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孫乾(そんかん (けん) ) 字(あざな)/公祐
(こうゆう) 生没年/?〜214年頃? 青州北海郡出身。劉備が徐州の刺史になった時、鄭玄からの推薦で彼に仕え腹心となる。劉備が蜀を平定すると秉忠将軍に任じられ、糜竺に次いで簡雍と同等の待遇を受けたが、その後ひっそりと病死。充実した一生を誇りに思いながら、旅立ったことだろう。 |
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能力検証
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三国志ファンが斬る!孫乾評 |
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哲坊 |
地味ではあるが、数字に表れない魅力をもった人物でしょう。(03.3.3) |
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ノビタ 殿 |
お使い孫乾のあだ名で有名だがこの人がいたから袁紹や劉表と同盟できた。そのおかけで劉備は生きていけたと思う!(03.4.4) |
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一樹 殿 |
孔明ら荊州を手に入れる前の数少ない?(簡擁、ビジクくらいしか思いつかないです)文官、外交官の一人ですね。外交官なんて、その場で殺されたり、その返答次第では殺されたり(江東の厳白虎の弟厳与がいい例)命を狙われたりするのが結構ある仕事をそつなくこなし、天寿をまっとうするなんてチョッピリ関心しちゃいます。きっと、きっと、頭がけっこうよくて舌がよく回る人だな〜って思います(笑)。あ、でも簡擁は外交は向いてないかもですね・・・性格がアレみたいですし(笑) (03.4.4) |
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雑巾賊 殿 |
コーエーの「II」で、弱小期の劉備でプレイするときには一番重宝した人。あるいは、呂布のときは、まず全軍で劉備領に突撃してまっさきに捕らえた人(笑)。とにかくよく引き抜きを成功させるキャラでしたね。スーパー・ヘッドハンター。でも他国領移動中によく掴まったりしたので、救出も大変だった(爆)。 (03.4.5) |
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びすまるく 殿 |
文官なのに横山三国志でのいかつい甲冑姿が印象に残ってます。ゲームであんなに魅力が高いのはなぜですかね?(03.4.25) |
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今仲達 殿 |
外交官としては間違いなく1流でしょう。キーとなるところではかならずこの人が起用されています。外交官は弁舌とそれなりの知識、そして性格の良さが必要となるでしょうから孫乾はかなり有能だったことでしょう。(外交官として動けるのが孫乾だけだったのかもしれませんが) その苦労が実って、入蜀後は席次が諸葛亮より上になりました。ところで、”孫乾”って「そんけん」と「そんかん」って呼ぶ人がいますけど、どっちなのでしょうね? (03.4.25) |
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哲坊 |
話をするときは、呉の方々と紛らわしいので「そんかん」と呼んでます(笑)。(03.4.25) |
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鉄木真 殿 |
僕はこの人は外交官として超一流であったと思っています。諸葛亮にも劣らないほどに…。特に劉備勢力にとっての外交とは他の勢力の外交よりも切実なものがあったと思うからです。戦争も強くないし地盤もしっかりしてなかったし。そんな状況にも負けずに外交に赴き成功させてる孫乾って結構豪胆な人だったのではないかなと思ってます。(03.4.25) |
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スダダス 殿 |
蜀で内政に優れた武将としては,ビジク,カンヨウと並びますね。蜀でも,内政タイプの武将はいつ死んだのか不明です。古参なので,諸葛亮よりも位が上になるのは当然でしょう。(04.2.19) |
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デンホー大臣 |
成都武侯祠についてですが、武将廊と知将廊があります。その武将廊ベスト5をみてみると・・・1.趙雲2.孫乾3.張翼4.馬超5.王平となっているようです。「馬超より上かよ!?そして姜維や黄忠はもっと下かよ!?」と思う人も多いでしょう。その内どこかから文献がでてきて「孫乾将軍」と言う記述がでてきたら面白いですが・・・三國志1で一番初めからいるのに魅力が低いのが悲しかったです。(04.3.9) |
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青兎馬 殿 |
ミスター”劉備軍”ですね。蜀軍でなく劉備軍。こういう地味な人がほんとは国を支えている。プロジェクトXにしたいくらいだ。この人ほど三国志の中で「地上の星」のテーマソングが似合う人いないでしょう。(笑) (05.1.12) |
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ボスコ 殿 |
糜竺と孫乾はナムコの三国志では知力が60台で魅力が90台だったので学問所で知力を80台にして情報集めのコマンドで人材登用と資金集めの係りでした。FCで光栄の三国志Iが出たとき、彼らの魅力が不当に低かったのがショックでした。当時はナムコの方が能力値が妥当だったような気がする。(05.3.18) |
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カンヌ |
おつかい孫乾なつかしいですね。三国志2では「おつかい」させればよほどの無理がない限り人材を引き抜いてくるという天才ぶりを発揮してくれていたのが懐かしいです。たまに遠くの国で捕まって大変な思いをしたこともありますがそれも愛嬌です。近年では知力も上がってきてさらに強くなった孫乾です。 ゲームの話はここまでで、史実でも有能なおつかいぶりを発揮する彼。劉備軍の危機にはいち早く動き次の進路を決めてくる頼りがいのある外交官。おそらく自分の身を守るくらいの武勇も兼ね備えていたのだと思います。糜竺・簡擁とならぶ初期の劉備軍の三大文官と言えましょう。08.2.13 |
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