ファミコン誕生20周年&ファミコン生産打ち切り記念?

ファミコンの思い出を語る


<任天堂 ファミコン、9月に生産終了>
全世界で計1億1000万台を送り出した任天堂の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」と
「スーパーファミコン」の本体生産が、部品の確保が難しくなったため、
9月で終了することが30日、明らかになった。
ファミリーコンピューターは83年7月に1万4800円で発売され、
「スーパーマリオブラザーズ」が世界的に大ヒットするなど、6200万台を出荷。
90年11月には「スーパーファミコン」(2万5000円)が
次世代機として登場、4900万台を出荷した。北米ではゲーム機自体が「NINTENDO」と呼ばれ、
同社の世界ブランド化に貢献した。86年には「ファミコン」が、流行語になるなど社会現象となった。
同社は現在、後継機「ゲームキューブ」に主力を置いている。(2003年5月30日毎日新聞)

<ファミコン受注生産を中止 任天堂、部品調達難で>
任天堂は30日、家庭用ゲーム機の火付け役となった「ファミリーコンピュータ」と、
後継機の「スーパーファミコン」の受注生産を今年9月に打ち切ることを明らかにした。
同社は「顧客の要望に応えて製造を続けてきたが、部品確保が難しくなったため」としている。
ファミコンは1983年の登場から20年。
日本のゲーム文化を定着させた機種だけに惜しむ声も聞かれそうだ。
同社は両機種の量産販売を打ち切っているが、対応するゲームソフトで
遊びたい人も多いことからファミコンは7000円、スーパーファミコンは7800円で
小売店経由で注文を受けてきた。2002年度の出荷台数はファミコンが約6万台、
スーパーファミコンも約1万台と根強い人気がある。(2003年5月30日 共同通信)


1983年11月に購入したファミコン本体とその3年後に購入したディスクシステム。
今は起動させることはないが、まだ現役。
 写真をクリックすると本体を拡大表示します


「ファミリーコンピュータ」という正式名称が、
死語となってからどれくらい経つのだろうか…
ファミコンが誕生したばかりのとき、本体を買ってもらえなくて
「ドンキーコングJr.」のソフトだけを小遣いで購入し、
押し入れにこっそりしまった小5の夏。
そして、両親には内緒のまま祖父に泣き付き、
ようやくデパートで本体を買ってもらった11月の寒空。
テレビとの接続が自分でできなくて、親父もできなくて、
近所の電気屋のおじさんに電話したあの日。
そんな思い出と、数々のソフトの映像やBGMが、
走馬灯のように頭を駆け抜けます。

今回の生産中止の報を受けて、
誕生から見守ってきた者としては寂しいが、これも時代の趨勢か…。
花札メーカーの「任天堂」は、いまや「世界のNINTENDO」になってしまったから。

上写真のファミコンも、何十年かしたら骨董品扱いになるのだろうか。
(黄ばみとシールのせいで駄目かな。
それでも、これは私にとっては無二の宝物)

このページ、「大きな古時計」もしくは「ドンキーコング」の
タイトル画面BGMを口ずさみながらご覧ください(笑)。
皆さんの投稿、お待ちしています。 (03.6.2 哲坊)



初期の四角ボタンコントローラ。押しすぎてAボタンがもげてしまい、セロテープで補強してある(笑)。
ボタンがゴムだったので、シューティングなどの連打ゲーには不向きだった。

左のコントローラに代えて、接続し直した後期の丸ボタンコントローラ。「ファミ通」の付録についていた『しあわせのかたち』シールが貼ってある(笑)。


アントニオ

とうとうこの世の中からファミコンと名が付くゲーム機の製造が終わりを告げることになりました。ゲームキューブには本当はファミコンの名を継承してもらいたかったんですが、次世代ではファミコンの名が復活するでしょうか?

GVJ

なんとも残念。今はまだ需要があるだけに…近所のゲームを扱っている本屋などはどこでもFCソフトのコーナーを設けてますからね。これを機にFCソフトなどが高騰するのではないかと気にかかります。
私のファミコンデビューは任天堂の「レッキングクルー」でした。中古でも殆ど見かけないこのソフト。色んな所に行ったりきたりでソフトはだいぶ汚れていますが、今でも大事にしております。ファミリーコンピューター生産中止ですが、任天堂はSFCのあと、64・ゲームキューブがあまりあたっていないので、結局何年か経って「再販」という事態になることを期待しておりますが…下記サイトでの復活希望も増えそうですね。
http://www.tanomi.com/metoo/rank.html?catid=263

蘭土

アントニオさんと同じく、私もあの「ファミリー」というほのぼの感が好きだったので、ゲームキューブは少し残念(もってないけど)でした。近所のBOOK OFFには、FC、SFC本体はもちろん、ソフトもたくさん置いてあります。全部中古なわけですが、かくゆう私も去年SFC本体を買いました。(持ってたものが壊れてて、どうしてもやりたいソフトがあったので) PSをやってると、たまにあの読み込みのいらないSFCが恋しくなってくるんですよね。FCはほとんどやったことがないですが、やはり寂しいですね。

ハガネ

ファミコンは製造されなくなりますが、私はまだまだファミコンソフトのレビューをして、その歴史を語り継ぎたいと思います。覚悟してくださいね・・哲坊さん。

華陀

ファミコン、スーファミのソフトは今やっても面白い物が数多くあり、ほんと寂しいですね。少ないおこずかいを貯めてソフトを買っていたころが懐かしいです。たしかに、今のゲーム機はすごいと思いますが、「味があるゲーム」という点では、ファミコンの方だと思います。

今仲達

ファミコンの製造中止、確かに寂しくなりますね。今プレイしても十分楽しめる作品は確かにたくさんありますからね。製造終了でもファミコンの名前はずっと残っていくことでしょう。レビューは私もお手伝いいたしますよ。

梅庵

毎年お年玉がちょうどファミコンの定価と同じで、買ってくれと親に頼んだのを覚えています。絶対に買ってくれませんでしたが・・・攻略本買って、眺めて想像の中でファミコンをしたのもいい思い出です。仲のいい友達の家にファミコンしに通ったのもいい思い出です。手に入れたのは小学校卒業の春休み、ツインファミコンでした。最初に買ったのがナムコ三国志とベストプレープロ野球でした。懐かしい。今でも動きます。ファミコン様、お疲れ様。夢をありがとう。

しんじょうこうじ

僕もファミコンデビューはベストプレープロ野球だったなぁ
あとは第二次スーパーロボット大戦とかウィザードリィとかかな
また一つの時代が終わったんだねぇ 

哲坊

ディスクシステムの書き換えも終了するとか…
http://www.nintendo.co.jp/n09/fc_disk/index.html
思い出話として、99年6月神田にあった任天堂の東京サービスセンター(現在は上記URLの通り浅草橋に移転)にディスクの修理を依頼したこときの様子を書いておきます。

ディスクシステムの修理代金は1785円。受付のお姉さんの対応も優しくて心地よいものだった。お姉さん(制服着用、身長163cm、フライドポテトが好きそう)が言うには、まだ書き換えの需要も捨てたもんじゃないそうだ。USEDゲームという雑誌などで昔のゲームが紹介されたりすると、かなりの量のディスクカードが送られてくるもよう。ちなみに、私も「カラテチャンプ」を「謎の村雨城」に、「ギャラガ」と「ディグダグ」を「神宮寺三郎・危険な二人」に書き換えしてもらった。1枚500円。ついでに、所有のカードがちゃんと動作するかどうかも、イヤな顔せず全部チェックしてくれた。任天堂サービスセンター、あなどりがたし。(03.6.1)

まくれ

ファミコン発売当初からプレイしまくっていた年代ですから、なんとも残念です。ちなみに私のファミコンデビューは「ポパイの英語遊び」。しょっぱなの奴ですな。
親に英語の勉強をするから買って!友達は皆これで英語の勉強をしてるんだよ!...と言う理由でした。(笑) しかも続々と数学や国語といったソフトも出るから今買っておかないと皆について行けなくなる!とも言ってた気が。(爆) まあ実際はドンキーコングを購入する友人ばかりでポパイの英語遊びを持っていたのは私だけでしたが。とにかく本体をGETする事が最優先でしたので。ソフトは友人から借りればいいや、と言う考えでした。「ベースボール」は、野球少年だった私が野球の研究をしたいから、と言う今思えばとんでもねぇコジツケで買ってもらいました。(笑)
「マリオブラザーズ」(スーパーじゃない方)、「ロードランナー」、「マッピー」などなど、初期作品には想い出がたくさんあります。(03.6.10)

諸葛靖

このページで、久し振りにあの暗赤色の本体を目にし、懐かしさがぐっとこみ上げてきました。1983年、何かと最新のものを手に入れるのが早い友人宅で「ポパイの英語遊び」と「ドンキーコング」をさせてもらったのが、わたしのファミコン初体験でした。我が家のファミコン導入は1986年3月、大学受験の直前でした。

「スーパーマリオブラザーズ」のブレイクによって品薄となったファミコン本体を、妹とおもちゃ屋めぐりをしてようやく手に入れたときの感激といったらありませんでした(ちなみに抱き合わせソフトは「アストロボーイSASA」)。入試が終わった日には弟妹を差し置いて優先的に何度もプレイさせてもらったっけ。

家庭で本格的なテレビゲームができるという革命を起こした任天堂ファミリーコンピューターの偉業は、永遠に語り継がれることでしょう。ありがとう、ファミコン。(03.6.10)

沼田面松斎

ファミコンを初めてやったのは友人の家でした。ゲーセンでしかプレイできなかった【ドンキーコング】を家で遊べるという驚きと、まさにゲーセンでみたゲームそのものというべきグラフィックに感動したのを今でも覚えています。当時はファミコンが出たばっかりで、まだほとんどの人が持っておらず、唯一持っていた奴はまさにヒーローでしたよ。毎日そいつの家に通ったものです。
初期のファミコンはコントローラーのABボタンが四角で、耐久性がないのかすぐスカスカになりました。最初に買った友人のボタンもすぐにダメになりましたよ。ショックだったろうなぁ・・・、あいつ。(笑)
自分で購入したのはディスクシステムがでたあたりですね。初めて買ったソフトは確か【スパルタンX】だったはず。(笑) 本体は簡単に買えたものの、ディスクシステムが見つからずに諸葛靖殿みたいにいろんなおもちゃ屋さんを駆け巡り、やっと手にした時は感動で身が震えました。(遠い目)
ちなみにそれがしも哲坊殿と同じように、今でもファミコンとディスクシステムは箱に入れて保管してあります。なぜか捨てられないんですよね、思い出がありすぎて。(笑) (03.6.10)

哲坊

自分も、買ってもらう前はデパートの玩具売り場でデモンストレーション用に置いてあったファミコンで遊んだものです。「ドンキーコング」は近所のゲーセンにもありましたが、デパートだと「タダで遊べる」ので、並んでまでやったほどです。上手い人がやっていると、なかなか終わってくれなかった…←自分も占領した口
でも「ドンキーコング」は2面が削られていたので悲しかった…(笑) そういうアーケード版との違いを、友人らと探し合ったのも良い思い出です。
自分のも初期型だったので、コントローラーはゼビウスなどのシューティングゲームを入手して、まもなくボタンがやられましたな(笑) 任天堂も、慌てて丸いボタンを開発したようでした。(03.6.10)

沼田面松斎

【スパルタンX】は背景の模様などがカットされていて、すごく残念だった。(笑)
【ゼビウス】もナスカの地上絵がカットされてましたし。
前にリサイクルショップに行ったら、初期型のファミコンの中古が箱入りで23,800円で売っておりました。ファミコンのソフトも箱と説明書なしで1,000円前後、ディスクにいったっては、1,000円〜2,000円台の値段になっていてびっくりしましたよ。ゲームも売らずにとっとけばよかったなぁと後悔してます。(笑) (03.6.10)

沮授@tRTK

拙者がファミリーコンピュータを所持したのは、学生になって下宿生活を始めた頃であります。下宿に来た友人が「情報工学科の学生の部屋にパソコンも無いんか。(笑)」と、ちゃかされたことがきっかけで、即日購入したことを記憶しております。パソコンといえば、当時はWindowsOSも存在せず、12MHzのパソコン本体が1台20万円以上もする時代。翌日に友人に「早速、コンピュータ買ったで。見にこいや。」と下宿に誘った時の驚いた表情と、我が下宿部屋に入ってTVの前に鎮座したファミコンを見つけた時の、あっけにとられた表情が記憶に残っております。(笑)
「ファミリーコンピュータだって8bitCPUが搭載された、れっきとしたコンピュータじゃい。さ、勝負しよか?」と言って最初に友人と勝負したゲームは「ファミスタ87」。名作だったなぁ。何百回勝負したことか…。たしか横浜大洋をモデルにしたチーム名が「ホイールズ」だったことに、作者のセンスを感じたものである。(←当時、大洋はスーパーカートリオ(屋鋪、高木豊、加藤博一)がゲームに登場していた。) しかし、なんで阪神が「タイタンズ」だったのかは、未だに分からない。(笑)…ファミコンからファミスタに脱線してしまったが、この本体とソフト、現在は自分の甥っ子にあげた次第。こないだ、甥と会った際に、近所の友達とファミスタ勝負した話を聞き、改めて「良いソフト(ハード)は時代を超えても風化しないんだな。」としみじみ思った次第。しみじみ思ってしまうところが、オッサンやな…。(笑) (03.6.10)

アントニオ

私もこのサイトで力強くファミコンの事を語ってきましたが、実は買ってもらえなかった口です。小学生の頃、自転車で30分かけて友達の家に通ったり、おもちゃ屋さんで10分10円で遊んだりしていました。毎週のように友人宅を渡り歩いていた頃が懐かしいです。(03.6.10)

華陀

僕のファミコンソフト第一号は初期の「F1レース」と「スーパーマリオ」ですね(二つですが)。F1は他車にぶつかると爆発するとういもの。たしか、薄紫のカセットでした。あと、初期ベースボール。音楽も人の区別もないもの。あれを一生懸命やってたのがなつかしいです。たしか、セーフとかアウトも効果音しかならなくて、そのときにボタンを連打するといつまでもその効果音が続いてゲームが進まなかったような・・・。(03.6.10)

まくれ

ファミコン。それは私の青春時代の1ページ。日本が世界に誇れる1つの文化を作り出した名機。時代の流れとは言え、消えていくのは寂しいです。しかし技術の進歩が日進月歩のこの時代に20年もの間、現役だったというのは素晴らしい! 国宝に認定しましょう。(笑)
一時期(今もかな?)、ゲームに縁の無い世代にとってはTVゲームはサターンもプレステもファミコンと呼ばれていた事を考えると、正にTVゲームのKING OF KINGSですね。(そんなゲームもあったなぁ)私にファミコンの事を語らせると、サーバーの容量が足りなくなる恐れがありますので、この辺で。(笑)...つづく。←続くんかい!(03.6.10)

びいたん

ファミコン20年の歴史に幕・・・。私もこのニュースを聞いたときは本当に驚きました(いや、ファミコンってまだ製造してたんですね<笑>)★ ゲームウオッチを経由して、初めて友人の家でプレイさせてもらったファミコンソフトは「ポパイの英語遊び」。これが本当に面白くて欲しいな欲しいなと思いつつ、持っている友人の家で「ナッツ&ミルク」「クルクルランド」「ピンボール」「魔界村」をプレイさせてもらう日々(笑)。

そして遂に念願のファミコンを買ってもらって最初に手にしたソフトが「ポートピア殺人事件」。「ス−パーマリオブラザーズ」にて1秒間に16連打に挑戦したり(←できるか!)、100基増えとか壁抜けとかキン○マリオとか裏技(?)やりましたね〜(笑)。「三国志」も徹夜でプレイしたなあ。(君主能力値スロットに超燃え!)ディスクシステムは欲しかったけど我慢したんですよね。今でも書き換えってやってたんですか!

思えば家の親世代は、今でもゲームは「ファミコン」なんですよね。例え私がプレステやプレステ2をプレイしていても「まだファミコンやっているの?」ってセリフが出てくる。そして、私も、ソニーがPSXや任天堂最後の牙城の携帯ゲーム機市場に参入してこようとも、「ゲームは任天堂」だったりします。子供時代のゲームの思い出は、全て任天堂と共にありますので。(03.6.10)

哲坊

小中学生の頃、周りにゲーム好きの女の子は皆無だったのう…。妹も「光GENJIのローラーパニック」(笑)ぐらいは一時的にプレイしていたが、それ以外はほとんど興味を示さず。「ドラクエ」も地図が頭に入らないらしく、すぐに挫折しておった。びいたん、君ともっと早くに知り合いたかったよ…(笑)。(03.6.10)

槍騎兵

ファミコンの購入といえば・・・親父殿がカメラマンでしたので、それがしの家には友達を呼ぶことができなかったのです。(商売道具を壊されるなどの理由で。そのため、人様の家にお邪魔するのはどうか?という理由で買ってもらったといったところですね。

ほとんど意味無かったですが(爆
ファミコンデビューといえば、マリオブラザーズでした。当時は珍しい?テレビとの一体型のヤツで友達の家でやりました。左右に動かすたびに体も左右に(笑 今でも色々と遊んでいるので、生産中止となると目頭が熱くなりますね・・・(潤 (03.6.10)

さくちゃん

ファミコンは小学校2年生の時に(ちょっぴりお金持ちな)友だちの家でマリオブラザーズをしたのが最初です。やった瞬間に電気が走りましたね。早速家に帰ってから、父親にねだりましたが「高い、贅沢だ」でかたづけられてしまいました。

それからほぼ毎日、怒られても、うるさがれても、ねだり続け、ファミコンを持っている友だちの家を渡り歩いてやり続けること2年。ついに、父親が「もうよそ様の家に上がり込んでゲームしにいかんでもええわ。買ってやる」といってくれました。85年の8月3日、スパルタンXと共にうちの家にファミコンがやってきました。テレビにフィルダー線のコネクタを付けてくれている父親の背中が妙にかっこよく見えたあの日の感動は忘れません。
ファミコンをしすぎる(ドラクエ熱中時代)と、父親にアダプタを取り上げられましたが、風呂でスペランカードラクエ3の戦闘の音楽を鼻歌で歌っていた父親がとってもお茶目でした。ファミコンは僕にとって父との思い出ですね。(03.6.10)

テラジ

松坂世代の社会人一年生です。私はローティーンズがファミコン→スーパーファミコン移行期という世代で、皆さんと比べややファミコンとは照準が外れているかもしれませんが、私は未だにベストハードがファミコンだと確信しています(2位は勿論スーパーファミコン。「ファミコン」という言葉が好き)。初めて出会ったのはツインファミコンでした。

ゲームは「スターラスター」。それから10数年、プレステが登場後も第一線で活躍しました。実家を離れ、初任給で買ったのは、ニューファミコンでした。ディスクシステムも購入。先日書き換え終了が近付くディスクを書き換えてもらいました。「ファミ探」シリーズ。

ソフトも着々と揃え、ファミコン生涯現役を狙っています。カラオケあり、体感ゲームあり、光線銃あり、トンデモコントローラあり、ベーシックあり…正に「100%その能力を引き出された」唯一無二のハードです。今回のファミコン生産終了は本当に悲しいですが、開発スタッフの皆さんには「ご苦労様」と伝えたい気分です。
追伸:今13歳の妹もファミコンをプレイしています。その面白さは、永遠に。(03.7.26)

カズ

初めてファミコンが我が家にきたのは小学6年生の時。親はどうしても買ってくれず、お年玉を半額没収される我が家のシステムでは2年もまたねばならない。そこでとった手段はおこずかいローン! 当時¥700だった僕のこづかい。

時代はまさに空前のファミコンブームで入手は困難を極め、やっと見つけた1台は「カセット3本とセットで」という抱き合わせ販売だった。その結果総額は¥28,000にもなり僕は中2の夏までこづかいは1円ももらえなかった。その3本はゼビウス全盛期にもかかわらず初期任天堂カセットからしか選べずドンキーコング、ピンボール、ベースボールだった・・・ゼビウス欲しかったなぁ。 (03.7.26)

玉陵

なつかしいですね、ファミコン。私もよく遊びました。発売当時は、買ってもらえずに友達の家でプレイさせてもらってました。当時はファミコンがある友達の家には持ってない奴がよく集まっていてちょっとした「たまり場」だったもんです。しばらくして両親がファミコン本体を買ってくれたのですが、取り扱い説明書(あと漫画ちっくなキャラクターがファミコンの機能の説明をしている冊子も同梱されていましたっけ)「ついに僕の家にもファミコンが来た!!」とドキドキしながらそれらを何度も読み返したのを思い出しています。たしかに今のゲームに比べてグラフィックのレベルは比較にもなりませんが、あの頃のゲームは自分たちを別の世界に連れて行ってくれる魔法のツールでした。私の実家にも二代目のニューファミコンが健在です。今度、田舎に帰った時やってみるかなぁ。
皆さんもやっぱりそれぞれファミコンに思い出があるんですね。このサイトに出会えて本当に良かったです。 (03.9.24)

VALENTINE

お初で御座います。是非意見させて下さい。初めて家に来たのは3歳ごろ。当時売り切れ必死だったスーパーマリオを父が同僚に頼み込み、アルマーニのスーツと交換してきたのが歴史の始まりでした。その後アイスクライマー、ボンバーマン。ディスクシステムを導入してからはメトロイド、SDガンダムなどなど数え上げればきりが無いほど活躍してくれました。
個人的に一番思い出に残っているのはNINTENDO64やプレステのソフトを軒並み押し退けて高校時代に仲間内で再燃した「くにおくん」シリーズでしょうか。中でも熱血行進曲の無差別格闘は実はとても奥が深いです、ほんとです(笑)
シンプルだけに対戦では燃えられる名作ソフトがたくさんあったと思います。実際のところ、画質とかってそんなに重要じゃないんですよね。天下統一の評価の高さがいい例です。(03.9.24)

家ではまだまだ現役、がんばってもらいます。これがなければ、DQ・FFなどのRPG系の名作も出なかったかもしれません。トリビアの泉で知りましたがアポロ11号より性能がいいっていうだけでも素晴らしいです(笑)。任天堂ゲーム機傑作初代ファミコンに栄光あれぇ〜(03.10.31)

ぎやぼっくす

忘れもしない…あれは、高校の夏休みの事でした。夏休みの登校日、学校から帰宅した私に母親が…
「何か当選したって、ハガキが来てるよ」…と、一言。何だろうと受け取ったハガキを見ると、それは、当時、近所にあったデパートの抽選会の当選通知でした。
そして、そこには…
「御当選・任天堂ファミリーコンピューター」
…の文字がありました。正直に言いますと、この時点では「ファミリーコンピューター」なる物には全く興味がなく、この抽選会も同時に応募しておいたカメラか商品券が目当てだったので、少々がっかりした覚えがあります。まぁ、取り敢えず、くれると言う物は貰っておこう…と、デパートへ出向き、新品・四角ボタンのファミコンを受け取りました。これが、83年の8月初頭のこと…今考えてみますと、ファミコン発売の直後の事でした。この出会いがなければ、果たしてTVゲームを買うことが有ったかどうか…
現在、そのファミコンはもう有りませんが、私の部屋にはNewファミコンが、何時でもプレイできる状態で設置されています。
・追伸・
先日、久しぶりに「ゼビウス」をプレイしたのですが、最初のアンドアジェネシスを突破した辺りで、親指がつりました…情けなや。(03.12.4)

M-BIRD

当時家庭が厳しくファミコンを買ってもらえなかった私は小学校の卒業文集の‘将来の夢’の欄に ファミリーコンピュータが欲しい! って書いたことをおぼえてます。思いっきり怒られました。そんなかんだでやっと買ってもらえたのが中学2年生ぐらいの時でした。ちょうどABボタンが□から○に代わりスーパーマリオがブレイクする直前でした。初めて買ったソフトは「バルーンファイト」今から考えると何とも夢のあるゲームでしたね!人間が手をバタバタさせて空を自由自在に飛び回れるんですよ。今でこそ現実世界と変わらないグラッフィックやCDと変わらないバックミュージック、完成されたストーリーが普通ですが、当時のファミコンゲームには想像力をかき立てる要素が満載だったと思います。10数年たった今でも押入れの中にボロボロのファミコンが眠っています。(03.12.28)

ひ弱男

僕が生まれたときは既に家にファミコンがありました。(88年生まれ)やったソフトは少ないですが、「スーパーマリオ3」が特に面白かったです。ワールド2の太陽は怖かった覚えがあります。数年前ファミコンが壊れてからゲームは余りやってませんでしたが、ネットをやっている内に「ファミリーコンピューター生産中止」のニュースが。最初、「えっ??まだ作ってたの?」と感じる反面、「さすがファミコン、さすが任天堂。20年も生産するとはすばらしい」と思いました。本来ゲームは家族で楽しむ物であると「ファミリー」と言う名が主張している気がします。一人で楽しむ物の多くなった現代は余りいい感じがしないのが今の気持ちです。20年の記録が破られる日は来るのでしょうか? (03.12.28)

えーるぱぱ

初めてプレイしたのは「ゼビウス」です。あの衝撃がもう全てです。おそらくあの時代に小学生、中学生だった私達だけが味わえた特権でしょうね。四角くて押しにくかったボタン、8時間もつければすぐに熱で基盤が焼けた初期の頃、全てがいい思い出です。大抵の家庭用機種は買ってきた私ですが、ドリキャスの頃から「この先この最新機種どもと心中出来るのか?」という思いが強くなり、敢えてそれ以降の次世代機は購入せずに、時代に逆行したファミっぷりを見せる事となりました。本当にファミコンはアイデア勝負、中身勝負なソフトが多い為、「短時間で遊べる名作」というのが特徴ですよね。無人島に1機種だけ持っていけるなら? と言われたら何の迷いもなくファミコンです。ファミコンよ永遠なれ。(04.3.8)

ヤマダイ

ファミコンゲームで一番好きだったのは、コナミから発売した「悪魔城伝説」や「魂斗羅」それに「魍魎戦記MADARA」です。好きだった理由はBGMが素晴らしいしサウンドテストがあるからです。僕はゲームのサウンドテストを利用して、パソコンに録音して CDのサウンドトラックにしました。残念ながら今年でファミコン本体の生産は打ち切られたが、僕はファミコンを一生忘れません。(04.8.25)

哲坊

そういえば、コナミのゲームは、BGMが素晴らしいものが多かったですな!定番のグラディウスやツインビー、ディスク版の愛戦士ニコル、エスパードリームなど聞き惚れていました。(04.8.25)

伯和

私がはまっていたのは「プロ野球ファミリースタジアム」。最近パーツを買ってきてつなぎ、プレイしています。鉄道会社の連合チームや、食品会社の連合チームがあったりして、なにか今の球界の合併問題を思わせます。思い出のソフトとしてもうひとつ「ファイナルラップ」があります。未だに全てのレースをクリアできていません。なにかコツがあれば教えてください。「ファミリーコンピュータ」は使えなくなるまで我が家では現役のゲーム機で有り続けると思います。(04.9.27)

K

ファミコン・・・懐かしい&今やっても面白かったり笑えるソフトが沢山。ファミコン全盛時代は幼稚園生だったので、親に買ってもらうこともできず友人宅に行っては「スーマリ」や「ドクターマリオ」「マリオ3」をプレイしてました。小学生になってからも状況は好転せず小2の夏休みにはほとんど毎日「ロックマン2」をやりに友人宅へ行っていました。今考えると迷惑だっただろうなぁ・・・恥ずかしい(・_・;

こんな風に熱中してしまうのも、ファミコンソフトに良作が多かったからだと思います。予断ですが僕の高校進学時、両親から「何かほしいものある?」と聞かれ、PS2は高すぎるということで「ニューファミコン」を買ってもらいました(・_・; 今では秋葉に言っては中古ソフトを眺めたり、時には購入しております。ファミコン万歳!!(04.9.27)

ニキータ

一時代を築いたものですよね。それ以前にもゲームはありましたけど、ゲームと言えば「ファミコン」でしたね。私の記憶があるのは、友人の家でみんなでドラクエ2やってた記憶が一番古いですね。何かあると親に隠されたり、一日のプレイ時間制限されてたり、学校で友人とファミコンの話題で盛り上がったり、電源入れても写らない時、カセットと本体の接続部分に「フー」と息を吹きましたよね。皆さんも同じような経験を持ってますよね?高性能のゲーム機が発売されてる今でも最高のゲーム機であったと言えますね。(05.7.14)

くまこ

始めて投稿させていただきます。ファミコンは私の青春でした。私が始めてプレイしたゲームは確か「火の鳥」。小学校2年くらいでした。本体は従兄弟から譲り受け、それから友達が男女問わず毎日遊びに来てプレイする毎日。ドラクエ2で黙々とレベルアップとか…(地味な遊び方)学校の帰り道も帰宅して『爆笑!人生劇場』をプレイするのが楽しみで仕方ないという時期もありました。ちなみに本体は今でも現役です。仕事に疲れた夜にワギャンランド1で滑り台を楽しんだり、ミシシッピー殺人事件のあのトラップを味わったり・・もちろん起動不可時の『フー』も条件反射でやってしまいます(笑)子供ができたら、私はこのファミリーコンピューターをプレイさせてあげたいな・・。(05.9.4)

りえお

ゲーセンのUFOキャッチャーで「昔のゲームが遊べる!」と、ファミコンに良く似た本体が!お金をつぎ込んでつぎ込んで取れなかった・・・。それからなんとなくファミコンが猛烈にしたくなったのでここにやって来ました。初めて買ったソフトはやっぱり「スーパーマリオ」でしょう。近所の電気屋さんが夜更けに接続に来てくれて、やり始めたが最初のクリボーでやられる。なつかしいなぁ。いろいろ思い出はありますが、「ポートピア連続殺人事件」でしょう。あれって攻略本見らずにできるのか?といまだに思います。 (05.12.31)

みそじ

ファミコンの想い出といえば、自分の家には無かったので、親戚の家にお泊まりに行った時だけ、夜通しプレイさせて貰ったものです。「マリオ」に始まり、「ドンキーコング」「ポパイ」「アイスクライマー」「シティコネクション」「チャレンジャー」「スパルタンX」「ツインビー」「ポートピア連続殺人事件」「たけしの挑戦状」「さんまの名探偵」…。目も指も痛くなったけど楽しかった。ゲームキューブも、名称を「ウルトラファミコンDX」とかにしとけばもっと売れたかもしれませんよ(笑)? (06.3.17)

さとる☆

小学5年生の頃に、近所のダイエー(当時はDマート?だったか)に友人と朝から並んで本体を買いに行きました。同時にファミリーキーボード?というキーボードを売っていた記憶があります。どれがよいソフトか判らずに買いました。スーパーマリオブラザーズが買えずに、持っている友人の家に、やりに行きました。逆に、うちに友人数人がドラクエをやりにきました。皆、それぞれ、ふっかつのじゅもんをメモに書いて・・・じゅもんを書き間違えて挫折した友人もいました。思い出のソフト(ある意味で迷作?)は「エキサイトバイク」「ちゃっくんぽっぷ」「フロントライン」「シティコネクション」などです。ファミコンに関する思いでは多々あります。(06.8.5)

旅人

私が最初にプレイしたファミコンのソフトは「マリオブラザーズ」と「ドンキーコングJr.」でした。マリオブラザーズでは、友人とよく怪しいバトルを繰り広げていたのを憶えています。(ピンクの怒カニが異様に速い・・)写真の四角ボタン・・懐かしい〜。ファミコンを見ると「母ちゃん!頼むからそこを歩かないでくれ!!(止まるから)」そんな事も思い出したりします。「ガーディック外伝」なんて死にそうで死なないシューティングゲームや「えりかとさとるの夢冒険」のゴキブリ叩きなんかも好きだったりして。結構、色々なゲームをやったな〜(懐古中)。(06.8.5)

小樽の寿司

私がファミコンを手にしたのは、発売日でした。近くの子が買ってもらったのを見てすぐに、おねだりして買ってもらいました(笑)今の時代プレイしてもつまらないですが、当時はゲーム1本に対する思いが強く、購入したソフトはやりこむのが普通だった気がする。たまに懐かしんでプレイするのが最も楽しめる。それにしても「天地を喰らう」面白いなぁ・・。07.3.26

ほええ〜

はじめて買ってもらったのは小学5年生の時。近所のおもちゃ屋でした。「マリオブラザーズ」と「ピンボール」を一緒に買い家に帰って夢中になって遊びましたね。(マリオ以上にピンボールにはまりました)単純なピンボールゲームにあそこまでハマれたのは、やはり当時から任天堂のゲームはよく考えて作りこまれていたからなんでしょうね。

その後「スーパーマリオ」や「ドラクエ」のようなメジャーゲームからちょっとマニアックなもの、笑えるクソゲーまでありとあらゆるゲームを楽しみました。今、DSやWiiのグラフィック偏重ではないゲームが売れはじめていますが、またファミコン全盛期のような楽しい時代が来ることを願っています。07.12.20

アキレス紀元

僕が初めてファミコンをやったのは、親戚の家でマリオブラザーズをやった時でした。親戚は金持ちでして、マリオ以外にも幾つかのソフトが揃ってました。当時僕は小学3年生。家庭でテレビゲームが出来るなんて夢のような話で、親戚の家でマリオなどプレイし、夢のような楽しい時間を過ごさせてもらいました。その後、再び友達の家でファミコンと再会しました。

ポパイやドンキーコング、サッカーなど、見てるだけでもワクワクするようなゲームを、友達はなかなか僕にやらせてくれずに、僕はプレイ画面を見ているばかりでした。(当時僕の家はかなり貧乏だったので、ファミコンなどとても買ってもらえませんでした) やがてお小遣いを溜めて、ようやくファミコンを買うことが出来たのは小学6年生の時です。

あの嬉しさやトキメキは、もう一生味わえないかも知れません。スーパーマリオやドラクエにはまりました。特にドラクエでは思い出が多く、最初の頃は「復活の呪文」で続きが出来ることを知らずに、ホイミやギラの呪文と「復活の呪文」の区別がつきませんでした(笑)。

RPGというジャンルを認識できたのも6年生の時です。4年生の頃は友達の家でドラクエのプレイ画面を見たことがありましたが、どんなゲームなのか理解できずにいました。僕の中では今でもドラクエが一番の思い出のゲームです。高校3年生までファミコンは続けましたね。スーパーファミコンが出ていた時代でも、ファミコンをプレイすることが多かったです。実家の押し入れには今でもファミコンソフトが沢山残っていますが、肝心の本体が見つかりません(笑) 一体どこへ行ってしまったのでしょうか。またいつかファミコンで遊んで当時の子供心を味わいたいと思ってます。09.2.18

マホービン

小学生の頃にファミコンが発売し、近所の子やクラスの子たちが次々と買ってもらい、話題がファミコンばかりとなると仲間に入れてもらえなかった私はPCの開発技師で怖かった父にファミコンを買ってくださいと直接いえなかったものだから手紙をかいてねだりました。結局買ってはもらえませんでしたが、父からは我慢とその物自体が大変高価であり易々と買い与えなかったことを学びました。09.2.18

Wiz

MOTHERとウィザードリィを現在探しています。手に入りそうなのは生年と同じゼルダ1ですが、やはり、この世代で初クリアは星のカービィですかね…ロムが手に入らず、ガイドブックだけをさきに手渡され、ひたすら読む毎日、指で追い、結局迷路なのだろうか…?と謎の想像を働かさせられ…挙句の果てには、ティンクルポポの逸話にはまり、結局、最初はガイドブックを読む世界でした。色々と読んでいるうちに、ゲームが読み物へと変わって行き…今はトランプ回帰症です。面白いゲームを早くやりたいですね、1コンでわいわいと。 10.11.13



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