川崎球場記念館
SAKISTA KINENKAN


川崎球場…1978(昭和53年)〜1991年(平成3年)まで、
ロッテオリオンズ(現・マリーンズ)の本拠地だった球場。
「狭い、汚い」といわれたこの球場にも、数々のドラマがあった…。

 

  スタンド在りし日の球場の様子

  フリーマーケット(2000.2.6)

  さよならイベント(2000.2.26)

  横浜vsロッテ オープン戦(2000.3.26)

  その後の川崎球場―「跡地」散策(2001.6.10)

  '88年10月19日 ロッテvs近鉄(1988.10.19)

  村田兆治 引退試合(1990.10.13)


川崎名手列伝

  村田 兆治

  園川 一美

  西村 徳文

  愛甲 猛

  高沢 秀昭

  上川 誠二

  フリオ・フランコ 川崎ではないけど…

◆川崎球場…1952年(昭和27年)に神奈川県と川崎市の出資で開場。当時の名称は川崎スタジアム。52年4月3日にプロ野球の公式戦(大映―東急)が初めて行われる。54年に高橋ユニオンズが本拠地として使い、55年からは大洋が本拠地とした。60年8月11日に島田源太郎(大洋)が阪神戦で完全試合を達成。この年大洋が優勝し、10月には初めて日本シリーズが開催された。63年には川崎球場と改称され、76年7月23日には王貞治(巨人)が通算700号を記録した。

大洋が横浜スタジアムへ移り、78年から91年(平成3年)まではロッテの本拠地に。80年5月28日に張本勲(ロッテ)が阪急戦で史上初の3000本安打を達成。88年10月19日のロッテ―近鉄ダブルヘッダーの第2試合で8回にロッテが同点に追いつき引き分けで近鉄の優勝を阻止した激闘は記憶に新しい。91年、14億円をかけて人工芝、電光掲示板に改装され「テレビじゃ見れない川崎劇場」のキャッチコピーが好評だった。(翌92年から、ロッテは本拠地を千葉に移す)川崎球場は、2000年6月からスタンドが取り壊されたが、グラウンドはそのままの状態で残り、解体作業が終わる10月から運営が再開されている。


有志の方々が夢を実現(2000.3.26)


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