李小龍 ブルース・リー旧宅

香港衝動的旅行 ブルース・リーと関羽を訪ねて<その2>


ブルース・リー邸のいま
 



高級住宅街であり
ラブホテル街でもあるカオルーントン(笑)
 

九龍塘(カオルーントン) AM 10:30

 さて、30分ほど歩いて、今回の旅の最大の目的地であるカオルーントンに着いた。ここには何があるのかというと、熱心なファンならみんな知ってる。そう。あの伝説のヒーロー、ブルース・リーの住んでいた家が現存するのだ。ところがこの家、日本でも小さくニュースで取り上げられたのでご存知の方も多いとは思うが、今はなんとラブホテルにされてしまっている(悲)。すでに、日本のブルース・リーファンも現地を訪れて何人かがHPで紹介しているが、私も1度はこの目で見ておかねばならないと思っていた。いや、ラブホテルにされてしまった家なんて見るのは、本当は気が重いのだが…(笑)。ここまで来た以上は行かねばなるまい…。



「酒店」というのはホテルや宿の意味。
しかし、ラブホテルまで「酒店」とは…(笑)

ラブホテルの真横に堂々と幼稚園が…
うーん香港人の感覚はわからん

 ここは、東京でいう田園調布のような高級住宅街で、閑静な街並みに高そうな家が軒を連ねる。しかし、その間間に「酒店」の文字を大きく掲げた建物も沢山建っている。これは、みーんな連れ込み旅館、上品にいえばラブホテルである。独特のいかがわしさが漂ってくる。さて、この中から「ブルース・リー邸」を探さねばならない。最寄駅はネット上の情報で分かっているものの、詳しい場所は知らない。「羅曼酒店」(ロマンスホテル)という名前だけは分かっているものの…。まあ、探し歩いてみるのもなかなか楽しいかもしれない。

 10分ほど歩き回るも…ない。しかし、どこを歩いても「酒店」にぶつかる。酒店の門番や庭の清掃をしているのはインド人ばかりだった。やはり、土地を持っているのはイギリス人が多いのだろうか。途中、一軒の酒店の駐車場にいたインド人に「羅曼酒店」と紙に書いて見せた。場所を聞こうとしたのだが、インド人は後ろの建物を指さして「ここで休んでいったら?」と営業スマイル。違うんだってば。まあ、確かに2人でこんな街をうろうろしていたら、休憩する場所でも探しているんじゃないかと思われるのだろうけど(笑)。

  その後、道路工事の兄ちゃんや、軒先でベンチに腰掛けていた婆ちゃんに「羅曼酒店」の文字を見せて聞き込みをしながら歩く。婆ちゃんは、古いカンフー映画にでも出てきそうな佇まいの渋い老婆で、昔からこのあたりに住んでいた気配があった。もしかしたら昔、生のブルース・リーを見ているかもしれない。英語は通じなかったが、身振り手振りでそんなことを考えながらコミュニケーションをとった。そんなこんなで、金巴倫道という通りに出て北上し、一本道を歩いて行くと…。


あっ、あれは正に!

今まで、ブルース・リーのドキュメンタリー映画や本で何度も目にした
あの壁が、私の視界に飛び込んできたではないか。
 


うむ、間違いはない。門の横の数字は41。
41番地という意味だ

しかし…よくもまあ、こんな趣味の悪い色と
模様にしてくれやがったものだなあ(怒)

タクシー歓迎、休憩は6〜7割のお得な料金…
訳すとこんなところか。うう…

看板の裏側は壊れたのか、文字がなかった。
ちなみに隣はブライダル用のフォトスタジオらしい(笑)
 

 31年前の1972年7月。当時人気絶頂だったブルース・リーはジョギング中に「栖鶴小築」という名がついていたこの家を見つけ、購入した。そして11月から家族とともにここに移り住み、翌年32歳で死去するまでの9ヶ月を過ごした。行ってみて感じたのだが、想像したよりも小さかった。しかし、狭い上に土地の高い香港では、宮殿にも等しい邸宅だったといわれる。愛犬も飼っていた。部屋数は11で、自慢のトレーニングルームもあった。この門と建物の間は小さな日本庭園になっており、つき当たりには赤のメルセデスベンツが止まっていた映像が、ビデオなどで紹介されている。(下写真参照)

当時の写真(「ブルース・リーの生と死」より)

外観の門や壁の形は
当時の面影をとどめている
 

建物の窓は今はふさがれているが、
形にだけ面影がある。
愛車の赤いベンツが止まっていた

建物側から門の方を見た図。
日本庭園と壁画がわずかに見える
 



 長年行きたいと思っていた場所の前に立てただけでも感動し、しばらくの間眺める。ああ、ここにブルース・リーが住んでいたんだなあ…。そう思うと居てもたっても居られず、おもむろに門をくぐってしまう自分がいた。

 


内部へ進入。かつて赤いベンツが
止まっていたあたりに守衛室があるようだ。
インド人の門番がいるはず

左のカーテンを抜け、駐車場を撮影。
建物の外観もこんなに変わってしまい、残念である
ちなみに、左に見える建物は現チョウ・ユンファ邸

駐車場から後ろの外壁を振り返ると、例の壁画が。
これは、当時のまま残されているようだ。
(当時の映像でも、かすかに確認できる)
ブルース・リーもこの壁画を見ていたんだろうなあ。


 そうこうしているうちに…出てきてしまいました。ここの番人のインド人が(笑)。ネット上の情報によれば、このインド人は仕事熱心で、興味本位でここを訪れる人には非常に厳しいと評判である。中に入れずに追い返された人も多いとか。なるほど、こうして見ると確かに、ビジュアル的に「ドラゴン怒りの鉄拳」に出てくる意地悪インド人にも似ている(笑)。髭とターバンの風貌もいかす。

「怒りの鉄拳」の意地悪インド人


 しかし、どうもフレンドリイな様子である。建物の方を示して、何事かを英語?でしゃべっている。「いい部屋を用意するよ」などと言っているらしい。あ、そうか。我々は彼にしてみれば「お客様」なんだな(笑)。きっと、大勢とか男同士で来た場合は駄目なのだろう。とりあえず、「ハウマッチ?」と聞いてみるが、どうも通じないらしい。きっと「いい部屋を用意するよ」しか英語を知らないのだろう。「まあ、入りたまえ」という具合に我々を入口まで案内する。私も笑みを返しながら、インド人の後に続く…。

 が、我にかえる。他に回らなければいけないところもあるし、今回は予算も厳しい。それに中の様子は、九龍小姐というHPで女性管理人がすでに紹介してくれている。かつての生活の面影はなく、品のない家具が置かれていて「トホホ」な様子だった。外観だけでも「トホホ」なのに、中に入ったらもっと悲しくなってしまうだろうから、入らないつもりで来たのだった。私は「ノー・サンクス」と(燃えよドラゴン風に)告げ、残念そうな顔でこちらを振り向くインド人を尻目に踵をかえした。でも…やっぱりちょっと入っておくんだったと後で思った。

 そして、ブルース・リー邸のすぐ隣がチョウ・ユンファ邸。本当に、塀をはさんだすぐ隣。しかし、まだここにユンファが住んでいるのかどうか、いまいち確信が持てなかったので、道路をはさんだ向かいの家の住人に尋ねてみた。どうも引越しの最中だったようで、折りよく家人が出てきていたのでタイミングもよかった。「ここはチョウ・ユンファずハウスですか?」と尋ねると、

「ああ、そうだよ。そして、隣がリ・ショウロン(李小龍)が住んでいた家さ」

 という意味の言葉を、笑いながら答えてくれた。金持ち風の中年おじさんは、日本語も多少は話せるようだった。「ああ、やっぱりそうなんだ」と感激し、礼をいってここぞとばかりに記念撮影をする我々。しかし、私は何よりも地元の人、それも向かいに住んでいる人の口から「ここは李小龍が住んでいた家さ」という台詞が聞けたことに物凄い感動を覚えた。すると、この人はもしかしたら若い頃にブルース・リーに会ったことがあるのかもしれない…もう少し話を聞いてみようかと思い直したが、残念ながらすでに彼は家の中に戻ってしまった後だった。ああ、さっき興奮しないで、もっと話をちゃんとするべきだった。かなり後悔。その後、建物の裏の路地に入ってみたが、薄汚い高い塀が延々と続いているだけで、中の様子を伺うことはできなかった。すぐ後ろは九廣鉄道(香港と中国本土を結ぶ鉄道)の線路になっていて、住む人にとっては電車の音がややうるさそうだった。高級住宅地とはいえ、こういう環境なのだ。香港の住宅事情を垣間見た気がする。

 しかし、こうして彼の家(だった建物)を訪れてみると、間違いなくブルース・リーはこの香港に存在していた人だったんだなあ…という実感が湧いてきて嬉しくなった。何しろ「燃えよドラゴン」で日本人がその存在を認めた1973年当時、彼はすでにこの世にいなかった。私も生まれて間もなかったし、物心ついてから映画で目にした彼の存在は「伝説上の人」という位置付けでしかなかった。ジャッキー・チェンが実在のスターならば、ブルース・リーは神話の中のヒーロー。ウルトラマンや仮面ライダーにも似た存在であった。しかし、今日ここに来たことで、ブルース・リーは間違いなく、実在したスーパースターという認識に変わった気がする。

 
 香港が世界に誇れる英雄のはずなのに…

 同時に、分かっていたことではあったけど、どうしようもない悲しみに包まれもした。どうして、そのスーパースターの家がこんな目に遭わねばいけないのだろう。ブルース・リーは、ハリウッドで初めて成功した東洋人の映画俳優であり、またカンフーを世界中に広めた偉大なる武術家のはず。彼の存在がなければ、その後のジャッキー・チェンやジェット・リーだって世界に認められたかどうかも分からない。香港にとってはかけがえのない存在のはず…それなのに、この冷遇ぶりは一体何だ。隣に住み着いたチョウ・ユンファだってがっかりしたんではなかろうか?

 一時期、記念館を造るという話もあったが、一行に進まぬまま30年が経ってしまった。そして、せっかくの遺産であるこの家も、価値ある観光スポットにできたかもしれないのに趣味の悪いラブホテルにされてしまった。まあ、観光スポット化するのを近隣の住民が反対したのかもしれないし、縁起の悪い家だから買い手もつかなかったのかもしれない。香港政府が買い取ればよかったとよく言われるが、愛人宅で死んだことや麻薬の噂があったブルース・リーに対し、政府は良いイメージを持っていなかったのかもしれない。それにしたって、中国のどこかにはブルース・リーのミュージアムが作られたらしいのに…本家香港のこの扱いはなんたるザマだろう? 日本とアメリカでは遺作の完全版ともいえる「死亡的遊戯」が作られたが、香港では作る気配すらなかった。先に書いたカイタック空港といい、九龍城といい…良し悪しは別としても、香港の象徴といえたものだって今は跡形もない。香港人は、後ろを振り返らない人種なのだろうか? 

 まあ日本でも、黒澤明記念館や寅さん記念館はあるが、志村喬記念館はない。海外では「グレート志村」として名が轟いている志村喬を、映画好きの日本の若者のほとんどが知らないという現象がある。過去を振り返らない傾向は日本人とて同じかもしれないが、香港のDVDショップにはブルース・リーの作品が、ちゃんと前の方にズラリと並んでいるのである。それに、何軒かは未だにブルース・リーのグッズやポスターなどを主力商品として売る店もある。ゲーセンの「ストIIシリーズ」でフェイロン(ブルース・リーをモデルにした格闘家)を選んでプレイしている若者も見かけたぐらいだ(笑)。民間レベルでは死後30年を経た今だって、まだまだ人気があるのだろうが、政府や映画会社がだらしないからこうなってしまったのだ。家をあんな風にしてしまったらもう改装のしようもない。どうしようもなく勿体無い。怒りを通り越して悲しくなってしまった。

 それでも、ブルース・リー邸を生で見た私の興奮は覚めやらず、その夜はなかなか寝付けなかった。ようやく眠りに落ちた頃、枕もとにブルース・リーが降り立ち、私をあの家に連れて行って固い握手をしてくれた記憶は、夢とはいえ決して忘れないだろう。


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