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王平(おうへい) 勇猛愚直な補佐役 字(あざな)/子均 生没年/?〜248年 巴西郡宕渠(とうきょ)出身 |
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能力検証 武 勇 ■ ■ 8 一騎討ちの実績は少ないが、張コウを相手にして一歩も退かぬどころか、優勢に打ち合っている。また、兵を率いても、街亭で敗れて壊乱した蜀軍を支え、見事な退却戦を演じるなど見るべき物がある 魏を裏切ったためか、正史では疑い強く、心が狭く、軽はずみな性格と、かなり貶められている。だが実際の行動を見る限りは、あまり目立たず、よく法を守り、尊敬する人物の命令に忠実に従う。そんな愚直さが垣間見える男である 充分な教育を受けられなかったために学はなく、文字も十文字ほどしか書けなかった。しかし、豊富な実戦経験でそれをカバーしている。機転も利いたのだろう 戦 術 ■ 7 知 略 7 カリスマ 6 人 望 ■ ■ 6 外 交 2 内 政 ■ ■ 4 |
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228 街亭 |
VS張コウ(曹叡軍) |
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乱戦の中数十合打ち合うが勝負つかず。味方の手勢が少なくなった張コウが退いた |
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★通算1戦 1引き分け |
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三国志ファンが斬る! 王平評 |
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六波羅文乃 殿 |
黄権や張嶷あたりと同じ伝にたてられてますね。いぶし銀な人たちです。さて王平ですが、確かに知将って感じがします。ゲームでの知力上昇も納得・・・。『史記』や『漢書』を耳で聞いてしっかり理解してる辺り、知力の高さがうかがえます。まあ正史に描かれている性格は生真面目で一直線ゆえの欠点って事で、これで彼の勇姿が損なわれることはないでしょう。(03.8.18) |
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デンホー大臣 |
コーエー三国志を見ていつも思うのですが、中堅クラスの武将なのに政治力が50ぐらいあるというパターンが多いです。この王平もその一人で、哲坊殿の評価とは違って政治力が将にしては高いです。さて王平についてですが、彼も忠実な仕事人という感じで馬岱と同じような感じがありますね。とくに街亭の時の王平と魏延謀反の時の馬岱は忠実さが印象強く描かれておりかっこいいです。王平の能力としては忙牙長(毛獲軍)を倒す事が出来なかった(後に馬岱が倒す)のでもう少し武力が低くても良いと思います。(03.8.18) |
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鉄木人 殿 |
まさに現場第一主義の武人だったと思います。今ふうにいえば「戦は机上でおきてるんじゃない!現場でおきてるんだ!」ということでしょうか?どこにでもいる現場を見ない管理職の奴等も見習ってほしいくらいです。(03.8.18) |
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キクギ 殿 |
蜀漢最後の名将と言っても過言でない武将。馬ショクもコイツの言うことを聞いていれば敗北はなかったのに…。ゲームでの評価が少し低い気が。魅力の低さは陳寿のせい。性格は記述と全く違うはず。じゃなきゃ街亭のあの行動は取れない。生きた時代がもっと速ければ良かったのに。(03.8.18) |
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悠 殿 |
街亭で馬ショクが諸葛亮の命令を聞かずに山頂に布陣したときに最低限の損害で退却させたのは見事。しかし徐晃との仲違いという理由だけで敵国に降るのは、評価できない。(03.8.18) |
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イカ 殿 |
お気に入り武将の1人です。魏を裏切った、私はあれで良いのだと思います。彼は蜀でしか活躍できない、と言ったイメージがありますので(笑)。「三國志I」の頃は本当に使えませんでした(;。;) 段々と能力が上がって行き、VIIIでは君主としてやってみました。いや〜彼は稀代の名将だと思うので今後の能力上昇に期待します(笑) (03.8.18) |
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元直子均 殿 |
私が思うに、王平は姜維と並び、「魏から降った役立つ武将」に入ると思いますね。漢中制圧でも、もし王平が徐晃と仲違いして降らなかったら、もっと苦労していたでしょう。こういうのでは、蜀好きの私は徐晃に感謝してますね。「無双」で、4が発売するなら王平がいると良いな。 (03.8.18) |
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肯定袁術 殿 |
彼こそ、「学問の有無と有能さは比例しない」という法則?の好例でしょう。ただ、ゲームでの評価は「蜀」というブランドについていただけで過大評価な気がします。王平の知力を80代にまで上げてしまうと、他の文官の立場までなくなってしまいます。もし上げるなら統率を上げてもらいたい。それに、いくら敵国の人間だったからといっても敢えて悪く書くのはやめてもらいたいといつも思う。ちなみに中華の英雄関羽も魏から見たら「賊師関羽」(賀捷表より) (03.8.18) |
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デンホー大臣 殿 |
私は横山三国志ぐらいしか読んだ事がないのですが、あの名将徐晃がなぜ王平を突き放したのかと思います。確か徐晃が漢中で負けている時に副将だった王平が援軍を出さずにひたすら陣地を守り続けていた、でした。徐晃だったら経験も豊富ですし分かるだろうと思っていたのですが・・・まぁそれで蜀に降ったのが王平にとって幸せだったら良いのですがね。諸葛亮にもそれなりに信頼されていたようですし。(03.9.23) |
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哲坊 |
義理堅そうな彼が、魏に降ったのをいぶかしむ人もいるようですな。その理由ですが、彼は身(生命)の危険を感じたからではないでしょうか。副将が大将に逆らったら、死罪ということも有り得ますからな。それほど、彼にとってはヤバい状況だったのかもしれません。徐晃も名将ではありますが、性格の不一致はどうしょうもないですから。(03.9.23) |
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那鈴 殿 |
この人は知力80代前半は必要だと思います。蜀の人物に不足していた"戦略眼”に優れた人物でしたから。 張コウ戦や、曹爽戦を見る限り、張コウや曹爽をも凌ぐ知力の持ち主だと思います。 9の評価でも過小評価だと思います。(03.10.11) |
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破壊豚 殿 |
字の読める部下に書物を読ませて勉強したというエピソードが涙を誘います。しかし、ネーミング、エピソードから発散させる中堅臭はぬぐえませんね。 (03.11.30) |
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キクギ 殿 |
机上の論理のみで闘おうとした馬謖と、戦場の臭い、空気を読み、独自の理念に基づいて作戦を立てた王平。どちらが実戦に役に立つか。これは現代にも言えることかもしれませんね。 (04.4.13) |
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韋孝寛 殿 |
(ゲームで)知力が高すぎる。文字は10字しか知らず、知略を示す働きも無いのになぜ知力が高いのか? 王平の真価は戦場にあるので、知力を落として統率と武力を挙げるべき。軍師・王平より、やはりいぶし銀の前線指揮官・王平という方向で行って欲しい。(04.7.19) |
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ACE 殿 |
王平は街亭も然ることながら呉懿の死後、漢中太守として約10年間も対魏最前線を守り抜いた、これはかなり評価してもいいかと…かなり優秀な前線指揮官だと思う。統率力はかなりのものだと思いますね。(04.8.18) |
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コタツ 殿 |
街亭では、彼と馬ショクの立場が逆だったら・・・なんて良く言われていますね。もし彼が麓に残っていなかったら(≒馬ショクが死んでしまったら)諸葛亮はどう責任を取るつもりだったんでしょうか? (05.3.18) |
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ボブマスター 殿 |
私も六波羅文乃サンたちが仰るとおりの性格ではなかったと思います。そうすると実際の行動と合わないので。ただ、黙っていると一日中正座しているような事もあり、大よそ武人には見えなかったとありますね。演義では徐晃との仲違いが原因とされていますが。正史の方では単純に下っているようですね。降将なのに位も上がっていることから。帰順という方が近いかもしれません。 政治力は漢中太守になってから没するまで統治を失敗せず、要所を治めていたことから目立つほどではないが、そつなくこなしていたのでこれくらいの能力(50程度)はあるんだと思います。知略は実戦経験から来るものを評価するのか、計略や策謀を評価するのかで分かれますね。漢中に押し寄せた曹爽軍10万に対して、3万で打って出て翻弄し撤退に至らしめたと事もあることから。実戦経験による戦術眼はあったのだと思います。(05.11.12) |
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那鈴 殿 |
韋孝寛 殿、果たして「教養が無い=知力が低い」 なのでしょうか? 私の基準で言わせてもらいますと、詩を書くことによって名前を残した曹植、孔子の子孫である孔融、諸葛亮お気に入りの馬ショクらインテリ組よりも、字は知らなかった(教養は無かった)けど、確たる戦略眼を持ち、張コウや曹爽の動きを読み、見事に撤退させた王平の方が、三国志という時代においては、知力が高いと思うのですが。 文官は、ある程度の政治力が保証されていますから、「文官=知力が高い」という考え方はどうかと思います。「軍を率いる能力=統率力」、「戦略眼=知力」だと思います。だから、私としては、彼に関しては知力>統率だと思うんですけどね。 「軍を率いて敵を打ち破る」というよりは、「的確な判断力を持って敵を退ける」人物だと思うので。統率は70代後半でもいいので、知力は80代前半欲しいです。(06.3.21) |
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無双天神 殿 |
同じく無学時代の呂蒙は後の人格者ぶりとは違いかなり粗暴だった様ですから、陳寿が書いた王平の性格もあながち嘘ではないかもしれませんね。しかし彼の父が馬謖の死刑に連座し処罰されたと考えると街亭で戦功があった王平が憎かったのかも知れない、ありえない話ですが・・・。(06.3.21) |
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はる 殿 |
一方的な意見かもしれませんが、私はこの頑張り屋さんが大好きです。私の印象では知勇兼備の趙雲と面影が重なる感じです。やはり百戦錬磨という感じとその能力が垣間見えるのが街亭のときでしょうか。諸葛亮は、馬ショクを指名しながらもさりげなく、「この人なら大丈夫」と王平を補佐につけたのだと思います。目立たない割には個性が光る人だとおもいますが。(06.4.8) |
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峰徳森山 殿 |
「軍中で育った為、文字も十字しか書けず口述で文書を作成したが、全て筋が通っていた。史記や漢書を部下に読ませ内容は十分把握しており、その二書について論評しても本筋から外れなかった」という正史の記録から、知力も高い人物である事が理解できます。 しかし、いやしくも一軍を率いる将が(諸葛亮北伐時は結構重要な将なのでは?)文字を知らないというのは問題ですね。きっと機密文書の作成や閲覧の時も部下に頼ったのでしょう。その部下が機密を敵に売ったらどうするつもりなのか。この人もある意味では馬ショクと同様、重く用いるには危険人物だと思います。そんな人物が魏延の死後、鎮北将軍・漢中太守に任官する所からして蜀政権はかなりの末期症状だったのでしょう。(06.8.16) |
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