陳 宮(ちんきゅう)

呂布に生涯を賭けた策士

祖茂殿作画



(あざな)公台(こうだい)

生没年/?〜198年  武器/

ギャラリーを見る)

 能力検証

武 勇

 

 

6

 

 

 

 

自ら表に立つことは少ないが、弓の腕前は確か。将としてもそれなりの指揮能力、武勇があったようである

序盤は張バクや呂布をけしかけ、曹操を欺いて大勝する。しかし、後半は折角の献策も生かされなかった

暴君・呂布を抑えるだけの力量はなかったが、曹操にも人物を惜しまれても自ら死を望んだ気骨ある人物

内政よりも、軍事に通じていたと思われる

戦 術

7

 

 

 

知 略

8

 

 

カリスマ

6

 

 

 

 

人 望

6

 

 

 

 

外 交

7

 

 

 

内 政

6

 

 

 

 

 


デビュー/
董卓暗殺に失敗した曹操を捕らえるが、意気投合して共に逃げる。しかし道中、曹操の残忍さに愛想をつかして袂をわかち、張バクや呂布の軍師として活躍。
最 期/ 呂布が曹操軍に敗れると、ともに捕らえられる。曹操はその才を惜しんで助けようとするが、陳宮は自ら死を望み、呂布に殉じた。


三国志ファンが斬る!陳宮評
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功明 殿

曹操のもとを出奔して呂布のところに行ったっていうのが,彼の特徴でしょう。劉備のところでも活躍できたかも。

南部 殿

↑うーむ、ごもっとも、確かに劉備陣営では重く用いられた…ってのは時期的に無理か。でも、徐州をあそこまであっさり手放しはしなくて済んだかも。

新荘剛史 殿

曹操がエン州を支配するのに貢献したが、荀イク程信頼されなかったのに憤慨して呂布ヘと鞍替えした。この際、曹操の親友を一緒に裏切らせるなど口とそう云った状況を作る情報操作には長けていた

鍵屋 殿

「蒼天航路」の陳宮が意外と真実かもしれませんね。
呂布の武勇に人外の英雄を見た、というヤツです。

南部 殿

実際彼は有能だったのか、それほどでもなかったのかどっちなんですかねぇ。まあ、世間的な評価では大志に対して、脳みそがちょっとだけついてかなかったと言ったとこでしょうけど、それで済ましちゃうのもなぁ。

新荘剛史 殿

「秘本三国志」の陳宮と陳親子の会話はなんかいいですよね。

紫龍 殿

そりゃ、呂布と曹操同時に選べれば
曹操を選んだでしょうけど…「不遇の軍師」ですねー

klu.rig.lam 殿

私は、策謀高さの割に呂布を見捨てられない所に彼の人情が伺えて好きです。

香香 殿

「蒼天航路」呂布の叫びも、魂を揺さぶられました。
「陳宮〜!!!!」

南部 殿

良民として済むなら曹操、仕えるなら劉備、
でも、全てを知っているなら俺は陳宮のように生きたい。

阿Q 殿

頭はいいけど、いわゆるひらめき型の人物ではなかったようですね…。どう見ても危険人物な呂布にかけたのは、実はただ単に冒険したかっただけ??ホント、謎。

哲坊

呂布に賭けたのは、本当に人間の妙味ですな。
でも、それがしはそこに男気を感じるのですが。

沮授 殿

陳宮が曹操の元を離れた最大の理由は、私怨というよりもむしろ曹軍に蹂躙されんとする徐州の民を救うためではなかったか?と思います(思いたい)。
したがって、その願いに乗ってくれた呂布に忠誠を尽くしたのではと思います。(曹操留守の濮陽を攻めたのは、陳宮一世一代の賭けだったでしょう。)
拙者の陳宮のイメージは「義侠心厚き人物」であります。

催 殿

呂布に仕えたのではなく、呂布を使おうとしていた…考えると合点がいくかな。誰かに仕えて、天下を志す気がなかったとすれば、曹操に仕官を勧められても受けなかった気持ちも、当時の男の生き方を考えると死を選ぶのも理解できます。呂布に殉じたのではなく、陳宮自身の覇業に殉じたと思えてしまいます。

亮 殿

呂布がもっと陳宮の言うことを聞いていれば、もっと呂布の命は延びていたんでしょうね。でもそれでいいんです!陳宮は呂布にシカトされてこそ陳宮なのです!(そりゃあひどいか。)

トリホー 殿

コーエーって三国の将しか評価しない傾向でもあるのでしょうか?
その代表はこの陳宮である。呂布に仕えた云々は人生観であって私の知る所ではないが、黎明期の曹操の陣営にあって、戦略顧問としての彼の力量は郭嘉、程cに勝るとも劣るまい。曹操の敵に回ってからも曹操を殺せたかも知れない人材としてカクとともに名があがる。超一級の天才策士は間違いあるまい。

哲坊

三国以外の人物も優秀にしてしまうと、能力値が全体的に高騰してしまうからかもしれませんな。哀しいですが、そうやって差別化するのも、ゲームなので仕方ないのかも…と思っています。

金裕 殿

なんか好きな人物だなぁ、曹操と袂を分かったのはやはり、己の力が最大限に発揮出来る場所では無いと思ったからだと思うなぁ、(あまりに他の人材がいすぎる為)基本的に総合的な力を持っていたので自分を1番に評価されないと我慢できなかったんじゃないかなあ、呂布についたのは己の力が最大限に発揮出来ると判断したからと言う事と、何か呂布に男として惹かれる部分が有ったからじゃないかな、まぁ自信過剰な博打打って所かな、己の見つけた居場所からどんなに不利になっても主君が進言を聞かなくても逃げ出さずに最後まで戦い抜いた所にこの人の骨っぽさを感じるなぁ、こんな男とは一緒に仕事したいねー

洪紀 殿

この人と呂布コンビは個人的に大好きですね。呂布は陳宮のいうことをシカトすることが多かったけど、実は配下の中で一番信用していたんじゃないのかなぁと思います。(推測だけど)陳宮の最後だって主君とともに殉死を望んだところから見てわかるように、仁義に篤いし、また、呂布へのある意味での愛(やばい?)を感じます。

哲坊

そういう意味での「愛」は大いにあったと思います。ヘンなホモ同人誌のように、それを曲げて解釈してはいけません(笑)。

軍師孟優殿

ゲームでの話ですが、2で操作ミスをして陳宮を一騎打ちに出してしまいました。相手は何の因果か呂布。リセット押そうかと思いつつ戦況を眺めていると、20合にも及ぶ熱戦のあげくみごと呂布を打ち倒しました!それ以後、俺の中で陳宮>呂布が成り立っています(笑)

哲坊

そういうこともあるんですなあ。
ものすごく低確率の出来事だったのでしょうが…(笑)

三国志最高 殿

陳宮…、私の中でこの人物ほど不運な優秀軍師はいないと思う…。揚修も不運だが一応曹操に憎まれながらも自分の策を用いてもらっているし。個人的にはまだまだ活躍してもらいたかった人物の一人です(涙)。最後は自ら処刑を望んだとは…。お、漢です!!

スダダス 殿

あえて、曹操の才能を知りながら、多くの欠点を持つ呂布に使えたのがすごい!ジュンイクの最期を見ると、彼の行動がある意味正しかったのかもしれない。(02.9.4)

哲坊

呂布=強さ。ただ「強い」というだけで男にとっては充分憧れの要素になるし、ましてやあの時代、武勇においては最強の主君に仕えるというのは、ある意味喜びだったのかもしれません。当時、曹操打倒に距離的にも一番近い位置にいた呂布。「曹操は嫌い、だから倒す」という単純なコンセプトで、呂布と陳宮はガッチリと固い絆で結ばれたと信じております。まあ、陳宮の片思い的な部分もあったかもしれませんが(笑)。 (02.9.4)

郭攸長若 殿

陳宮はどうも過小評価されている気がします。呂布陣営において参謀といえば陳宮位、それゆえ献策の数はかなり多かったはずです。実行に移されなかったものも含めて、演義での陳宮の献策に失策はなかったっと思うのですが・・・。個人的には、献策がそれ程多くない荀攸・程c・法正あたりよりも軍略の面では上だと思います。 (02.11.30)

とーま殿

呂布に献策を用いられなくても、ずっと付いていった実直さはすごいと思う。だけど、裏切りをする前に捕まってしまったのは惜しいなぁ・・・もし呂布から離れたとしたら他のところでその力を発揮していただろうしねぇ。陳宮はすぐ死んでしまうけど、彼の参謀ぶりは目に付くほどだから凄いんじゃないかな?(03.2.5)

我王 殿

きっと、陳宮にとっては、呂布こそが、「自分の知を、形にしてくれる武」だったのでしょうね。呂布がもう少し、陳宮に耳を貸していたら・・・三国志はどうなっていたんでしょう? 「蒼天航路」の呂布軍団、格好良過ぎ!!(03.5.31)

分析名人 殿

陳宮は近藤勇の陰で才能を発揮しようとした土方歳三を思い浮かべます。主君が無骨でバカであるほうが彼にとって楽しかったのではないでしょうかね。曹操に仕えたくなかったのはお互いの知恵が喧嘩してしまった場合,結局地位が上のほうが優先されるからでしょう。彼の意識の中で曹操は知略におけるライバルだったのではないでしょうか。(03.8.18)

茶ポーね 殿

たしか史実では、呂布に叛乱(?)しようとしてたんでしたっけ?失敗して、しかも呂布が許したからよかったものの成功しかけていたら評価が今とは全く変わりそうですね。ただ、中国においては寝返り、裏切りといった倫理観が我々とは全く異なるので「呂布を知略によって倒した名将」と言われたかも?(04.8.18)

吉 殿

我王氏の言う、「自分の知を、形にしてくれる武」とは凄く魅力的な例えですな。濮陽の田氏を利用した策も、曹操虎の子の青州兵を蹴散した呂布の騎馬隊の破壊力と相まって曹操自身の命を脅かすほどの戦果を見せたし、採用されず、最後の献策になってしまった掎角の計も、野戦で滅法強い呂布の力を十分に生かせた策だったのでしょうな。三回に一回程度の低〜い献策採用率ですが、採用された時の威力は凄まじい!陳宮には苦労が絶えませんが、なんとも魅力的なコンビに思えます。(04.10.3)

青兎馬 殿

なんか男として生き方がカッコいい。しかもまた死に方もカッコいい。曹操の説得も聞く耳もたず自ら死刑台へ向かう場面は三国志の名場面のひとつではないでしょうか?呂布と陳宮のコンビはほんと何故か魅力的です。最近ゲームでは知力が89で定着してますが、もう少し高くてもいいんじゃないでしょうか?呂布がきちんと陳宮の言うことを聞いてたらってことを考えるともう少し高くてもいいと思います。呂布がきちんと陳宮の言うこと聞いていれば・・・彼ほど范増の気持ちが分かる人いないでしょうね。(笑) (05.1.12)

Hiroki 殿

北方三国志が自分の中での武将感を決めてしまっているのですが、北方三国志では陳宮は内政(主に商才)に長けていただけなんですよね。皆が天才策士と褒め称えているようですが、呂布はたしかに自分勝手ではありますが、一流の武人であり軍人ですし、自分がコレ!と思った策、もしくは納得のいく成功率の高い策なら採用していたと思うのです。しかし策士としてか内政向きかはともかくとして、彼に才があったのは事実。

呂布の軍は軍事面では呂布をはじめ張遼、高順等、有能な人材が揃っていただけに、呂布を理解できる有能な文官が陳宮以外に数人いれば、乱世の覇者は彼等の物になっていたかもしれない、と思ったりしています。陳宮が呂布の所にいった理由ですが、自分は曹操は軍事、内政等全般に優れているために、何かに突出した究極の一(例えば内政の諸葛亮、戦場での呂布、策士の司馬懿)を集めた所には勝てない、と見たのではないでしょうか。武の極みである呂布の所で、知略のスペシャリストの部分になりたかったのではないでしょうか。劉備の所へいかなかったのは、劉備の義弟の関羽・張飛等と呂布を比べてやはり呂布が武力の面で強かったから。もしくは曹操を裏切った自分を徳を大切にしている劉備の軍では重用されないのはないか、または自分を登用すれば曹操が報復するかもしれないと怖気づくのではないか、といった思惑があったのではないかと。(05.3.18)

公孫樹 殿

陳宮と高順の仲が良ければ、呂布の運命も変わっていたかもしれませんね。郭萌の乱に陳宮が参加していたというのも高順の言いがかりという可能性も…。高順も陳宮とおなじく個人的には好きな武将ですけど。(笑) (05.4.23)

芋ペンギン 殿

三国志の中には、色々と想像を膨らませてくれる武将が沢山登場します。その中でも陳宮は自分的に、「最も想像を膨らませやすい武将」の一人だったりします。彼がどのような目的や考えをもっていたかで、呂布とのコンビとしての「絵」がまるで変わってくるのですよね。勿論コレは他の武将にだって言えるわけですけど。志半ばにして敗れ、歴史から姿を消すだけに、よりそういう「絵」を描く(別に私に絵の素養なぞありませんが……あくまで例えとしての言い方です)意欲を起こさせる人物なのかもしれません。(05.7.11)

万騎当呂布 殿

いろいろな演義を見ていると、呂布を利用していたor呂布を心底信頼していた、のどっちかですよね。後者の方が好きですが、反乱を企てたという話もあるし(認めてないけど)史実では前者なのかな…。吉村さん著の三国志演義で、処刑直前に呂布を誉め曹操を罵るシーンは涙なしでは読めません。 (05.11.12)

陳哲 殿

15年以上前に三国志を初めて読んだとき、一番印象が強かったのがこの陳宮です。仲間には陳宮ファンというと大笑いされたもんですが、結構陳宮に対して好感を持ってる方が多いようでホッとしてます。蒼天航路の影響もあるのかもしれませんが、時代を先取りしていた自分に自惚れてみたり(笑)。 (05.11.12)

カンヌ 殿

当時最強の武を誇った呂布を覇王項羽とするならばまさに范増ですね。策を用いられない不幸。策士にとってこれほど不愉快なこともないはず。にもかかわらず殉じるはまさに漢です。「蒼天航路」での呂布との主従関係は最高だと思います。丸くされても復活しビンタされても復活し城壁から頭突き落とされても復活し「あぁオレはつくづく呂布殿に魅せられているのだな」健気です。「お 俺は、それほど強いか?」「呂布殿は天下無双でござる!!」後漢期での最高のコンビのやり取りでした。(05.12.26)

無双天神 殿

呂布と陳宮の主従関係は魅力的ですね。ですが無粋なことを言わせて頂くとこの人は呂布に仕えていた頃叛乱を起こしています。結局この叛乱は高順によってほぼ未遂の形になっていますが、曹性が首謀者をあっさりバラし陳宮は弁明するもその後は不遇・・・。実は不遇になってしまったのは彼自身のせいでもあります。まあ私にとってはそのことは陳宮の魅力を下げる要因には成り得ません(笑)。 (06.3.21)

小狼 殿

曹操を裏切った時は、曹操が留守の隙をついて謀反をおこして、さらに曹操の最も信頼してた親友をそそのかして裏切らせてます(曹操は本気でショックだったみたいです)。どうも呂布と比べると、やり方が計画的で陰湿です。その後1度裏切った陳宮を、曹操が殺すのは惜しいと思うほどですから、確かに能力は高かったようです。

ただ、次に仕えた呂布に対しても、暗殺未遂をしかけて、実行犯の口から首謀者として名前をあげられたりするなど、胡散臭さ爆発で、呂布にも全く信用されず、(自分を殺そうとしたかもしれん奴の考えた策など聞けるか!)全然、策を聞いてもらえませんでした。当たり前。最期は自ら処刑台に進むなど、潔し!と評価できる部分もありますが、性格的には問題アリとしか思えません。高順などの他の将からも嫌われてましたしね。07.1.22

ぺこぽん

「三国志」という物語では一番好きな人物です。呂布に叛旗を翻したという情報は良くも悪くもショックですが、自分の力を試して大嫌い(大好き?)な曹操をやっつけるぞ!っていうスタンスだったと信じているのでモーマンタイです。多分演技での脚色でしょうけれど、死ぬ際の曹操の「おまえの敗因は何だ」「何故呂布だったのだ」という問いに対し「こいつが言うことを聞かなかったからだ」「お前よりましだからだ」と応え処刑台へ向かう、というやり取りがかっこよすぎてたまりません。

何の出典か覚えてませんけど、高校の時にちらっと見た本には、陳宮の人物評に自分で「智余り有り」と、ジュンイクからは「智有れども遅し」と評価されていました。どう捉えるのかはわかりませんが。なんだかこの人。巨人から横浜に行った駒田みたいなイメージがありますなあ。08.2.13

方天下

ある意味三国志の中では最も哀れな軍師だと思います。曹操の参謀、苟攸からは王佐の才には長けるが、主君を見抜く能力は無いと評されていて、彼も呂布という主君に全てを賭けていましたが、結局は献策も聞き入れられず、呂布と共に生涯を終えてしまいました。火事場のような当時を生き残るには厳しいくらいの正義感を持っていて、それが死につながってしまった悲しい破滅型の軍師だったと思います。08.2.13

下々の者

呂布に対する叛乱未遂事件が、この人の最期を決定づけたように思います。呂布のあまりな愚将ぶりに嫌気が差したのか、それとも元々取って代わる気だったのかはわかりませんが、この叛乱に対して、呂布は陳宮を不問にしました。その寛大な処置に、陳宮は呂布に対して一生かかっても返せない恩義を感じてしまったのではないでしょうか?

その後の呂布の無能ぶりや不甲斐無さに、陳宮はほとほとあきれた様子も示しますが、最期まで呂布に従います。義理堅い陳宮は恩義を受けた呂布に殉じる道しか選べなかったのでしょう。問答の末、自ら処刑台に向かう陳宮と彼を涙を流しながら見送る曹操…。三国志中屈指(私の中では最高)の名場面でしょう。曹操の涙のわけは、陳宮の人物を惜しむというより、命の恩人を殺さなければならない断腸の思いだったような気がします。

その後、曹操は陳宮の家族を探し当てて養い、陳宮の娘が結婚するまで面倒を見たといいます。曹操の人物に改めて感服させられるエピソードですが、陳宮が処刑される前の曹操との問答で、家族の処遇は「公の君にまかせる」といったところに陳宮の意図があったような気がしてなりません。このように言えば、覇道を行く曹操が施政者として常に人に評価される立場である事を意識して、家族を殺さないと計算したのだとしたら…? 陳宮の命を懸けた家族を救う為の最期の策は、見事に功を奏したといえるでしょうね。08.2.13

 

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