陸 遜(りくそん)

呉軍の秘密兵器


(あざな)伯言(はくげん) 
生没年/183年〜245年(62才) 身長/不明

通称「白面の書生」 勝ち運

祖茂殿作画

 能力検証

武 勇

5

 

 

 

 

 

若いころは異民族討伐で経験を積む。若年ながら指揮をとった夷陵の戦いで蜀、石亭の戦いでは魏の大軍に圧勝。守りは鉄壁だが攻めはあまり判断材料がない。

事実上、関羽や劉備を死に追いやるなど、戦略面での知謀は申しぶん無し。周瑜、魯粛、呂蒙なき後の呉の指揮官として孫権の信頼あつく全軍を指揮する。荊州の戦いで青二才呼ばわりされたのは仕方のないことか。しかし、その後認識を改めた人物も多いであろう。

外交面でもその才を発揮。魏、蜀とも巧みに渡りあった。

戦 術

9

 

知 略

9

 

カリスマ

8

 

 

人 望

7

 

 

 

外 交

8

 

 

内 政

8

 

 

 


デビュー/
江東の名門の出で、孫策の娘を娶る。合肥の戦いで苦戦している呉軍の援軍として赴き、曹操軍を撃破した。
最 期/ 丞相にも任命されるなど活躍したが、呉の後継者争いに巻き込まれる。そこでしばしば正論を主張したために孫権に疎まれて憤激のあまり病を得て病死。


コーエー「三國志」シリーズに見る陸遜の能力値変遷
陸戦指揮、水戦指揮はIIIのみ、
運勢はI のみの設定。赤字はシリーズ中の最高値

 

知力
武力
魅力
政治力
統率力
陸戦
指揮
水戦
指揮
運勢
I
93
83
68
 
 
 
 
57
II
96
81
85
 
 
 
 
 
III
95
80
88
87
 
71
99
 
IV
97
79
95
87
96
 
 
 
V
97
79
94
87
 
 
 
 
VI
98
68
94
93
98
 
 
 
VII
95
89
91
93

 

 

 

 

VIII
96
67
91
90

 

 

 

 

IX
96
66
 
90
98
 
 
 
X
95
66
90
90
97

 

 

 

「白面の書生」の渾名のおかげか、
毎回美形の顔グラフィックで登場する。
陸遜=美形というイメージを植え付けてしまったのは
コーエーのせいといえるだろう。間違いなく。


三国志ファンが斬る!陸遜評

紫龍 殿

若くても実力で登用された人。
中国では1800年も前に出来てたのに、
日本は今だに年功序列。

鍵屋 殿

恰好良いのに、派手さに欠ける感じ。
これで、周瑜程の華麗さがあれば好きになれたかも。

孫夫人 殿

内政、外交に優れたお方じゃなあ。

功明 殿

この人も北方三国志で好きになった人です。
本当に悩んでましたね。

姜学 殿

光栄三國志での強さはすごい。
頭もいいし、武力もある。とにかくオールマイティですな。

六波羅文乃 殿

華麗ではないけど寝業師って感じで好きです。
剛直なところも良い。

劉表 殿

防衛戦争なら大河の険を割り引いても
文句なしにこの人が三国志の中で一番強いだろう。

香香 殿

旧怨を払拭して孫家と結んだのはエライですねぇ〜

KERO 殿

この人の魅力にもう10年以上もめろめろです〜!

klu.rig.lam 殿

「三国無双」で私にとっては
呂布の次に使いやすいキャラだったりする。

香香 殿

三国無双でのメインキャラだよん。
勝抜きモードで147勝したの♪
呂布のときは172で飽きてやめちゃったけど。

KERO 殿

でも三国無双では使いづらく
つかってないんですう……どなたか必勝法おしえてけろ〜

香香 殿

CPU相手なら、踊りとサマーだけで勝てます!
三国無双の陸遜てば(ё_ё) なんだもの♪
やめられまへん(謎)♪

哲坊

ご存じ「蜀キラー」。この人が出てくるや、
関羽、劉備の「光」が失われてしまった感がありますな。

軍師 殿

蜀と同盟は形だけで、もっとホンキで魏討伐に
力をいれていたら…。どう思います?

ふらん 殿

落日の呉を飾るにふさわしい…
陸遜は、なんか魏討伐にあんま力入れてなかったように思えますね(^^;
もっと彼の戦術を見せて欲しかったですねー
孔明と陸遜が組めば、いくら司馬懿でも、防げなかったと思いますよ。

国山 殿

この人は軍を率いても強かったというより荀イク・程イクといった参謀タイプと思うのは私だけですかね?
だって最初は「劉備は連勝で油断している、今がよい機会だ。」といって攻めたが敗れて、それに怒った諸将に「これで蜀軍を破る方法がわかった。」といって火攻め(計略)で大勝。曹休のときも周魴(計略)でおびき寄せてから打ち破っているしね。だけど明帝には襄陽で敗れているしね。(でも見事な退却戦)

アントニオ 殿

劉備の関羽の仇討ちを見事に返り討ちにしたことは、蜀ファンにはがっかりでしょうね。関羽、劉備とを立て続けに破って見せた知略は見事というしかありません。跡目争いに巻き込まれての死があまりに残念。確かに地味なような気もしますけどね。

トリホー 殿

光栄における陸遜の評価ははっきり言って嫌いです。単に目立った失敗と失策が無い位で曹操に匹敵する能力値を誇るなど半官びいきも過ぎる程。陳寿の評価を鵜呑みにし過ぎ!!
自分の判断では陸遜は権謀術数を得意とする策士で結構傍観主義者であると思っている。結果的に大将軍になりはしたが、将才は曹操にはるかに劣る、政治宰相としても孔明には到底及ぶまい、だが巧みな処世術、出世力は仲達やカクに匹敵するし、抜け目無さなら三国屈指ではないかと思う。小利口タイプの謀臣かつ優れた教養人が基本的な陸遜像でオールマイティーとは思えない。そういった陸遜であればファンだったかも知れません。

で〜こう 殿

本場の中国では関羽兄貴も、諸葛亮先生も問題にならないくらいの人気者らしいです。

哲坊

え? それは初耳ですな。なんか、中国人は演義の方を信奉している人が多いような気がするので、「蜀キラー」の陸遜や呂蒙などは人気無いのかと思っておりました。グッズなどもあるのでしょうかな。

魏恩 殿

陸遜というと夷凌の戦い序盤で猛将の方々に『白面の書生如きの命令にしたがえるか!この若造ぐぁーー!』って命令を全く聞いてもらえない場面が浮かびます・・・
実力は十二分にあったのにかわいそうでした・・・

蕭何 殿

なんの証拠があるのか陸遜は若くて美形になってしまった。しかし三国志の布教にはこういう美形男は大いに役立つことまちがいなし!

哲坊

その一方で、三国志を勘違いしたファンが増えているのも間違いなし(笑)

陥陣営 殿

万能かつ、美形な軍師様。(笑)
「三國志VII」では、「一騎」を習得し「方天画戟」を持って呉最強の武将として騎馬を率いて荒れ狂いましたが。(笑)最終的に、武力97+8まで到達。あの、武力・統率力が曖昧な世界だからこそ出来た暴挙でした。劇中ではあんなに賢い戦略家なのに…

トリホー 殿

優秀な軍師や将帥だって皆様口をそろえて斉唱します。でも私は戦線の火消し役であり、間諜や策略の達人で典型的な小利口文官だと思っているんですよ。特徴は満寵に酷似、主君孫権と同タイプなだけに好かれ、妬まれたそういう人物だと思います。

呆爺 殿

陸遜は実績も残しているし、どっちかというと硬骨漢のはず。小利口とは対極に位置するキャラと思いますが・・・
ちなみに、陸遜に若いイメージがあるのは、老将達(劉備・関羽)の幕引き役として、世代交代の雰囲気を醸し出すためと、孫策・周瑜以降の呉のフレッシュなイメージに引きずられた結果ではないでしょうか。(02.9.1)

ハガネ 殿

陸遜は最初『陸議』と名乗っていましたが、改名して『陸遜』にしたようです。改名した明確な理由を伝える資料はなく、全くの謎のようです。(02.9.13)

子路 殿

陸遜が解明した理由は、孫権が孫姓を賜ろうとしたのだけど陸家のほうが地位が高いので、姓ではなく名の方に孫を入れるため、って聞いたのですが。(03.4.25)

頴娃 殿

陸遜は本当にオールマイティな人物です。山賊を何人も殺す個人的武勇。劉備を大敗させる戦術眼。一度も敗北がなく、戦略的撤退などで敵を揺さぶる戦略眼。周瑜にも匹敵する知略。諸葛亮をも凌ぐ統治を成功させた政治力。(意外かも知れないけど、陸遜の統治は見事で、国内に派閥を作ることも無かったんですね。僕は統治だけなら、国内に派閥を作ってしまった諸葛亮より上だと思ってます。)曹操には適わぬものの、周瑜と2番手争いをする名将だと思います。ただ、政略紛争に敗れ失意のうちに憤死という点がマイナスかな・・・。息子の陸抗も超有能ですね! 神業「二重封鎖陣地」を成功させるあたり、軍師のレベルは陸遜をも上回るかも… (03.4.25)

こう 殿

個人的には好きな武将や。さて陸遜の名前の話や。陸一族は元々は呉の4名族の1つなんやけど、陸一族は孫策にえらいめにあわされて、反孫活動したらしいで(詳しくは図解三国志参照)。改名は孫氏に帰順した際らしいな。理由は揚州名士の周瑜の影響(呉地方に於ける影響力は当然でっかい)だとも、孫策から孫権に代替わりした時をいい潮時と判断したのだとも言われてるらしい。孫権時代の当初でもかなり大きな勢力になっとるから、ええかげん反抗ばっかしてると一族根絶やしになるし。そら儒教の国ではえらい不幸やしね。そう考えてみると「遜」の名前には深い意味がありそうやねぇ。ま、反孫活動がかえって帰順時にハクをつけたかもしれん。(03.5.31)

鶏一番 殿

この人は、孔明によく似た人ですよね。戦争はやるべきことをしっかりやって基本とか理論からはみ出ることをしないし、政治面でも新しく統治した土地はあまりいじらずにその土地の人たちに任せるし、人物の面でも私心無くとにかく真面目。ただどれをとっても、陸遜の方が一枚上手(人物は孔明の方が上かな、何しろ奴さんクソ真面目だもんなー)あっ、子供は三枚上手だ。(03.12.30)

うちっち 殿

う〜ん、評価の分かれる武将ですね。容姿端麗、策略非凡、なおかつ孫権の親族でもあるという毛並みの良さから、分不相応の評価を得ている方でもあります。周瑜、魯粛、呂蒙、陸遜と続く呉の提督ですが、もっとも「呉らしい」提督である、というのが実情ではないかと思われます。呉は豪族同士の寄り合い所帯であり、陸遜は土着の豪族の名士でも有ります。よって正直なところ、主君である孫権の命運よりも、自分の一族の命運の方が大切だったのではないでしょうか?近年武将の再評価が進んでいますが、ある意味一番見直す必要の有る武将かもしれません。(04.5.31)

サライヤ 殿

立派な人物だと思います。提督就任時、自分の武功のために戦をしたがる古参の武将たちに、「戦を知らない」だの、「青書生の分際で」だの散々罵られてもそれに流されず、無駄な出兵はきっぱり却下し、仕舞いには周囲を納得させたのが印象的です。

「遜」は「へりくだる」とも読みますよね。何処で読んだかは失念してしまいましたが、親族となった時に孫権から「孫」と同じ読みであるこの字を賜ったとありました(以下も正確な知識でなく申し訳ありませんが、孫の読みはスン、遜はどちらかと言うとシュン。同じ音といえば同じでしょうか)。「陸家の当主から陸性を取るわけにはいかないが、私たちは婚儀により結ばれた親族だから、その証に孫家と同じ音を持つ字を贈ろう」という意味だと解釈してましたが、遜の持つ意味を考えると複雑です。中国語でも「遜」はへりくだるとか「〜より劣る」という意味なのだとしたら、何かちょっと嫌ですね。そうだとしても頭のいい陸遜はあえて何も言わず、そ知らぬ顔して「ありがたき幸せ」とか言いそうです。(04.7.19)

一人三国志 殿

陸遜は名門の生まれで孫家の家来と言うよりは協力者の関係だと思います。晩年、孫家に冷遇されたのも、司馬氏による魏王朝の傀儡化のようになるのを恐れたからでしょう。どうも陸遜は多くの人が思っているような将ではないのではと思います。なぜなら周瑜とやたらキャラが被るからです。呉自体は優秀な人材が多く、蜀と違って夷陵の戦いの勝利は軍師一人の功績だとは考えられないからです。今の陸遜のキャラクターイメージはもし周瑜が長生きしていたらという願望なのかもしれません。(04.7.19)

まりオ 殿

「三国志」の中で臣下として一人一伝与えられるのは、孔明と陸遜だけなんですね。それだけで、彼が呉において軍事・内政・外交の実質上最高権力者だったといえると思います。あの荀イクですら、カク・荀攸との三人一伝の扱いなのだから。 (04.8.18)

どよどよどよ 殿

最強親子用兵家部門ではこの親子が最強だろう。小田原城級並みの拠点がごっそり敵に寝返った状態かつ裏切り者、離反者続出、そして蜀、襄からの二方面攻撃、本拠地の包囲、そして敵は名将羊コ。最凶最悪の状態から敵を撃退、拠点の奪回した陸坑。この親子に立ち向かえるのは司馬親子ぐらいかな。私としては最後の名将同士の戦いをもう少し取り上げて欲しいですな。ちなみに陸遜はエラが出てたらしく、陸遜の顔をネプチューンの名倉氏をベースにしたらファンになれそうだ。劉備との戦いのとき反感する将達を「何でやネン!」て蹴り突っ込みで一喝!韓当をクリームシチューの有田氏にさせたら絶妙。これで陸遜に対するお笑いファンが増える。あっでも美形ファンが減ってしまうか。 (04.11.1)

伯拓 殿

息子を自分と対照的な「抗」と言う名前にしているのが印象的です。父の晩年を見ていて「遜」ってばかりはいられないと思ったのでしょうか?わざわざ「議」から「遜」に変えたというのに。 あと、個人的にはIやIIのころのような三つ編み?の顔グラフィックが一番陸遜らしいっていうか、「白面の書生」(笑)らしくていいのではないかと思います。無双でもそうですが、最近のシリーズでは周瑜や趙雲といった他のイケメンキャラと区別がつかなくて、あまりキャラが立っていないような気がします。(04.11.1)

頼道 将和 殿

正史の注を付けた裴松之は、カクと並んでこの人物を嫌っていた様です。魏の支配下にあった江夏の石陽の市場で、一般市民の虐殺を行ったから、というのがその理由のようです。確かに、悪い意味で呉に相応しい人物なのかも知れません。「遜」についてですが、私はかなり晩年になってから改めた様に思います。何となくですが。 (05.1.12)

ほほい 殿

呉の重鎮として評価できる人物だと思います。孫権も兄の娘をやったり夷陵では他の将兵の反対を押し切って大都督にする位ですから、陸遜の才を評価してたのはまちがいないと思う。陳寿も彼の事をすごく誉めてました。・・で夷陵なんですけどこの戦いがおきたのって陸遜が40(39?)ときですよね。まわりの将兵から「青二才」だの「若すぎる」だの言われる程若くないとおもうんですが・・。それまでの功績が地味だったから味方の将から信頼されなかったのか?(05.12.26)

D.D.junk 殿

名門陸家の御曹司、孫策の娘も貰い、地味ながら順風満帆の前半生を送っていた人。赤壁以前から血と汗流して戦ってきた叩き上げの宿将たちが、ボンボンの青二才呼ばわりしたくなる気持ちもわからなくもないです。しかし一躍名を馳せて以降の彼の後半生はご存知の通り……。出世とは何だろう、一書生のまま人生を終えた方が幸せだったんじゃないか、いろいろ考えさせられる存在です。 (06.8.16)



この人物について貴殿の一言、お待ちしております!
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