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17歳の頃からサンボを始め、祖国のサンボ選手権重量級で輝かしい戦歴を残す。1992年、前田にスカウトされてリングスに参戦し、デビュー戦でいきなりライバルのハンと対戦。リングスマット史上に残る名勝負の末にレッグロックで勝利を収め、一躍脚光を浴びる。その後エカテリンブルグでサンボのトレーナーをするかたわら、リングスにも常連として参戦を続ける。一時期は前田道場に住み込み、山本、成瀬らにサンボの技術を指導したこともある。 95年には3度目の対決にして前田を破るなど、実績は申しぶんないがその反面、打撃への対応が甘かったり、無気力なファイトを見せることも多く、ランキング上位にはなかなか食い込めなかった。だが、99年に開催されたKOKトーナメントでは、その真の強さを発揮。1回戦でカステル・ブランコ、2回戦でリカルド・フィエートをともに秒殺し、決勝トーナメント進出を果たす。 決勝トーナメントでは、あのアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦。1Rではグラウンドでノゲイラを圧倒する場面も見せたが、2Rでスタミナ切れを起こし惜しくも判定負け。バテバテになりながらも、最後までノゲイラに関節を極めさせなかった。のらりくらりとノゲイラの攻撃を受け流すさまは、カンフー映画の「酔拳」を思わせた。(2000.6.1) |