そうこうしているうちに…出てきてしまいました。ここの番人のインド人が(笑)。ネット上の情報によれば、このインド人は仕事熱心で、興味本位でここを訪れる人には非常に厳しいと評判である。中に入れずに追い返された人も多いとか。なるほど、こうして見ると確かに、ビジュアル的に「ドラゴン怒りの鉄拳」に出てくる意地悪インド人にも似ている(笑)。髭とターバンの風貌もいかす。
「怒りの鉄拳」の意地悪インド人
しかし、どうもフレンドリイな様子である。建物の方を示して、何事かを英語?でしゃべっている。「いい部屋を用意するよ」などと言っているらしい。あ、そうか。我々は彼にしてみれば「お客様」なんだな(笑)。きっと、大勢とか男同士で来た場合は駄目なのだろう。とりあえず、「ハウマッチ?」と聞いてみるが、どうも通じないらしい。きっと「いい部屋を用意するよ」しか英語を知らないのだろう。「まあ、入りたまえ」という具合に我々を入口まで案内する。私も笑みを返しながら、インド人の後に続く…。
が、我にかえる。他に回らなければいけないところもあるし、今回は予算も厳しい。それに中の様子は、九龍小姐というHPで女性管理人がすでに紹介してくれている。かつての生活の面影はなく、品のない家具が置かれていて「トホホ」な様子だった。外観だけでも「トホホ」なのに、中に入ったらもっと悲しくなってしまうだろうから、入らないつもりで来たのだった。私は「ノー・サンクス」と(燃えよドラゴン風に)告げ、残念そうな顔でこちらを振り向くインド人を尻目に踵をかえした。でも…やっぱりちょっと入っておくんだったと後で思った。
そして、ブルース・リー邸のすぐ隣がチョウ・ユンファ邸。本当に、塀をはさんだすぐ隣。しかし、まだここにユンファが住んでいるのかどうか、いまいち確信が持てなかったので、道路をはさんだ向かいの家の住人に尋ねてみた。どうも引越しの最中だったようで、折りよく家人が出てきていたのでタイミングもよかった。「ここはチョウ・ユンファずハウスですか?」と尋ねると、
「ああ、そうだよ。そして、隣がリ・ショウロン(李小龍)が住んでいた家さ」
という意味の言葉を、笑いながら答えてくれた。金持ち風の中年おじさんは、日本語も多少は話せるようだった。「ああ、やっぱりそうなんだ」と感激し、礼をいってここぞとばかりに記念撮影をする我々。しかし、私は何よりも地元の人、それも向かいに住んでいる人の口から「ここは李小龍が住んでいた家さ」という台詞が聞けたことに物凄い感動を覚えた。すると、この人はもしかしたら若い頃にブルース・リーに会ったことがあるのかもしれない…もう少し話を聞いてみようかと思い直したが、残念ながらすでに彼は家の中に戻ってしまった後だった。ああ、さっき興奮しないで、もっと話をちゃんとするべきだった。かなり後悔。その後、建物の裏の路地に入ってみたが、薄汚い高い塀が延々と続いているだけで、中の様子を伺うことはできなかった。すぐ後ろは九廣鉄道(香港と中国本土を結ぶ鉄道)の線路になっていて、住む人にとっては電車の音がややうるさそうだった。高級住宅地とはいえ、こういう環境なのだ。香港の住宅事情を垣間見た気がする。
しかし、こうして彼の家(だった建物)を訪れてみると、間違いなくブルース・リーはこの香港に存在していた人だったんだなあ…という実感が湧いてきて嬉しくなった。何しろ「燃えよドラゴン」で日本人がその存在を認めた1973年当時、彼はすでにこの世にいなかった。私も生まれて間もなかったし、物心ついてから映画で目にした彼の存在は「伝説上の人」という位置付けでしかなかった。ジャッキー・チェンが実在のスターならば、ブルース・リーは神話の中のヒーロー。ウルトラマンや仮面ライダーにも似た存在であった。しかし、今日ここに来たことで、ブルース・リーは間違いなく、実在したスーパースターという認識に変わった気がする。
香港が世界に誇れる英雄のはずなのに…
同時に、分かっていたことではあったけど、どうしようもない悲しみに包まれもした。どうして、そのスーパースターの家がこんな目に遭わねばいけないのだろう。ブルース・リーは、ハリウッドで初めて成功した東洋人の映画俳優であり、またカンフーを世界中に広めた偉大なる武術家のはず。彼の存在がなければ、その後のジャッキー・チェンやジェット・リーだって世界に認められたかどうかも分からない。香港にとってはかけがえのない存在のはず…それなのに、この冷遇ぶりは一体何だ。隣に住み着いたチョウ・ユンファだってがっかりしたんではなかろうか?
一時期、記念館を造るという話もあったが、一行に進まぬまま30年が経ってしまった。そして、せっかくの遺産であるこの家も、価値ある観光スポットにできたかもしれないのに趣味の悪いラブホテルにされてしまった。まあ、観光スポット化するのを近隣の住民が反対したのかもしれないし、縁起の悪い家だから買い手もつかなかったのかもしれない。香港政府が買い取ればよかったとよく言われるが、愛人宅で死んだことや麻薬の噂があったブルース・リーに対し、政府は良いイメージを持っていなかったのかもしれない。それにしたって、中国のどこかにはブルース・リーのミュージアムが作られたらしいのに…本家香港のこの扱いはなんたるザマだろう? 日本とアメリカでは遺作の完全版ともいえる「死亡的遊戯」が作られたが、香港では作る気配すらなかった。先に書いたカイタック空港といい、九龍城といい…良し悪しは別としても、香港の象徴といえたものだって今は跡形もない。香港人は、後ろを振り返らない人種なのだろうか?
まあ日本でも、黒澤明記念館や寅さん記念館はあるが、志村喬記念館はない。海外では「グレート志村」として名が轟いている志村喬を、映画好きの日本の若者のほとんどが知らないという現象がある。過去を振り返らない傾向は日本人とて同じかもしれないが、香港のDVDショップにはブルース・リーの作品が、ちゃんと前の方にズラリと並んでいるのである。それに、何軒かは未だにブルース・リーのグッズやポスターなどを主力商品として売る店もある。ゲーセンの「ストIIシリーズ」でフェイロン(ブルース・リーをモデルにした格闘家)を選んでプレイしている若者も見かけたぐらいだ(笑)。民間レベルでは死後30年を経た今だって、まだまだ人気があるのだろうが、政府や映画会社がだらしないからこうなってしまったのだ。家をあんな風にしてしまったらもう改装のしようもない。どうしようもなく勿体無い。怒りを通り越して悲しくなってしまった。
それでも、ブルース・リー邸を生で見た私の興奮は覚めやらず、その夜はなかなか寝付けなかった。ようやく眠りに落ちた頃、枕もとにブルース・リーが降り立ち、私をあの家に連れて行って固い握手をしてくれた記憶は、夢とはいえ決して忘れないだろう。
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