1988年 10月19日
ロッテ vs 近鉄 最終戦(25、26回戦)
−川崎球場−
 
昭和最後の年…日本中が感動した日

この年、セ・リーグではすでに中日が優勝を決め、
パ・リーグでは2年連続日本一の西武ライオンズが、首位を独走していた。

しかし8月後半から、突如8ゲーム差を一挙に縮めて西武を猛追したのが近鉄である。
この日組まれたロッテとのダブルヘッダーに連勝すれば、
すでに全日程を終了している西武を追い抜いて8年ぶりの優勝を飾る。
一方、ロッテはこの前日まで、対近鉄戦8連敗を喫しており、
すでに最下位も確定していた。
だが、プロとして目前の胴上げだけは許すわけにはいかない。
両軍の意地と意地をかけた7時間半の死闘を、ここに再現する。



この日、川崎球場のスタンドの8割は近鉄ファンで埋まった…
もちろん超満員である。球場の外には、
入場できない人たちでごったがえしていた。
当事高校生であった私は、学校が終わってから球場に駆けつけた。
「いつもより少し混んでいるかな」ぐらいに軽い気持ちで行ってみたら
物凄い人手に呆然(笑)。当然、入場もできなかったはずなのだが、
この球場の地理は知り尽くしていたので、
秘密の通路(?)から侵入に成功。
入ってみると、1塁側はまだ多少の余裕があったので
いつもの1塁側内野スタンドで、歴史的な試合を観ることができた。


−1回裏−

プレイボール。

第1試合、ロッテ先発は小川博、近鉄は小野和義であった。
静かな立ち上がり…と思われたが、試合は早くも動いた。
初回、3番の愛甲がいきなり先制の17号2ランを放ったのである。
この瞬間、球場全体が重苦しい雰囲気に包まれた。

  



一方、この年奪三振王に輝いたロッテ・小川博の調子は抜群であった。
カーブは大きく弧を描き、シンカーは面白いように落ちた。
近鉄打線は、この大事な試合で4回までパーフェクトに抑え込まれていた…。
これでは仰木監督も打つ手がなく、
近鉄ベンチも応援団も意気があがらなかったが…
 

−5回表−

5回2死から鈴木貴久がレフトスタンドへ第20号ソロを放ち、1点差に!
これが近鉄初ヒットとなり、一気に追い上げムードが高まる。
鈴木は、実は故障続きで最悪の体調だったが、
痛み止めの薬を飲んでの一打であった。

しかし、ロッテも負けてはいない。
7回裏に佐藤健一(現・兼伊知と改名、コーチ)の
タイムリーで1点追加し、リードを広げる。  


−8回表−

 

8回表の近鉄は、ようやく小川を捉え始め、
1死1、2塁という初めてのチャンスを迎える。
ここで代打として起用されたのは、若武者・村上嵩幸。
村上が素振りをするとき、バックネット裏には
ケガで登録を抹消されている金村の姿があった。

打席に入った村上は、執念でボールをとらえた。
左越の2点タイムリー!

近鉄、ついに同点に追い付く!
この年、後半はスタメンを外れることの多かった村上。
2塁ベース上で何度何度も何度もガッツポーズをする!
スタンドもベンチも狂喜乱舞であった。 




そして9回の攻防へ…(続きを見る)  川崎球場記念館TOP

データ及び画像の無断転載を禁ず。/哲坊