1988年 10月19日

ロッテ vs 近鉄 最終戦(25、26回戦)
其の3

 

この日、南海のダイエー身売りに続いて、
阪急がオリックスに身売りというビッグニュースが流れ、野球界を震撼させた。
このため、世間の関心はすっかりそちらへ奪われた観がある。

しかも、当時のパ・リーグはただでさえ扱いがひどかった。
当然この試合もテレビ中継の予定はなく、
近鉄の追い上げも、熱狂的なパ・リーグファンにこそ知られていたものの、
世間ではごく普通の消化試合、といった認識であった。

しかし、第2試合の途中、放映権のあるテレビ朝日が英断を下した。
ドラマを中断し、突如として午後9時からCMなしの中継を始めたのである。

この異様な熱気を放つ試合は、プロ野球に関心のない人々までも引き込み、
当日の視聴率は関東地区で30%、
関西地区ではなんと46%という数字を弾き出した。


第2試合

20分のインターバル後、第2試合が開始された。
第1試合の余韻覚めやらぬ中、両軍のスタメンが発表されていく。
先発はロッテは3年目の園川、近鉄はルーキーの高柳であった。

 

両軍のスタメン。
ロッテ園川は10勝15敗 防御率4.34。
一方の高柳はルーキーながら6勝6敗 防御率3.44という成績であった。


−1回裏−

先制したのは、またしてもロッテ。
大リーグで首位打者に4度輝いた実績を持ちながら
打率.257 本塁打16という期待はずれな成績に終わった5番打者・マドロック。
この大事な試合で、この一発である。
ロッテファンの私も複雑な心境になった。

球場はすっかり近鉄ファンで埋まってはいたが、
さすがは本拠地、2割ほどだったがロッテファンもいた。
近鉄ファンの応援に負けじと、必死の応援を続けていた。
いつもは静かに観ることが多かったのだが、
この日ばかりは、異様な熱気に後押しされて、
席を立ちながら選手へコールを送り、いつしか声を嗄らしていた。



一方の近鉄は5回まで、園川の前にわずか2安打と意気上がらず。
三振の判定にキレかかった中西コーチが審判に詰め寄る。
険悪なムードが漂いはじめた。


−7回表−

なんとか6回に1点を返した近鉄。
追加点が欲しい7回裏、14年目のベテランのバットが火を吹いた。

前日の18日に、今季第1号を放ったばかりの吹石徳一が、
レフトスタンドに第2号ソロを叩き込んだのである。
この年、3回も2軍に落ちたこの男は、
怪我で欠場中の金村に代わって出場していた選手であった。
中西コーチは、感極まって泣いていた。
 


続いて、ここまで打率.190の守備の人、
2年目の真喜志が3号ソロ。
伏兵2人の連続ホームランに、
勝利の女神は近鉄に微笑み始めた…かに見えた。


 

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