に基づき行動していく。


諸葛亮に天下三分の計を授かる劉備(湖北省襄陽市・古隆中にて)2014年/哲舟撮影

 荊州が曹操の手に落ち、辛くも逃れた劉備は孫権と手を組み、「赤壁の戦い」に勝ち、曹操の南下を食い止めた。この時、劉備軍は使者に立った諸葛亮以外、夏口に駐屯したまま傍観を決め込んで大勢が決した後の追撃にのみ参加し、戦力の温存に成功。その直後、曹操軍と孫権軍が荊州北部と合肥で戦っているうちに荊州南部の4郡を占拠した。長い流浪生活の末、ようやく自力で奪取した拠点であった。

 その後、荊州を足がかりに西蜀(益州)へ進軍し、旧領主の劉璋からこれを奪って新領主となる。さらに漢中における曹操との決戦に勝利し、漢中王を名乗った。この時点で荊州・益州・漢中を拠点にした劉備の勢力は呉の孫権を凌ぎ、曹操に迫る勢いであった。だがその後、関羽が孫権軍に背後を突かれて敗死し、荊州を失う。関羽の弔い合戦の形で、劉備は自ら出陣して「夷陵の戦い」を起こし、序盤は呉を圧倒したが、陸遜の火攻めに敗れ全軍撤退を余儀なくされた。多数の犠牲を払ったこの戦が、劉備最後の出陣であった。劉備は失意のうちに病に倒れ、白帝城で諸葛亮に後事を託して息を引き取ったのである。

 この時、諸葛亮に対し、「わが子、劉禅が帝君としての素質を備えておらず補佐するに足りない凡器だと思ったのなら、君が取って代わって皇帝として国家を統率してくれ」と遺言した。

これは君主として出してはいけない「乱命」であり、その結果、諸葛亮は簒奪を周囲に警戒されないよう、北伐で大胆な戦略を打てなくなった……とは、中国史研究者の渡邉義浩氏の見解である。

 凡庸との見方もされがちな劉備だが、始めからある程度の基盤を持っていた曹操や孫権に比べ、一介の浪人同然の身から皇帝にのぼった手腕、落ちぶれても民や将兵から異常に慕われ続けた人気ぶりを見るに、まさに一代の英傑だった。『演義』では聖人君子として描かれているが、彼の真の人物像を、その描写から正確に読み取ることは難しい。『正史』から紐解くことが必要になるだろう。(哲舟)

※文章の著作権は哲舟に、一部借用・引用画像の著作権は作者および各メーカーに帰属します。無断転載を堅くお断りします/管理人・哲舟



コーエー「三國志」シリーズに見る肖像変遷(左より1〜10の順に並んでいます)

(寸評)コロコロと雰囲気が変わっているのが劉備の特徴である。1は吉川三国志的な英雄像を思わせる雰囲気が出ていて良い。ただ3〜4はペテン師のような胡散臭さを漂わせていてイメージダウン。善人面をしていながら、一癖も二癖もある寝技師、そんなイメージがうまく出ているのは5〜6あたりではなかろうか。

※画像の著作権は株式会社コーエーテクモゲームスに帰属します。

ギャラリー

作画/
祖茂

 


三国志ファンが斬る! 過去に皆さんから寄せられた書き込み、投稿です。

南部

敢えて民を救う為に、愚直と思われようが、中道を行くあの姿勢には頭が下がりますねぇ。徐庶の引止めを進言する孫乾を叱るエピソードが好きです。

goshin

徐庶との別れのシーンは何度読んでも泣けます

阿Q

何だかんだ言っても、自分が一番会ってみたいのがこのお方。
やはり問答無用で惚れてしまうのだろうか…

goshin

「蛟龍の淵に潜むは昇らんがためである」
は座右の銘の一つとしております。(^^;)

紫龍

鳳雛と伏龍を得た時に「謹まねばならん」とくりかえし呟いた。あんな勢いのある時にああいう台詞は普通言えない。

香香

長坂での「自分を慕うこと、あたかも子が親を慕うようなあの領民を、なんで捨てて行かれようぞ。国は人をもって本とす、という。いま玄徳は国を失ったが、その本はなお我に有りといえる」という台詞も。

紫龍

趙雲が阿斗を救い出した後、劉備が趙雲に掛けた言葉も忘れられませぬ。「趙雲のごとき股肱の臣は、またとこの世で得られるものではない。それをこの一小児のために危うく戦死させるところであった。一子はまた生むも得られるが、良き国将はまたと得難い」

南部

反面、彼を慕う領民が苦労するのも事実。また臣下との繋がりが深かった分、新しい人間が入りにくかったのではないかと思われるところも少々マイナス。

哲坊

まあ、何だかんだと言いつつ色々な裏切りをして、それを棚にあげて呂布の事は狼みたいに言って曹操に殺させたり、と隅におけぬこともやっておりますな(笑)。

香香

政治的嗅覚が異様に鋭い。

功明

本当に仁徳の人だったのでしょうか?
案外北方三国志の劉備が,現実に近かったりして。

とらくろ

関羽をあそこまで心酔させた魅力って…
あとホントに耳長かったのかなぁ?と…

ヒラリーマン

いろいろな寸評のある劉備ですが、兵も領土もない彼にとって、人心に訴えるしかないのは、結局サラリーマンの処世術に近い気がする今日このごろです。ただし良い上司っぽくはありますが(笑)

さんじ

偽善者偽善者って、曹操の人気が上がってきたからとたんに劉備を袋叩きにするなんて、あんまりだー。聖人君子じゃなくたって、天下を狙いながら悪行が最低限ないってだけでもスゴイと思うぞ。曹操には無かった暖かさや、へりくだる強さを持ってるし、部下と自分を対等に見れるからみんなあそこまでついて来たんだよ。偽善者の一言で片付けるのはあまりに短慮では? かわいそうだ・・・・・・同士いらっしゃいます?

曹猛徳閣下が、何故戦にも弱く領土も待たない劉備様を敵視なさったのでございましょう。玄徳様は、捕らえられた呂将軍に死を与えるよう曹閣下に進言なさった後、しばらくの間許都に身をおかれております。その間、曹閣下は事あるごとに玄徳様を遊興に誘い、杯を交わし談を交えることを、都における激務の間のささやかな楽しみになさっておいででした。この事が示す通り、乱世の奸雄と恐れられた曹閣下でさえも、その徳に魅せられたのでございます。郭嘉殿は、常々「劉備玄徳は人の下におる人物でございませぬ。御傍におる間に殺してしまいなされ!」と進言されておりました。
そして玄徳様が帝より曹操誅殺の勅命を受けながら、逃げるように許都を去られた際、曹閣下はついにお気づきになられたのでございます。「この俺までも惹きつける劉備の徳こそ、我が覇業における最大の障壁なり」と…

人徳

部下として働くなら劉備の下で働きたい 一生懸命やれば温情をかけてくれそうだ 曹操なら無能ということですぐ殺されそう

落合右狂

腹黒いやつなのに、命を賭けてきれい事を貫く姿勢は立派なものです。三国志の中でこの漢が一番、謎めいていて、掘り下げがいのある人物じゃないかなぁ。

G

いや、確か劉備って曹操並にシビアだったように記憶しているんですが…。使えん奴、一度失敗した奴は2度と使ってなかったような。もしくは失敗した任務を2度と任せなかったり。

だから諸葛孔明の政治手腕は買ってたけど戦面ではまったく期待してなかったし、馬ショクの事も奢る性格だから重要なポジションで使うなと言ってみたり…。とにかく、政治的嗅覚と人物を見る目は鋭かったようです。

アントニオ

臥龍と鳳雛を得たのに・・・。基本的には尊敬する人物ですが、時々アホだな〜と思わずにはいられない。そう言うところが彼の魅力かも知れません。

で〜こう

曹操をもはるかに上回る出世男だと思う。アンチ劉備の三国志ファンも多いが、劉備玄徳なくては三国志そのものがなくなってしまう。曹操も劉備三兄弟がいてはじめてその名が2000年後の島国に知れ渡るほどの有名人になれたといえる。

西華

さまざまな描き方があって一番分かりにくい人物。ただ、新しい人間が入りにくい関係が、確かに良くクローズアップされている気がします。更に蜀の人材不足。このことから彼が本当に徳の高い人物であったのか、と言うことに疑問を抱いています。(カリスマ以外の特徴から、以外に内向的人間だったんじゃ?とも思ってみたり^^;)でも、何が真実であれこれだけエピソードの多い人物も珍しい。やっぱり好きな人物の一人です!

哲坊

まだ書いておりませんでしたが、天性の魅力というと、現代でいえば長嶋茂雄ですな。天然ボケ気味だが実力(実績)はあって、周囲は勝手についてくるし、世間に影響を与えるという面が劉備とそっくりで、なんとなく人物像がしっくりくるように思えます。

トリホー

劉備玄徳は三国志のスーパーヒーローだと思いますが、私が見るにこの玄徳、なかなか魅力的に描かれているとは思えません。なんか無理に曹操と対比して善玉にし過ぎたきらいがある。正義のヒーローを強調しすぎてただの愚直バカになっている。玄徳という男は学問はからっきしダメだし、兵法には疎く、政治やらしてもそのキレの片鱗すら見せない感じだったが断じて関羽のように頑固な泰山の石でもなければ正義バカの張飛とも違う、彼らは玄徳の近侍に過ぎない、玄徳は曹操もが怖れた英雄なのである。

天下に覇をのぞんだ大野心家であり義理や人情といったものに固執する狭量な男ではないのだ。派手好みな人格で狂犬みたいな魏延を好んだり、奇策権謀の士法正を側近にしたりという玄人好みというより子供みたいな気性が彼のカリスマだったのではあるまいか?

玄徳は個人的な才気、能力は曹操ほど恵まれていなかったかも知れないが乱世を生き抜く実力は並々ならぬものがあったに違いない。独裁者的な曹操が単に許せなかった、だから曹操に牙を向いたのではなく俺の覇道の邪魔をするなという感じで曹操と戦ったのでは?

袁の残党

劉備と漢の高祖劉邦はまるで生き写しの様に似ている。劉備と劉邦の共通点を挙げるときりがないほど・・・やはり劉備の行動は劉邦を多少は意識しているのだろうか?

東夷

三国志の主人公だと思います、なんせ曹操や孫権みたいな人は他の時代でもいるけど、これだれ滅茶苦茶で落ち着きのない人生をおくった人はそうはいないはず・・・

閻行

「蒼天航路」で劉備が好きになりました。もともと劉邦が好きだったのですが、演義での劉備のどこが似ているんだろうと思っていました。やっぱり似てると思いました。演義のおりこうさんな劉備は普通人にはあまり好かれないと思います。正史でもそんなによいこには思えないキャラですよねえ。

自分が思っている劉備像は、出世欲はあったけれども曹操や孫権と肩を並べるまでは考えてなかったのではないかと思っています。赤壁あたりをきっかけに勢力をのばしてみたところ、なんか皇帝になっちゃいましたという感じがします。立ち読みした本に、劉備軍団をまとめるため、大義名分として漢朝の復権を目指している関係上、献帝のかわりがいないのでしょうがなく即位したと書いてありました。私もそう思いますし、劉邦もそんな感じだったように思います。したたかで気前のいい中小企業の社長さんが、つぶれないよう社員一丸となってがんばっているうちにすっかり大企業の仲間入りってとこかなと。正史では蜀書が一番面白くよめました。

劉氏

三国志の主人公(!?)ですよ。一応ファンの一人。凄い滅茶苦茶な人生、冠王室復興のためだけに人生注ぎ込んだって感じしますし、落ちぶれていた人が今や英雄と呼ばれる程になったということが素晴らしいです。現代はこんな人いないですよね。こんな人がいたら命を捨ててでもついて行きたい。 (02.9.1)

スダダス

この人は、「三国志演義」でめちゃくちゃカッコよくかかれていますね。日本では、「吉川英治」や「横山光輝」で有名になった人でしょう。テレビ東京のアニメでは、もう非の打ち所のない完璧な人間になってます。実際は、家柄も馬の骨だし、戦いやれば、イリョウのような負け戦を連発してたのが事実です。櫨植に学問教わっても、成果はあまりあがらなかったみたいですし。しかし、臥竜、鳳雛、五虎将軍など、多くの優秀な人間が彼を慕ってついてきたのは紛れもない事実です。蜀の国を作ったってことは、やっぱりすごい人なんでしょうね。(02.9.9)

外天

僕は演義のいかにもって感じの劉備より,正史の奔放でスケールのでかい劉備が好きです。にしても,光栄の劉備に対する評価は低いと思いませんか?(02.11.15)

哲坊

ご意見もっともです。ただ、あまり能力が高いと「劉備らしさ」が薄れるのでは? 「頼りなさ」がこの人の魅力でもあるし、自分の能力よりも、優秀な配下をいかにうまく使いこなすかが、劉備をシミュレートすることになるかと思います。今もそこそこ優秀な能力ですし、逆にこれ以上劉備の能力が上がれば私にとっては不本意です。(02.11.15)

外天

う〜むなるほど。確かにおっしゃるとおりです。だからこそ高祖の風あり,という訳ですね。まあ劉備は劉邦とちがって自分である程度こなす能力もありますよね。その点でいえば,劉邦よりは優れていた(彼並のカリスマもそなえていたし)んじゃないかと。ただ劉邦とちがうのは,天が,時代が味方しなかった,ということではないでしょうか。 (02.11.30)

ジャンルイジ

演義で趙雲に阿斗を助けてもらった時の言い方は少し酷い気が・・・趙雲は優秀と誉めてるのは別に文句はないんですが
「一子はまた生むも得られるが、良き国将はまたと得難い」というセリフは我が子を叩き付けていうセリフはかなり彼の人間性が問われる気が・・・まあ当時の価値観では違うかもしれないんでしょうが。でも演義でわがまま連発の彼は愛らしいですな。 (02.11.30)

くどいぞ陳宮

劉備に関して色々と諸説がありますが、私的に劉備は結構したたかで軍略家ではないかと思ってます。なんと言っても、最期の際、孔明に皇帝の位を勧めるくだりなど、一世一代の大演出だったのではないでしょうか。さすがに孔明も趙雲ら関興ら忠臣のいるあの場所で「はい、そうさせていただきます」とは言えないでしょうしね。(02.11.30)

昭烈亭

はじめまして。私は大の劉備ファンです。確かに偽善的な一面もあり、才能も決していい物だとは思いませんが、出来ない子ほど可愛いと言うように、何故か人に好かれてそして恐れられる人柄はすばらしいです。ただ一点。献帝劉協が魏王に帝位を奪われたときに彼を押し立てて大漢帝国を再興したらもっと良かったと考えているのは私だけ? (02.11.30)

昭烈亭

今日、本屋で柘植久慶の「逆撃三国志」を立ち読みしましたけど、そこで劉備の事を主人公が「天下人の器ではない」の他に色々と劉備に対する感想がでてきまして全てが悪いイメージしか持てないものでした。いくら小説とはいえ、そういうもので私って結構腹が立つので直ぐにでもこの本破ろうかとおもいました(もちろんしませんでしたけど)。確かに腹黒そうな一面や等がありますけど、最近は劉備に対する評が悪い方にばかり進んでいるのは悲しい限りです。それでも劉備が好きだという私がいるからやはり劉備とは不思議な方だなと思います。(02.12.14)

オジオン

何もかにも恵まれない境遇から、ひたすら野心的にトップを目指した「身の程知らず」な男。誰ぞの一部将として安穏な生涯を終える選択肢もあっただろうに・・・それでも、名門権門の群雄達が次々と脱落していった過酷な「三國志レース」で最下位ながらも見事に完走。途中何度も挫けそうになっただろうけど、倒れるたびにより大きくなって立ち上がって行く姿にはただただ感銘を覚えます。そういう意味で、私にとっては「素敵な身の程知らず」です。(03.1.6)

頴娃

三国志の主人公の一人ですね。演義の影響が強すぎるので、なかなか義侠な彼のイメージが湧けません。「蒼天航路」の劉備はすごいですね〜。今までのイメージ像が少し崩れました(笑)  (03.2.5)

史進

演義の劉備は興ざめですね。ちゃんと仁というものを勉強して欲しいものです。しかしながらやはり魅力はダントツですね。実際どういう人物だったかつかみにくいからそれぞれの劉備像があるし。私は純朴な人ではなく顔のたくさんある人だったと思います (03.4.5)

デンホー大臣

私としては劉封が蜀漢の皇帝となって欲しかったのですが劉備は惜しい事をしてしまいましたね。確かに罪人は処罰しないといけないものですが、優秀だった成人の子息を処刑してしまうと後に残るのはバカ(劉禅)と小さい劉理と劉永だけ。彼を処刑してしまった事が劉家の弱体化につながったのではないでしょうか。たとえ皇帝になれなくても「良い義兄」として蜀を長持ちさせたのではないかと思いますね。・・・というわけで劉封の処刑は大きいミスだったのです。劉封のページ作ってもらえませんか? (03.6.23)

哲坊

リクエスト、沢山いただいておりますが、なかなか新規に人物を追加する時間が取れません。申し訳ない!(03.6.23)

小鳥さん

『孫子』の火攻篇で、「君主は怒りや私情に任せて戦争をしてはいけない」とありましたがもし関羽が殺されてしまったときにこの言葉が劉備の頭の中にあったら張飛も劉備ももっと長生きしていたと思います…切ないです。あとこれは張飛のところで書こうかどうか迷いましたが…張飛が酒に酔っ払って城を奪われ、劉備の所に行くシーンがありますがあそこの部分はどの本で見ても泣きそうになります。本当に泣くときもあります。いいですよねあの場面は…。城を奪われた上に妻子まで置いてきぼりにしたっていうのに「妻子は衣服だから破れてもまた繕うことができるが、兄弟は手足であり切ったら元通りに直すことができない」と言い張飛を許す劉備のあの寛大さ…。普通なら怒って打ち首にしますよ、絶対。(03.6.23)

青兎馬

呂布が処刑される時、「この大耳野郎!お前が一番信用ならんわ!!!」と言われてるのには・・・。(笑) 確かに劉備は信用なりません。魅力が高いのは納得できますがゲームで義理が高いってはどうも納得できない部分です。横山光輝さんの三国志で関興と張苞の活躍に「虎の父に、犬の子は生まれぬものじゃ!」と劉禅の父である自分の首を締めるような言葉が笑えます。さすがに劉備はすごい人だと思いますけどね。(03.6.23)

哲坊

ゲームもそうですが、NHK「その時歴史が動いた」など三国志を取り上げるテレビ番組。未だに劉備や孔明ばかりが必要以上に美化され、聖人君子みたいに描かれることが多く、いい加減うんざりしますな。もちろん、自分は劉備や孔明は好きですが、もう少し他の人物にスポットを当てるとか、新たな解釈や異説を取り上げてほしいものです。(03.6.23)

諏訪四郎

劉備は戦が上手く、三国時代でもトップクラスに入ると思いますよ。確かにイリョウとかで相当負けてるけど相手は曹操、曹仁、陸遜など超一級の将軍たちばかり。これで戦下手とはいえないでしょう。漢中でも曹操に勝ってるしなんと言っても黄巾時代から身一つで義勇軍としてやってきて最後まで生き残ったことを考えると…まあ確かにイリョウは痛すぎますけどね。まあ確かに偽善者かもしれませんがそんな劉備も好きですね。 (03.9.23)

鉄観音

面白い人物ですよね。仁君と言われたり、食わせ者と言われたり。人徳以外に飛び抜けた物を持たないとされてますが、しかし最終的には皇帝になったことから、並みの人物でなかったことは確かでしょう。ゲームで処世術というパラメータがあったら、間違いなく彼が最高値だと思います。 (03.9.23)

T.T

劉備玄徳という人物ほど、実像は、『正史三国志』『蜀書先主伝』『十八史略』によって、記述の大部分が美化されたものであり、全然当てにならないものなのではないでしょうか。つまり、このことは、他の人物にも当て嵌まる事でしょう。要は、「三国志のラビリンス(迷宮)」の中に、皆様方は、陥っている様な感じがいたします。いかかがでしょうか。しかも、中国の三国時代とは、日本で弥生時代と呼ばれていた頃です。本当に『三国志演義』に描かれている、あんな華麗なる時代が存在したのでしょうか。(04.7.19)

哲坊

では、T.T 殿が考える劉備像、三国時代とはどんなものでしょうか? そうやって達観されてしまうと、このホームページはおろか、三国志を扱ったメディアはすべて「当てにならない」し、存在意義が亡くなってしまうではありませんか(笑)。

もちろん、1800年も昔の真実など、誰にもわかりません。しかし、それを「実像はわからない」と投げ出すよりも、皆で検証し推論したりする方が楽しいし、有意義なことであると思います。また、中国の三国時代に書かれた文献(魏志倭人伝)によって、日本には「邪馬台国」という国が存在していたらしいことも明らかになっています。それがなければ当時の日本の様子すら、更なる歴史の闇に埋もれていたかもしれませんぞ。(04.7.19)

一人三国志

劉備って実は呂布並の武勇の人だったのではないでしょうか? 名門とは言えない家に生まれて(中山靖王劉勝の末裔とかいいますが、近い先祖に有名な人がいないだけです。例えば、私は藤原秀郷の末裔なのですが、そんな人は日本全国に何十万人もいますからね)関羽、張飛のような弟分がいて、傭兵軍団を率いて、袁家や劉家などの助っ人稼業をしていたのですから、演義に書かれているような三蔵法師みたいな劉備で、あの荒くれ傭兵軍団を束ねることが出来るのかと不安に感じます。

戦に弱いという記述も本当かな?と思います。それは、戦ってる相手が、曹操・呂布・袁術とかの大勢力ですからね。実際最強だった曹操だって、戦闘レベルでは袁術や呂布に散々やられてますし、戦術など関係ない傭兵軍団時代の劉備が一戦闘で負けても、死なない自体、劉備の武勇は優れていると思います。領地を得てからは殆ど負け知らずですし(諸葛亮がいたからではないですし)大きな負けは夷陵の戦いくらいですからね。どうも、劉備の手柄は、武勇は張飛、知略は諸葛亮に取られて可哀相だなと思います。(04.8.18)

天神

正史から三国志の世界に入った私は幼少の頃、童話のこうもりのような劉備が嫌いでした。また、演義では劉備=正義(偽善)、曹操=悪と言う図式が許せなく、その為友達と三国志議論をすると喧嘩になったものです。(あの頃は若かったな…)あれから15年、時間と言うものは人を成長させるもので自分が年を重ね社会でもまれていると、あれだけの大風呂敷をたたまず「夢は信じれば必ず叶う」という子供の頃持っていた純粋な気持ちを持ちつづけその一方で、泥臭い処世術をやってのける難しさを痛感します。この絶妙なバランスこそ劉備の魅力であり、劉備のカリスマ性ではないでしょうか?

また、人物評というものは、10人いれば10人の答えがあるように演義の脚色や解釈も1つの考えだと思えるようになり、劉備はとても魅力のある人物だと思えるようになりましたし、劉備もまた曹操らと同様の英雄であり、偉人であると思いますがどうでしょう?(曹操には負けますが) (04.10.3)

一騎当千

この時代聖人君子で生き残れるはずがないので、このことに関して劉備の魅力を下げるものではないと思います。しかしながら劉備にはやはり戦略眼は欠けていたと思います。大将に戦略眼が欠けてるって致命的だとは思いますが。。。それと孔明一人に蜀の機構を任せたのも君主としてはマイナスですね。総合的に見ると君主としては…ですかね。(04.11.1)

ぺこ

横山三国志では序盤、「雌雄一対の剣が皇帝の子孫の証」みたいだったのに二刀流で戦うこともなく、いつのまにか話題にすら上ってこないことが残念。(05.3.16)

keta

ぺこさん、横山三国志で二刀流出てますよ。虎牢関で呂布と戦った時だけですが使ってました。(05.7.11)

へっぽこエース

自称皇族である以外、実質的に「庶民」からのスタートを考えると、のし上がりっぷりは三国志中随一でしょう。(曹操は名門ではなかったかもしれないけど金と知名度はあったし、孫一族は一応役人で3代大物が続いてですし)

各勢力の間隙を縫って名と実力を得たが、勢力として名乗れる頃には曹操が既に大勢を決してしまっていたので勝者にはなれず・・・惜しい。董承らの曹操暗殺計画に巻き込まれて曹操と終生敵対しましたが、もしなかったら、意外と魏将として名を馳せた・・・ではなく、やっぱり粛清されるか、その前に造反か。(05.7.11)

神無崖縁

仁君なのに腹黒、頼った国はみんな滅亡or傘下(呉を除く)。やってることは癌かヤクザなのにみんなが大好き。そんな不思議な劉備が大好きだ(好きといってしまった時点で自分も劉備マジックにかかってしまっている)。でも、不思議と周りに好かれていたからこそ国も持ってないころから曹操は英雄だと思っていたのだとも思えますね。なんだかんだいっても劉備様はスゴイ人ですよ(笑) (05.7.11)

u-ga

三国志を知ったのは小学生の頃。そのとき見た本(というか、漫画)は演義ベースで、劉備が主役のものでした。そのときの私の感想は「何だ、この支離滅裂で胡散臭いおっさん」でした。そしてソレは今でも変わりません(笑)。平原で役人を叩くわ(いや、これはいいか)、偽善・独善的発言を我侭のように言い続け、世話になった曹操を平然と裏切り、袁紹陣営での凄まじい疫病神っぷり、国の乗っ取り(劉ショウの蜀)をする。なんなんだ、このおっさん、と子供心に思ったものです(笑)。よく「曹操だって同じようなことしてるじゃん」とか言いますが、曹操は偽善も独善もなく、ただ一直線に、最短の道のりで天下平定の道を突っ走っていった、という感じがします。

善悪など顧みないという感じでしょうか。劉備は綺麗ごとを言いながらあくどい事をする、というのが・・・・・。日本の戦国時代で言えば家康みたいな人ですよね、何か。君主としての能力は次第点といったところですが、地位もなく、拠るべき地盤も晩年まで持てず、それでも多くの人(敵味方問わず)を引き付けた劉備。何だかんだ言っても、凄い人だったのかな、とも思っています。 (05.11.12)

無双天神

最近、三国志ファンの間でも劉備が非難されることがあるようで・・・。はっきりいって疑問に思っています。なぜ今更彼の性格が演義と対照(?)だったからといって非難される必要があるのでしょうか。彼は曹操のように勝率八割の化け物でもなく、孫権みたいに内治の功があるわけでもない。寧ろ荊州問題や夷陵の戦いについては、彼の外交手腕が問われることになります。

然し、「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉があり董卓がこれにあたり彼は結構非難を浴びています。判官びいきかも知れないですが劉備は悪貨に駆逐されることなく、千八百年間、中国人の心に焼き付いています。今、我ら日本人は悪貨を掘り当て、良貨を埋めようとしているのでしょうか。無論彼は全て善行に沿ったかというと「違う」といえます、とはいえ彼が悪人というのは甚だ腹立たしい。主人公として劉備は善人になれても曹操は善人になれません、これを今更劉備に悪人になられるのは曹操好きとして許せません。彼が今でも中国人の心の片隅にあるのはただひとえに彼の大業と人心の賜物でしょう。悪行に侵されず、善行を知らしめるのもこれひとえに英雄の一要素だと思います。(05.11.12)

李嗣源

劉備の益州攻めは昔は非難の的になってたそうです。私は劉備が好きだったのですが三国志演義を読んで曹操が好きになり劉備が嫌いになった。中国の歴史を調べてみると三国志の時代は大した人物がいないように思えてくる(特に武官)、物語としては最高に面白いが。でも中国では楊家将や隋唐演義、岳飛伝の方が何故か人気あるんですよね。(05.11.12)

はる

こんにちは。劉備といえば三国志演義の主人公ですが私も正史との差に愕然とした事があります。劉備の若い頃の性格?といえば無口で無表情で穏やか〜な人だったんですよね・・・それで趣味は狩猟、おしゃれとかで、勉強嫌いだったそうですが、よくそれで一国の君主になれたなぁと感心したものです。私も蒼天航路の劉備は大好きです。最初に読んだのは15巻だったのですが、劉ヘキの言葉でやっと劉備とわかりました・・・。しかしそれ以来「蒼天空路」が好きになって後ろから順に買っています。劉備という人は魅力的ですね、本当に。まるで砂場から磁石が砂鉄をすっていくようにみんな劉備の魅力にひかれていきますね。劉元起おじさんの「我が一族でもあの子はずばぬけている」という言葉からも劉備の頭のよさではない何かをかっていたんだな、とも思いました。 (05.11.12)

のどか

こんにちは。私がまだ、三国志の「さ」の字も知らなかった時、友達に、ゲームや本などを見せてもらい、だんだん三国志がどんなものか分かってきました。その友達は、劉備さんが好きだと言っていましたので、ゲームで劉備さんを見せてもらいました。劉備さんは背が少し小さいけれど、剣で戦うシーンや、桃園での誓いのムービーを見てすごくカッコイイ登場人物だと思いました。でも、劉備さんは、耳や腕がすごく長かったとか・・・?本当にそんなに長いのでしょうか?あまりよく分からないので、いろいろなエピソードを教えてください!!(05.12.26)

哲坊

のどか殿、こんにちは。昔からの記録や言い伝えで、劉備は背が高く、耳が大きく、腕が長かったといわれています。といっても、2000年近くも昔の人ですから、本当かどうかはだれにもわかりません。それをあれこれ想像するのも面白いでしょう。ゲームだけではなく、いろいろな漫画や小説を読んでみると、もっともっと良くわかると思いますよ。(05.12.26)

無双天神

劉備って、曹操や孫権と較べると珍しく女性に踊らされる記述がなかった人ですよね。曹操は雛氏を欲して張繍に大敗、孫権は母に取り仕切られたり晩年の後継者争いでも女性が関わりましたし。その点劉備は未練がないのか(笑)夫人を顧みることなく長坂で逃げていたりしますし。

「英雄、色を好む」なんて言葉がありますが彼こそ真の英雄ではないでしょうか?関羽・張飛どころか諸葛亮すら見切りをつけて寝返らなかったのだからやはり英雄でしょう。演義の彼よりも正史の彼の方がやはり人徳・仁義を心得ていると思います。(06.8.16)

常敗将軍

裏切りを繰り返して生き延び、叩かれても叩かれても這い上がって来る実にしぶとい男。血の気が多く滅法戦争好き、魏軍を破る金星があるかと思えば、陸遜に大敗を喫する不安定さもある。喜怒を表に現さず、チャラチャラと外見を着飾る伊達者。民が慕ってついて来た時は、「見捨てるには忍びない」などと言って格好つけたがる嫌味な男。董承の曹操暗殺計画に参加するまでは、別に志も理念もなく、各地の群雄の間をウロウロとしていただけ、その癖曹操とその幕僚、周瑜、魯粛といった当代一流の男たちから英雄と目される不思議な魅力を持つ男。曹操に匹敵するほど多面性を持つ不可解な人物。

演技の偽善ぶり、正義漢ぶりはむしろ退屈。正史の劉備の不気味さにこそ、自分は惹きつけられる。部下に対しての思いやりは深い。夷陵の戦いで呉軍に退路を封じられ、やむを得ず魏に降伏した黄権に対し、官吏が妻子を処刑しようとすると、「黄権が私に背いたのではない。私が黄権に背いたのだ。」と言って不問にするあたり、並の男では吐けない劉備の台詞に痺れます。 (06.8.16)

ボスコ

劉備の魅力。やっぱり国のことを投げ出してでも関羽の敵討ちに行ってしまう熱い漢の魂の叫びがみんなの心を打つんですよね。そもそも本来の劉備玄徳という人と蜀皇帝という立場が相容れないものだったのだと思います。こういう人だったから蜀の建国もあったし、夷陵の大敗もあったと思います。諸葛孔明も趙雲も建国に功があったからこそ劉備の気持ちをわかっているゆえにとめられなかったんだろうと思います。

また、張飛が「関羽の敵を討ちに行こう」と言ってる描写が横山氏の作品にありますが二人で手を取り合っている姿を見たらもはや誰もどうしようも無かっただろうと思います。ここで冷静に考えてしまうと劉備の心が先に死んでしまったのかもしれません。結果は大敗して国民に多大な迷惑をかけて、無念を晴らせないまま失意のうちに亡くなられました。しかし、これがなければ劉備らしくないんだと思います。孫権に勝っていたら熱い漢としての劉備の名前が残ったんだろうと思います。(06.8.16)

ルピナス

一騎当千さんへ。劉備は諸葛亮以外にも李厳を旧蜀将の代表として後のことをまかせています。まあ曹叡が司馬懿の他に抑え役として曹爽を後見者を選んだのと似たような感じなのでしょうが。劉備の耳は自分の目で見えるほど大きく、腕は膝に届くほど長い、口数少なく、無表情という特徴は誇張されているのでしょうが、実際、福耳で腕が長めで、普段は落ち着いた感じだったのでしょう。私の劉備像は何事にも天才ではないが一流。人を過大評価することがなければ、過小に評価もしない。飄々とした、食わせ物といった感じでしょうか。(06.8.16)

アミーゴ

劉邦を彷彿とさせる「偉大なる無能」劉備。光栄の能力は(魅力以外)ちょっと高すぎるかな。演義の劉備は人間味が無いけれど正史の彼は気風の良い親分肌。蒼天航路の作者も言っていましたが、後世に創られた人物像に塗り固められた劉備はかわいそう。(06.8.16)

峰徳森山

彼の人材登用は曹操や孫権と比較すると実に巧妙ですね。曹操は功績のある部下を評価しても曹一族・夏侯一族を凌ぐ恩賞や官位は与えなかったと思います。孫権の場合は典型的な適材適所の感があります。劉備の場合は曹操や孫権と違って大胆で、部下が結果を出す前に当の本人が予想もしない重要なポスト(官位)を与えて、それに見合った結果を出させる人事だと思います。

主な例を挙げれば魏延、劉巴、法正、李厳ではないでしょうか。その上、馬ショクを重要な場面で用いるのは危険であると諸葛亮に忠告したり。凄まじい人物眼を持っていると思います。また戦に於いても劉備=負け戦みたいな見方をされているが危険な敗北を喫したのは曹操、陸孫、呂布くらいでは?彼らの様な化け物に負けても死ななかったのは特筆に価すべきでしょう。負けて恥ずかしい相手ではないと思います。

そもそも公孫サン、陶謙、呂布、曹操、袁紹、劉表と渡り歩いた先々でVIP待遇でしたから戦闘集団としての評価は当時としては高かったと思います。追い詰められて色気を感じさせる左将軍(艶)、積年の強敵を退けた漢中王(喜)、愛する義弟達の為に敗北に殉じる昭烈帝(愁)。そんな劉備玄徳が大好きです。(06.8.16)

今典厩

景帝の子孫というのが本当なら演義の方向性も間違っていないとも思えますが・・・演義が書かれた当初では子孫であることが周知の事実だった!!時代を経ることによって忘れ去られたのでは?と妄想をはじめるのは私だけでしょうか?能力については曹操に及ばないとはっきり書かれているのでこのくらいでしょうが、傭兵隊長としての実績として(ゲームの)武力80突破を提案したいです。06.10.23

晴天回路

近年はこれまでの聖人君子像への反動なのか、批判されることも多いですが、やはりムシロ売り(本当かどうかはわかりませんが)から皇帝にまで上り詰めたこの人は凄い。武将、君主としての能力はさておき、歴史上の大人物であることには変わりと思います。07.3.7

カンヌ

莚売りから皇帝へ。まさに中国版豊臣秀吉とでも言えましょうか。飛びぬけているものは持ってはいないものの苦境を乗り切る粘っこさと不思議と人を惹きつける魅力。蒼天航路のようなヤクザの親分だったのか演義のようなただの良い人だったのかはわかりませんが当時の人からは人気があった、故にあそこまで成りあがれたのでしょう。

また人を見る目は確かでその面では曹操にも勝るとも劣らないと思います。ゲームでの能力はもう少し戦闘関係(知力以外)を高くしても良いかなと思いますね。蒼天航路の彼は自分で自分は良い人じゃないと言い切っちゃうという大胆なことをする愛すべきうつけ者です。08.2.13

晋の士氏

劉備は戦はうまいほうだと思います。大敗した相手は曹操、陸遜ぐらいであとはそれほど大きな負けはしてないような気がします。劉表での荊州の問題も諸葛亮の言うとうりにしていれば蔡冒らが曹操に通じてただろうし、夷陵での敗戦へつながる荊州出兵も蜀軍の幕僚に荊州出身者が結構いたのでいたしかたがなかったことだと思います。諸葛亮の言うとうりにしていたら蜀は内紛が起こっていたように思います。08.2.13

天下夢想

三国時代、最悪最強の天才詐欺師。公孫サンを見限り、陶謙に取り入り、呂布に許しを乞い、曹操に泣きつき呂布を討たせ、董承の暗殺計画に乗って曹操の命を狙い、ばれる直前に董承を見捨てて逃げ出し、徐州で独立を果たすも、曹操の怒涛の襲来の知らせに家族と部下を捨てて逃亡、袁紹のもとに身をよせ、袁紹を曹操にけしかける。

そして自分だけは別働部隊として南方に転戦、曹仁に敗れ劉表の下へ。赤壁の戦いでは孫権軍に正面で戦わせ、勝敗の帰趨が決するまで傍観。その後、敗戦で撤退する曹軍をボッコボコ。積年の恨みをちゃっかり晴らして荊州を強奪。「益州を取ったら荊州返す」と言葉だけの口約束。同族の劉璋もまんまと騙して、彼の国 益州の乗っ取り大成功♪ 蜀を取っちまえばこっちの物。

「約束?何それ?知らねーじゃ後は孔明君と魯粛君、よろしく♪」 そんなこんなで彼は漢中王になったのでした。めでたしめでたし♪ 詐欺師としてはぶっちゃけ呂布なんか相手じゃないよ。演戯の『仁徳の人』よりこっちの方が魅力を感じるのは僕だけでしょうか。08.2.13

りょーま

個人の能力は息子と同じで無に等しいが、優秀な部下を集める人徳は天下人に相応しい。何しろ流浪の身から孔明を得て劇的に変わったのだから、三顧の礼をする謙虚さが彼の最大の自身への功績だろう。能力があり過ぎる曹操とは対極である。11.11.9

masu-tonbodama

劉備。この人はどうも、曹操と比べてしまうのです。一言で言えば、情けのある人。自分に良くしてくれたのに、呂伯奢と彼の家族を殺害したことは、曹操の冷酷さを表すところで、まるで日本の織田信長的です。これが、劉備だったら、多分きちんと謝っているのではないかと思います。曹操は、武将としての冷酷さがあるけど、道徳がない。でも劉備は逆で、武将としての冷酷さがないけど、道徳や人情があった気がします。だから張飛の失敗も許せたのでしょうね。 11.11.9

焼肉停職

根っからなのか、それとも上辺だけだったのか、どちらにせよ「表向き・聖人君主」を演じきった事は間違いないですな。まぁ、ある意味生粋の武人で、現場の叩上げで、戦を「理論」ではなく「肌で空気を感じる」タイプだったんかなと。そういった人だったからこそ、関羽や張飛を筆頭に、龐統や魏延、法正といったアクの強い個性を惹きつけ・束ねられたのかなと思える訳で。11.11.9

山野井

わが子より部下を思いやる性格だったと聞いていますが、本当だったんですね。みんなを優しくしてあげる寛大さを見せるシーンが私感激して本当に泣けます・・・。私にしていてい言えば、もっとながいきしてほしかっ・・・劉備玄徳・・・。11.11.9

 

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