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張 曹軍歴戦の猛者 |
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字(あざな)/儁乂(しゅんがい) 生没年/?〜221年 武器/槍、弓 |
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能力検証 武 勇 ■ ■ ■ ■ ■ 8 物語前半ではよく負けたが、40数年もの間、第一線で戦場を駆け回った歴戦の士。演義における一騎討ちでは張遼、張飛、黄忠などとも戦ったが負けていない 袁紹に仕えていた時には官渡で、晩年の蜀漢戦では類い稀な知略を見せるが、頭に血がのぼりやすい一面も 漢中で夏侯淵が討たれた時、後をうけて指揮官となり、大軍をよく従えた。劉備は夏侯淵よりも張コウを警戒していたとされる。大将としての資質にも優れ、司馬懿にも先鋒に抜擢されるなど長く活躍した 戦 術 ■ ■ 8 知 略 7 カリスマ ■ ■ 8 人 望 ■ ■ 7 外 交 4 内 政 ■ 4 |
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200 官渡 |
VS張遼(曹操軍) |
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戦うこと50余合、勝負つかず乱戦になる |
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201 穣山 |
VS趙雲(劉備軍) |
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数十合打ち合うが、背後から関羽の軍が迫ったため、逃走 |
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208 長坂 |
VS趙雲(劉備軍) |
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しばらく戦うが、趙雲面倒とみて逃げる |
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211 潼関付近 |
VS馬超(馬超軍) |
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于禁とともに打ちかかるが、かわされる |
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217 下弁 |
VS張飛(劉備軍) |
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打ち合うこと50合余り。蜀の大軍に囲まれて逃走 |
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217 下弁 |
VS雷同(劉備軍) |
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2、3合打ちあってわざと逃げ、伏兵で退路を断つ。雷同狼狽するところを踊りかかって斬り殺す |
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218 葭萌関 |
VS黄忠(劉備軍) |
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20合余り打ち合うが、蜀軍の加勢が来たため逃走 |
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228 街亭 |
VS王平(劉備軍) |
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乱戦の中数十合打ち合うが勝負つかず。味方の手勢が少なくなった張コウが退いた |
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★通算8戦 1勝0敗7引き分け |
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三国志ファンが斬る!張コウ評 |
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紫龍 殿 |
趙雲びいきで、吉川三國志しか読んでない私は |
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鍵屋 殿 |
地味なようで、派手に活躍してる人ですよね。 |
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六波羅文乃 殿 |
蜀将がみんな彼を恐れたといいます。 |
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孫夫人 殿 |
司馬懿とは、そりが合わなかったのか… |
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阿Q 殿 |
張コウは、本当に司馬懿によって |
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功明 殿 |
孔明の北伐の野望を砕いた人。馬謖のバカやろ〜! |
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哲坊 |
後半戦の急成長。蜀漢戦での奮闘は見るべきものがありますな。一騎討ちでも、蜀の五虎将、張飛、趙雲、馬超、黄忠とまんべんなく戦っております。 |
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渡邉磨澄 殿 |
彼の字である「しゅんがい」の意味は、おおまかにいって「優れている」という意味である。この語は古典の中に記されているため、教養がなければつけることができない。つまり彼は演義で描かれているような猪武者ではなく、むしろ方面司令官の才能があったと思われる。ただ曹魏政権では(特に曹操期)方面司令官には一族が主に任命されたためどうしても夏侯氏の下に配備されるのである。 |
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中里 拓 殿 |
吉川英治三国志では、二回も死んでいる・・・・ |
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哲坊 |
実はその前に一度、汝南で関羽と趙雲の軍に |
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春ちゃん殿 |
正史では曹操に降伏後、袁譚・馬超・韓遂・張魯・張飛・劉備等なみいる強豪を相手に11戦連続負けなしの天才。張コウと戦わされた馬謖が可哀相・・・ |
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トリホー殿 |
「真・三國無双」の張コウ、なぜか知らんが優男風になっていた。俺の好きな武将がどんどん空疎な優男になっていきやがる、曹操五将軍の一人にして魏軍きっての智謀の将と思っていたのに、イメージが傷ついた許せん!総じて変になった武将、周瑜、陸遜、趙雲そして張コウ。うーむ共通点が分からん。魏延にいたっては返す言葉もない。 |
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耶麻爺 殿 |
黄巾の乱から戦に出ていると言うことは死ぬ時の彼って少なめに見積もっても齢70近いはず、それが演義のように烈火の勢いで蜀軍を追撃して戦死なんてありえへん。元来は慎重且つ大胆に計略を展開する知将なのに変に演義で歪められているのは不憫ですね。 ちなみに諸葛亮の北伐の第三回目までは司馬懿ではなく彼が対蜀戦線で諸葛亮を食い止めてました。蜀は彼の名を聞いただけで諸葛亮以下皆恐れていました。これは彼の勇猛さと言うよりも蜀軍の行動が全て読み取られ、対応されてしまうと言う知謀の冴えに恐れをなしていたからでしょうね。恐らくバランス面ではトウ艾と並んで魏軍随一でしょう。 |
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沮授@tRTK 殿 |
漢中攻防戦での雷同&張飛との「鬼ごっこ」が印象的であります(笑)。雷同を見事に誘殺しましたが、同じ手で再度、張飛に挑んだのはちょっと考えが甘過ぎたか…。「横山三国志」にて、張飛を誘殺しようと逃げる時の彼の得意そうな表情が笑えます。 (02.9.1) |
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オジオン殿 |
「諸葛亮よりこれを憚る」と蜀将を震え上がらせた名将。演義の影響か張遼の影に隠れてしまっていますが、いわゆる「魏の五虎大将」(張遼・徐晃・楽進・于禁・張コウ 列伝序列では親族を除く魏の武臣中最高)の中で、日本人が一般にイメージする「知勇兼備」にもっとも近いのがこの張コウです。袁紹が強豪を誇った公孫一族を倒せたのは実に彼の働きあってのこと。 魏将としても呉蜀の武将達と戦い、堂々たる用兵ぶりを披露しています。曹叡が後漢の名将蔡遵に譬えているように、戦に強いばかりでなく儒者を保護し、独自の情報網で蜀軍の兵糧を完全に把握しているなど知将としての側面を兼ね備えています。正史に「変数を識る」とあるように、野戦司令官としてはトップクラスの知者ですね。演義で貶められた彼の最期も、実は司馬懿の戦下手(退却する蜀軍の追撃を諫止する張コウに命じる)が原因です。彼こそまさに「悲劇の名将」です。(03.1.6) |
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こう 殿 |
個人的に好きな武将や。功績は張遼より上や。もらっとった俸禄(戸数)がそれを物語っとる。しっかし「三國無双」の張コウは何であんなにきしょいねん。がっくしや。(03.4.5) |
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パルチザン殿 |
魏の五将軍で一番は誰かと聞かれれば私は張コウを挙げたいですね。事実並々ならぬ強豪相手に11連勝している事実はもちろん張コウが立てた計略は計略どおりに行かないことが一度もなかったといいます。そういった意味で曹操並みに戦の上手い人物だと思います。曹操が張コウを韓信になぞらえたのも充分頷けますね。(03.4.25) |
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那鈴 殿 |
司馬懿が張コウを殺したのは、やはり天然だったと思います。何故なら、その時張コウは老人。また、司馬懿はその当時野心はなかったみたいですから。もしかして、司馬懿は張コウを「戦場で死なせてあげたかった」んじゃないでしょうか? あと、張コウは結構ミスも多いんですね・・・ 王平や張飛の戦いなどから、徐晃には劣っていたような気もします。魏の5将軍一の知勇兼備は、徐晃だと思うようになりました。徐晃は無敗のうえ、ミスがないですからね。あと、司馬懿は始めはそれほど、戦上手ではなかったものの、諸葛亮との戦いを通じ、どんどん成長していった気もします。(03.10.11) |
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耶麻爺 殿 |
個人的には三国志の人物中で一番好きなのは張コウなので多少の贔屓目があるやもしれませんが、私は張コウと徐晃は純粋な軍事能力、と言う意味では互角かやや徐晃の方が上、でトータルでは儒学を愛し、郷里の人物を学者に推薦した張コウがバランス的に優れているかな?と思っています。 ちなみに張飛と王平の件についてですが、これは張コウのミスと言うよりも相手も相応の人材であった点や状況面における影響等が挙げられます。張飛は言わずもがなですし(個人的には蜀将の中で軍事的才能と言う意味では彼がトップかな、と思ってます)、あの時張コウは不慣れな土地で住民の移住を行いながら並行して張飛と対峙する、と言う状況にありました。張飛の大勝のように書かれていますが、漢中に戻った張コウに新たな将軍号が送られていることを考えると任務自体はきちんと遂行していた、と考えられます。こうなると張飛との戦いは退き際を見計らった上で相手の攻勢に乗じて退却したもの、と言う見方も成り立つのです。 王平に関しても蜀の五将軍に比べたら地味かもしれませんが、防衛線に関しては一度も負け無し、と言うスペシャリストな訳ですから特に問題は無いと思います。街亭の時の王平の指揮は見事ですが、防衛本体(馬ショク軍)を潰した時点で勝敗の帰趨は明らかであり、そこでしゃにむに突っ込んでは猛将かも知れませんが名将とは言い難いと思います。何より、第一次の北伐では未だ蜀軍全体の規模等が把握しきれない時期ですから、慎重に行動した張コウの行動から彼の冷静さと言うものが読み取れると思います。 ただ、実際魏の五将軍はいずれも甲乙つけがたいですね。タイプ的には張コウ、徐晃が知勇兼備、張遼は勇猛な将軍、干禁は防衛のスペシャリスト、楽進がやや目立つ記述が少ないかな・・・? (03.11.30) |
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韋孝寛 殿 |
演義では負けの目立つ彼ですが、正史を紐解くと戦場往来数十年の戦歴の中で、なんと彼を打ち負かしたのは張飛と諸葛亮のみなんですよ。逆に彼の伝には撃破した相手の名前がズラズラあります。正に一級の指揮官と云えます。(04.11.01) |
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伯拓 殿 |
「三國無双」での彼のグラフィックは僕も心配です。小説を読んでいる限りではどちらかというと男臭い部類に入るはずなのに、あんなスト2のバルログみたいな姿にされちゃって・・・コーエーもバルログをどうしても使いたかったのなら、せめて「美周郎」あたりに当てはめれば良かったのでは?(04.11.1) |
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田楽 殿 |
「曹魏は人材の宝庫」とよく言われますが。実は、叩き上げの軍人で、曹操の親族や名士と同等の地位にまで登り詰めたのは彼一人なのですよね。(曹操が王のまま死んだ事もありますが) これについては、同じ降将の徐晃や、張遼などは、功積を上げる事での難を身を慎む事で避けた感があります。秦の王センは功を立てる都度に始皇帝に金銭を要求する事で難を避けましたが、下手な小細工を嫌う曹操相手には確かにその方が有効でしょうね。 張コウは、そんな中をただ一途に、死ぬまで出世街道を駆け抜けました。処世術としては確かに失敗で、その為に司馬懿に罠に嵌められたのかもしれません。ですが、その司馬懿の目から見てさえも、彼はとても気持ちの良い武将だったのではないでしょうか。(05.3.18) |
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潮風 殿 |
この人は一騎打ちも含め本当に戦う相手が悪いですね^^; それなのに負けが少ない。私としては「負けない将」ほど評価できるものです。負けないということは勝ちにつながりますからね。・・・しかし、皆さんもおっしゃってますが「三国無双」での扱いは一体・・・魏延と一緒に墓の底から泣いていることでしょう。(05.11.12) |
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ひひる大木 殿 |
自分にとっての正史は故横山氏の三国志なんで、彼の場合はどうしてもやられ役というイメージしか浮かばない。曹洪に息巻いて出陣したわりに、張飛に完膚なきまでにやられているし、最期はマイナーな馬忠に殺されるし。(06.4.23) |
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今典厩 殿 |
曹一族でもないのに車騎将軍まで昇進しています。五大将の実質的筆頭はこの人ですね。封建的な体質が根強かった時代ですから同じ格式の曹洪とほんとうに同格とみられていたかは疑問ですが、張遼が前将軍どまりだったのに比べて戦歴が長いとはいえ、その実力はかなり高いと言えると思います。(06.8.16) |
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